第五章:閉ざされた真実
消された証拠と、口を閉ざす刑事たち。崇史は巨大な闇の入り口に立たされる。
2032年6月24日、木曜日 午後。
消された証拠と、口を閉ざす刑事たち。崇史は巨大な闇の入り口に立たされる。
2032年6月24日、木曜日。午後。
点滴の繋がれた腕をぼんやりと見つめていると、控えめなドアのノック音がした。
開いたドアから入ってきたのはスーツ姿の男女だった。
女性の方が落ち着いた声で尋ねる。
「久我 崇史さんですね? 警視庁のヤマシタです。
お体の具合はいかがですか?」 ヤマシタと名乗った女性は,まだ自分より若く見える。
その落ち着いた声とは裏腹に、崇史には彼女の視線がまるで値踏みでもするかのように、自分を冷静に観察している、そんな冷たい感覚を覚えた。 まだ頭が痛む。
そして何よりも胸の奥底で渦巻く言いようのない喪失感が彼を締め付けていた。
崇史は掠れた声で尋ねる。
「…家族は…妻と、娘は…」 彼の視線は彼女の顔を真っ直ぐに捉えている。
山下は一瞬言葉に詰まり、隣に立つ同僚と目を合わせる。
そのコンマ数秒の沈黙が、何よりも雄弁だった。崇史の胸に、重い鉛が落ちたような衝撃が走った。
「……そうですか……」 それ以上言葉は出てこなかった。
視界がかすむ。喉の奥が熱くなり、込み上げてくるものを必死にこらえた。
山下は、慎重に言葉を選びながら質問を始めた。
「崇史さん。お辛いでしょうがいくつかお伺いしてもよろしいでしょうか」
崇史の頭を襲った鈍器の痕、荒らされた室内、そして何よりも、変わり果てた家族の姿。
事件の状況は、彼らにとってはすでに明白なのだろう。
「犯人の顔を見ましたか? 何人いましたか? 侵入してきた時、何か様子は?」
刑事の問いかけが、遠くから聞こえる反響音のように耳に届く。
崇史の記憶は曖昧模糊としていた。
家族を襲われた光景は鮮明なのに、犯人の顔も、人数も、何も思い出せない。
ただ、意識が遠のく寸前に聞いた、あの冷たい声だけが、彼の脳裏に焼き付いている。
「……『仕方ない、後は政治家様が何とかしてくれるだろう』……」 (政治家様?なぜ、そんな言葉が…) 頭が混乱する。
「……記憶が……はっきりしません……」 崇史はそう答えるのが精一杯だった。
彼の声は,まるで喉の奥から絞り出すようだった。
刑事たちは顔を見合わせ、再び沈黙が落ちる。
何か言いたげな視線が崇史に向けられたが、彼らはそれ以上追及しなかった。
その時、崇史の視界が急にぐらつき、部屋全体がスローモーションのように左右に大きく揺れる感覚に襲われた。
刑事たちの顔がぼやけて二重に見え、彼らの声がひどく遠く、水中にいるかのようにくぐもって聞こえる。
頭の芯がずきんと痛み、吐き気がこみ上げてきた。
「崇史さん、大丈夫ですか!?」 山下の焦った声が聞こえた気がしたが、すでに崇史の意識は朦朧としていた。
「そうですか…。分かりました。今日はこのくらいにしておきましょう。お体の回復を最優先してください」 山下は、そう言い残して部屋を出て行った。
残された崇史は、ただ虚ろな目で天井を見つめるしかなかった。
胸に広がるのは、家族を失った絶望と、何も思い出せない自分への苛立ち。 「……そうだ、ペットの見守りカメラが……」 崇史は、薄れゆく意識の中で、ふとそう呟いた。家にはペットカメラがあった。その事だけは、明確に覚えている。次に刑事が来たら、そのことを伝えよう。そう思いながら、彼の意識は再び闇へと沈んでいった。
2032年6月25日、金曜日 午後。
一睡もできずに夜が明けた。
崇史の頭の中では、唯一の希望であるはずのペットカメラの存在だけが、ぐるぐると回り続けていた。
そんな時だった。病室のドアがノックされた。 入ってきたのは昨日と同じ山下と、もう一人の刑事だった。
彼らの表情は相変わらず硬い。
「崇史さん、お目覚めですか」 山下が尋ねる。 崇史は、興奮を抑えきれない声で答えた。
「刑事さん!リビングに、見守りカメラがあるはずです!猫の見守り用です。動体検知で録画されてるはず。そのデータ、僕のスマホにも入ってるはずなんです!」
彼の言葉に刑事たちはまた顔を見合わせた。
「見守りカメラ、ですか」山下が顎に手を当てて考え込む。
「いえ、現場にはそのようなものはありませんでした。我々が確認した限りでは、カメラのようなものは設置されていません」
「そんなはずは……!猫を飼っていたので間違いなく置いてありました!スマホにも、録画データが残っているはずなんです!」
崇史は必死に訴えるが、山下は感情のこもらない目で首を横に振った。
「あなたのスマートフォンは現場で確保し鑑識に回しましたが、該当するようなデータは確認できませんでした。そもそも、現場にカメラらしき物は見当たらなかった、と報告を受けています」
刑事の言葉が崇史の頭に冷水を浴びせた。
(そんなはずがない。確かにあったのだ。なぜ、ないんだ?)
彼の表情は絶望に染まった。真実を暴く唯一の手がかりが、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せている。
「とにかく、犯人は今、捜索中です。ですが、なにぶん証拠がなくて」 山下は、まるで感情のこもらない定型文のようにそう告げた。
彼の言葉は、崇史の必死な訴えを軽くあしらうように響く。
「白いワンボックスは…、確かに水道メンテナンスの車でした。それと、最後に……『政治家が何とかしてくれる』と言っていました。政治絡みだとすると、僕が今関わっているプロジェクトが関係してると思います。そのあたりから、何か分かりませんか!」 崇史はベッドから身を乗り出す勢いで、刑事たちの顔を交互に見つめた。
彼の目は、真実を求める切実な光を宿している。しかし、刑事たちの反応は驚くほど鈍い。
彼らは互いに視線を交わすだけで、崇史の言葉を真剣に受け止めているようには到底思えなかった。まるで、彼が夢でも見たかのように、軽く流そうとしているかのように。
「それと、崇史さん。あまりこれ以上深く詮索しないほうがいい」 もう一人の刑事が、低い声でそう忠告した。
その言葉の裏に、あからさまな脅しのようなものが隠されているのを、崇史は感じた。それは、まるで巨大な圧力の存在を暗示しているかのようだった。
しかし、その正体までは掴めない。ただ、「おかしい」という漠然とした違和感だけが、胸の奥で広がっていった。
刑事たちは、崇史の返事を待たずに部屋を出ていこうとした。
「待ってくれ……! 妻に、娘に、会わせてください……!」 崇史の声は、悲痛な叫びとなって病室に響いた。刑事たちは一瞬足を止めたが、振り向くことなく、そのままドアの向こうへと消えていった。
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