第十九章:裏切り者の顔
狂った世界という巨大な敵。だが、その最初の引き金を引いたのは、心配するフリをした、あの男だった。
2032年7月30日、金曜日。22時過ぎ。
「…本当の犯人は、個人じゃない。あなたからすべてを奪ったのは、この狂った世界そのものなのよ」
山下の最後の言葉が、静かな倉庫に重く響いた。
「…世界、か」
崇史は、その言葉を反芻する。あまりに巨大で、掴みどころのない敵。だが、妙に腑に落ちる感覚もあった。コーヒーメーカーの保温ランプだけが、二人の間の沈黙を照らしている。
その沈黙を破ったのは、崇史だった。彼の頭の中で、バラバラだった思考の断片が、雷に打たれたように繋がり始める。
「…何かがおかしいと思っていたんだ」
崇史が、吐き捨てるようにつぶやく。
「あの日、俺たち家族は娘の誕生日祝いで外食するはずだった。その予定を、なぜ犯人たちは知っていた? なぜ、俺たちが家にいないと思っていた?」
崇史は、射るような視線で山下を見た。
「それは…」
山下が言葉を濁す。だが、崇史は止まらない。
(待てよ…そうだ、俺はそのことを誰かに話した…。オフィスで…あいつに…!)
崇史の頭に、あの日、会社を出る前の光景が鮮明に蘇る。心配するフリをした、あの男の顔。そして、後日、家に見舞いに来た時に言った、何気ない言葉が。
『あまり気を落とすなよ。警察も乗り気じゃないとなると、な』
(…そうだ。あいつは、なんで警察が捜査に乗り気じゃないと知っていたんだ?)
崇史は、低い声で山下に問い詰めた。もはや疑問ではない。答え合わせだった。
「川越だ。会社にいた俺の同僚、川越が裏切った。違うか」
崇史は、畳み掛けるように続けた。
「そうだ…!そもそも、誰が俺たちを発見して、通報した?それも、川越か!?」
山下は、観念したようにぎゅっと目をつむった。「…ええ。全て、あなたの推察通りよ」
彼女は、静かに、しかしはっきりと、全てのパズルのピースを繋ぎ合わせた。
「川越は、S国に懐柔されていた。多額の報酬と引き換えにね。彼が、あなたの家の情報を流した。コンペの当日、あなたが会場に現れないことを不審に思った彼が、あなたの家を訪ねた。…彼が、第一発見者よ」
山下は続けた。
「ただし、彼が着いた時には、すでに私たちが現場を制圧していた。だから、彼には口止めをしたの。会社には…あなたのことは『過労による体調不良』だと報告するように、とね」
「…………」
崇史の中で、最後のピースが嵌まった。怒りも、驚きも、もはやなかった。ただ、心の底が氷のように冷えていくのを感じるだけだった。一番身近にいた人間が、自分の全てを奈落に突き落とした張本人だった。その事実が、静かに、そして重く、彼の胸に沈み込んでいった。
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