第二十九章:最初の獲物
最初の獲物を求め、崇史は自ら混沌の渦に飛び込む。進化したクロノスタシスが、ネオン街に潜む悪意を捉える。
2032年8月6日、金曜日。夜。
さて、もうあの家には帰れない。
三日後、香に会うまでの間、身を置く場所が必要だ。
崇史は、思考端末で安宿を探し始めた。
見つけたのは、名前も聞いたことがない、いかにもな雰囲気のビジネスホテル。
場所は、やはりというべきか、歌舞-伎町だった。 チェックインを済ませ、部屋に入る。
ドアを開けた瞬間、カビ臭い空気が鼻をついた。
(ま、ここにもずっとはいないからな)
崇史はそう独り言ちると、無造作に荷物をベッドに放り投げた。
香に会うまで、あと二日。
それまでに、少しでもこの身体と、新しい思考に慣れておく必要がある。
(手始めに、この辺りの輩を相手にしてみるか)
崇史は、再び街へと繰り出した。
その前に、ホテル近くの雑貨店に立ち寄り、黒いマスクと帽子、手袋、そして色の濃いサングラスを買い揃える。 人目につかない裏路地で手早く変装を済ませると、その姿は、もはや誰も『久我崇史』の面影を見出すことはできないだろう。
さて、と。
(輩と言えば、相場はボッタクリバーか)
崇史は、これから起こるであろう出来事への、奇妙な高揚感を抱きながら、ネオン街を歩き始めた。 わざとキョロキョロと周りを見回し、いかにも「おのぼりさん」と分かるように、ゆっくりと歩く。
ほどなくして、予想通り、一人の客引きが彼のまとった空気を嗅ぎつけてきた。
「お兄さん、ちょっといいかな?一杯どうっスか?ウチなら、超可愛い子と飲み放題で、60分2400円ポッキリ!マジで損はさせないんで!」
崇史は、男の軽薄な笑顔の裏にあるものを見透かしながら、わざと不安そうな顔で頷いた。
「…じゃあ、お願いしようかな」 男は「決まり!」とばかりに、崇史の背中を馴れ馴れしく押した。 「お兄さん、マジでついてる!今日の女の子、うちのナンバーワンだから!」
男の言葉を聞き流しながら、崇史は裏路地の一角にあるバーへと案内された。
見た目は、どこにでもあるような、ごく普通のバーだ。
看板には『Deep』と書かれている。
崇史は、この店こそが探していた『獲物』だと確信した。
なぜなら、客引きの男が近づいてきた、その瞬間から、彼の周りの時間は、ごくわずかに、だが確実に遅延し始めていたからだ。
(こいつで、間違いない)
そして、バーの扉に近づくにつれて、『クロノスタシス』のレベルは、より一層強くなっていく。
「ここです!」
男が、得意げに扉を開ける。
崇史は、意を決して、その暗い店内へと足を踏み入れた。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回の話はいかがでしたでしょうか?
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、
ぜひページ下の☆☆☆での評価や、ブックマーク登録をしていただけると、
めちゃくちゃ執筆の励みになります!