第四十二章:鋼鉄の拳
最初の『武器』を求め、崇史はアメ横の闇市へ。そこで彼が示したのは、物理的な戦闘能力だけではない、情報さえも支配する力だった。
2032年8月8日、日曜日。午前10時。
崇史は、上野のアメ横にいた。
かつて、年末になると、日本中の人々が押し寄せ、威勢のいい日本語が飛び交っていたこの場所も、今やその面影はない。彼の耳に届くのは、中国語、英語、韓国語、そして、彼の知らない東南アジアの言語。看板やポップにも、日本語を見つける方が難しかった。行き交う人々も、そのほとんどが外国人だ。
(ここも、乗っ取られたか…)
崇史は、そんなことを思いながら、表通りから一本、薄暗い裏路地へと入った。目的の店は、こういう場所にあるはずだ。
しばらく歩くと、崇史は、一軒の店の前で足を止めた。怪しげなミリタリーグッズや、出所の分からない電子部品が、店の外にまで溢れ出している。いかにもな店だった。
店主は、崇史の姿を認めると、無言で顎をしゃくった。日に焼けた肌と、豊かな髭。アラブ系の男だろうか。
崇史は、あえて英語で話しかけてみる。
「Gloves. Hard ones. For combat」
すると店主は、流暢な、しかしどこか感情の読めない日本語で返してきた。
「…日本語で、大丈夫だ」
崇史は、少しだけ驚いたが、すぐに本題を切り出した。
「格闘の時に手を守る、丈夫なグローブが欲しい」
「なるほど」
店主は、崇史の目をじっと見つめると、店の奥から、一つの箱を取り出してきた。中に入っていたのは、黒一色で、ゴツゴツとしたデザインのグローブだった。
「最新の軍用、タクティカルグローブだ。これなら、ナイフくらいなら、傷一つ付かない。…まあ、値は張るがな」
「はめてみても?」
店主が頷き、グローブを渡す。
崇史が手にはめると、その見た目に反して、驚くほど軽いことに気づいた。そして、自分の手の形に、吸い付くようにフィットする。拳を握り込むと、指の関節部分を覆う硬いプロテクターが、確かな感触を返してきた。
(…これだ)
まるで、自分の体の一部になったかのような、しっくりとした感覚。崇史は、これが、これから自分が使うべき「武器」だと、直感的に理解した。
「いくらだ?」
崇史が聞くと、店主は、指で「7」の形を作った。
(七千円か。安いな)
崇史は、そう思いながら財布から一万円札を取り出す。
だが、店主は、それを受け取らず、首を横に振った。
そして、にやりと、口の端を吊り上げた。
「兄さん、桁が一つ、違うよ」
「そうか。だが、現金はそんなに持ち合わせていない」
崇史は、動じることなくそう言うと、背負っていたリュックサックから、彼の頭脳そのものと言える**『AURA』を取り出した。
店主が「ならATMで…」と言いかけるのを、崇史は手で制す。
「いや、ここで払う」
崇史がAURAを開くと、わずかな起動音と共に、スクリーンに光が灯る。
この店に入ってからずっと、弱い『クロノスタシス』が発動し続けているのを、崇史は感じていた。この、常に有利な時間の中、彼の思考は、常人よりも数倍速く回転する。
彼は、いぶかしげにこちらを見る店主を意にも介さず、驚異的な速度でキーボードを叩き始めた。
(試すのに、丁度いい)
彼の指が、まるで意思を持っているかのように、スクリーン上を滑る。店の貧弱なWi-Fiネットワークに存在する脆弱性を、彼が試作したAIは、瞬時に見つけ出し、カウンター奥の古びたPCへの侵入経路を確保した。
客観的な時間では、ほんの数十秒。その間に、崇史は店の口座情報を抜き出し、自らが持つ追跡不可能なゴースト口座から、きっかり7万円の送金を完了させた。
崇史は、AURAの送金完了画面を、無言で店主に見せつけた。店主のスマートフォンに、ほぼ同時に着信通知が届く。入金を確認した店主は、信じられないものを見る目で、崇史の顔と彼のAURA**を交互に見た。
「なんで、お前が、この口座を…」
その声は、恐怖に震えていた。
崇史は、その問いには答えなかった。彼は、新品のグローブをつけた自分の手を、ゆっくりと開いたり、閉じたりした。
そして、恐怖に顔を引きつらせる店主を後に、何も言わずに店を出て行った。
彼の手には、これから始まる戦いのための、冷たい鋼鉄の拳が握られていた。
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