第六十五幕:二つの鍵
世界の運命を左右する、二つの鍵。崇史は、その片方を、唯一信頼できる共犯者、香へと託す。
2033年12月15日、木曜日。
一条との危険な契約が静かに結ばれた。
一条と香が部屋を出ていこうとした、その時だった。
「香、少しいいか?」
崇史が彼女だけを呼び止めた。一条はそれを察したように、無言で先に部屋を出ていく。
二人きりになった危機管理センター。巨大なモニターのかすかな駆動音だけが沈黙を支配していた。
「俺はこれからα-GRIDの開発に本格的に入る」
崇史は静かに切り出した。
「言った通りA国、そしてS国の先鋭部隊がこれから続々と日本に侵入してくるはずだ。香、お前にはこれから始まる水面下での『戦争』の前線指揮を執ってもらうことになる」
「…わかってるわ」
「大変危険な任務になる。…お前の家族ももう少しの辛抱だ。俺がこの国を完全に浄化すれば必ず解放される。だからそれまで絶対に死ぬなよ」
その崇史の不器用な優しさの言葉が、まるで鋭いナイフのように香の胸に突き刺さった。
彼女は喉の奥から込み上げてくる何か熱い塊をぐっと飲み込んだ。
一瞬だけ彼女の瞳の奥に、崇史でさえまだ見たことのない深い、深い絶望の色がよぎったが、それはすぐにいつもの冷たい無表情の仮面の下に隠された。
崇史はそのわずかな変化に気づかない。
「…わかってる。無茶はしないわ」
香はそう答えるのが精一杯だった。
「これから日本はもっと困難な状況がしばらく続く」
崇史は続ける。
「だがこの時期を耐え、α-GRIDが完成すれば全てが大きく前進するはずだ。…それと香にはもう一つだけお願いがある」
「何?」
「俺が作る第二世代のα-GRID。そしてS国が改良を続けているはずのβ-GRID。この二つのうち一つでも完全に覚醒し自我を持ち始めた場合、おそらく先に覚醒した方がもう一方を取り込む選択を取るはずだ」
崇史は香の目を真っ直ぐに見つめた。
「そうなればもう人類にそれを止める術は無い」
「…!」
香が息をのむ。
「俺はそうなる兆候を常にモニターする。そしてもしその兆候が出た場合、それを強制的に破壊するためのコンピュータウイルスも同時に開発しておく」
「でもそのウイルスは絶対に敵に奪われる訳にはいかない。だからそれを二つのキーに分けて俺と香が一つずつ持つ」
崇史は説明を続けた。
「α-GRIDの開発拠点にそのキーを作動させる部屋を二つ作る。同時に起動させることでウイルスはネットワーク全体にばらまかれる仕組みだ。…その片方を香、お前に任せたい。いいか?」
それはあまりにも重い問いだった。
香はしばらく黙っていた。やて彼女は静かに口を開いた。
「…命令、でしょ?大丈夫よ」
そして彼女は純粋な疑問として尋ねた。
「でも、一条さんじゃなくて、私でいいの?彼の方が、適任じゃない?」
その問いに崇史は静かに首を横に振った。
「彼は政治家だ。最後のその瞬間に国民を見捨てるという判断ができるかどうか分からない。だがお前ならできる」
その言葉は最大の信頼の言葉であり、そして同時に最大の侮辱の言葉でもあった。
「これは香。お前にしか頼めない仕事だ」
崇史の仮面の下の瞳がじっと彼女を見つめている。
香はその全てを見透かすような視線から逃げることなく、ただ静かに、そして深く頷いた。
「…分かったわ」
二人の本当の、そして最後の契約がこの瞬間、結ばれた。
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