第六十三幕:夢の残滓
革命から8ヶ月、日本は冷たい冬の静寂に包まれた。それは、国民の希望が、静かな憎悪へと変わっていく季節だった。
2033年12月。
Ωの革命から、8ヶ月後。
日本は、静かだった。
それは希望に満ちた静けさではない。全てを諦めたような、冷たい冬の静寂だった。
都内、とある中学校の体育館。臨時配給所。
一人の主婦が吐く息も白くなる冷え切った体育館で、もう何時間もその列に並んでいた。
数ヶ月前、Ω(オメガ)の演説に熱狂し、涙を流したかつての自分。
(これで、この国は、良くなる)
本気で、そう信じていた。
だが、現実はどうだ。
やがて自分の番が来て手渡されたのは、ほんの少しの米と、政府が「完全栄養食」と呼ぶ得体の知れないペースト状のパックだけ。
体育館の隅に設置された大型スクリーンでは、かつて野党議員だった「国家再生評議会」の男が、国民に向かって語りかけている。
『――国民の皆様の、この、聖なる試練への、ご理解と、ご協力に、心から、感謝します』
(ふざけるな…)
主婦は、その白々しい笑顔に向かって声には出さず、静かに、そして深く憎悪を燃やしていた。
都内、とあるワンルームマンション。
一人の若者が、真っ暗な部屋でただ天井を見つめていた。
彼はΩ(オメガ)の熱狂的な信奉者だった。日本の未来を奪った外国人たちを追い出してくれた、神だと本気で思っていた。
自警団にも参加した。S国の残党を何人も、「狩った」。
だが彼を待っていたのは、輝かしい未来ではなかった。
彼が勤めていた小さな町工場は、海外からの部品が一切入ってこなくなったことで、あっけなく倒産した。
仕事も、金も、希望も、全てを失った。
「…話が、違うじゃないか…」
彼の口から、か細い恨み言が漏れた。
夜の、東京。
かつて眠らない街と呼ばれたその光景は、もうどこにもなかった。
ネオンはほとんど消えている。ガソリンが底をつき、巨大な首都高速道路を走る車もほとんどない。
人々は息を潜めるように、家路を急ぐ。
街を支配しているのは、静寂と、そしてΩ(オメガ)の信徒である「自警団」のぎらついた目だけだった。
彼らは独自の「正義」を振りかざし、「非国民」と見なした者を容赦なく断罪する。
警察は、もう機能していない。
日本は静かに、そして確実にその光を失いつつあった。
同時刻。香のセーフハウス。
「崇史、そんなに一生懸命何を作ってるの?」
女性が、崇史の背中越しに画面をのぞき込みながら、優しく聞いた。
「これは、全人類の未来を変えるかもしれないものだよ」
崇史が誇らしげに答える。
「あなたが今、企業と組んで開発している?」
「そうそう、で、ここ見て」
画面の一点を指で刺す。そこには小さな球体が写っていた。
「これは地球の誕生から現在までをシミュレートしている最中なんだよ。今はまだ大した変化はないけど、例えばここにこれを…っと」
そういってマウスでアイコンを選択し、その地球にドラッグした。
「ここ見て。幸福度が上がったのがわかる?」
「ほんとだ~」
「このまま色々なパターンを試していくとね、いずれ人類が永久機関を開発できる世界線にたどり着けるかもしれない。その時のパラメータを拾えれば…」
「――史…崇史!」
香が肩を揺する声で、崇史はうたた寝から意識を引き戻された。
「お休みのところ悪いんだけど…」
香の厳しい声が、彼を現実に引き戻す。
「思ってた以上にΩに対する支持率が急速に下がってる。予想より早く日本は困窮しているのよ」
崇史は黙って報告書を受け取る。だが、報告書などを見なくても崇史には、この国の現状はよくわかっていた。自分の行いの結果。それに対する、重すぎる責任。
彼は不安を押し殺し、自分に言い聞せる。
「…わかってる」
(だが、ここで退くわけにはいかない。今この時に世界を変えなければ、俺たちはまた、この地獄を永遠に繰り返すことになるんだ…)
崇史はさっき見た夢が、何か重大な鍵だと感じていた。だが、もう何の夢だったのかもあまり思い出せないでいた。
何も言わない崇史を香はじっと見つめる。そして、報告書を手に取り、そっと目を閉じた。報告書には日本の悲痛な現状が何枚にもわたって書かれていた。
部屋のモニターからアナウンサーの原稿を読み上げる声が聞こえる。
『――続いては、世界各国から日本に対する声明の発表がありました』
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