第一部 破壊者の覚醒 第一章:βグリッド前夜
2032年6月22日、火曜日。時刻は18時を回っていた。
東京の有楽町にそびえる大手システム開発会社。そのオフィスビルの一室で、久我 崇史は、青白く光るディスプレイに向かい、無数のコードと格闘していた。システムエンジニア――それが彼の肩書きだ。
学生時代は物理学と量子力学を専攻。その頭脳は、大学院で大手通信企業や電子機器メーカーとの共同研究に参加した際、実用可能な量子コンピュータの開発を成功させた実績を持つ。京都から上京し、この会社に入社して以来、彼は仕事漬けの毎日を送っていた。
「おい、崇史、これ見てみろよ」
隣の席の川越が、自席のモニターをこちらに向けてきた。そこに映し出されていたのはウェブニュースの記事だ。
「この間の埼玉の強盗事件の犯人、また不起訴だってよ。まったく、これじゃあやられ損だよな。お前の家の近所だろ? 用心しないと」
崇史は記事を一瞥した。ここ最近、こうした物騒な事件がやたらと目に付く。特に、外国人による犯罪の多発が顕著だった。苛立ちと無力感が募る。日本政府が積極的に移民を受け入れた結果、街の景色は数年で一変した。帰化申請の審査が簡略化されたこともあり、その数は増える一方だ。おまけに、移民に対する補助は手厚く、働かずとも日本人と同等の生活が送れるとさえ噂されている。
その移民の多くを占めるのがS国からの人々だ。近年では、反社会勢力の九割以上がS国、あるいはC国で構成されているという話まである。日本政府との癒着も囁かれ、国防の面から見ても、この国の行く末は危うい。外国人が犯罪を犯しても、なぜか起訴されず、被害者が泣き寝入りする事件が頻発している。今の日本は、不法滞在者や不法移民を含む外国人によって、まさに危機的な状況にあると言えた。
崇史は、そんな状況に不満と危機感を抱きながらも、日々の業務をこなしていた。目の前の仕事は、そんな個人的な感情を差し挟む暇もないほど彼を追い詰めていたからだ。
彼が今、リーダーとして率いているのは、ただのシステム開発ではない。防衛省が新たに導入を予定している国家機密の盾――その開発を一任されていたのだ。営業からは「絶対に機密が漏れない完璧なシステムを」と、耳にタコができるほど聞かされている。崇史は、日本の防衛に関わることの重要性を理解し、その期待に応えるべく、彼独自の究極のセキュリティ機能を組み込んだ。
この仕事に、崇史は絶対の自信を持っていた。なぜなら、今この日本で、あの量子コンピュータとシステムAIを真に使いこなせるのは、自分しかいないと自負しているからだ。
彼が構築したシステム「βグリッド」は、彼の頭脳の結晶そのものだった。
量子暗号通信で通信経路を絶対的なものにし、量子耐性暗号でデータのありかそのものを鉄壁の金庫に変える。AIによるリアルタイム監視は、内部に潜むネズミ一匹の動きも見逃さず、真性乱数発生器が生み出す予測不能な鍵があらゆるピッキングを拒絶する。そして、ブロックチェーン技術を応用した改ざん不可能なログ管理が、全ての行動を永遠に記録し続ける。
このシステムが導入されれば、日本政府内の間者は文字通り**『手も足も出なくなる』**だろう。どんな抜け穴も許さない、鉄壁の防衛システム。これを成功させれば、彼の人生にも光が差すはずだ。
コンペは、翌日6月23日午前10時から。数週間に及んだプロジェクトも、今日の最終チェックをもって、ついに完了した。オフィスには、長きにわたる激闘を終えた後の心地よい達成感と、明日という未来への確かな高揚感が満ちている。
崇史のデスクにも、戦いの痕跡のようにコーヒーの空き缶とエナジードリンクのボトルが転がっていた。数週間に及ぶ激務の疲労は全身にこびりついていたが、彼の目には自信と達成感が宿っていた。
五歳になる愛しい娘の顔も、ここ最近はほとんど見れていない。大学時代からの付き合いである妻とは、就職後しばらくして結婚した。多忙な中でも僅かな時間を見つけては会話を交わしていたが、家族への申し訳なさは常に心の中にあった。
「そういえば今日、娘さんの誕生日だろ? 早く帰ってやれよ」
同僚の川越が、労うように声をかけてくる。
崇史は腕時計に目をやると、静かにモニターの電源を落とし、帰り支度を始めた。
「ああ。よし、完璧だ。明日のプレゼン、頼んだぞ。俺は一足先に失礼する」
「お疲れ様です!」「任せてください!」
崇史は、チームのメンバーたちからの頼もしい声に頷き、オフィスを後にした。
**会社のビルを出て、駅へと向かう雑踏の中を歩いていると、**ポケットのスマホが短く震えた。画面には、妻の美咲からの着信が表示されている。
「もしもし? どうした? もう店の予約時間だぞ」
落ち着きなく尋ねる崇史に、電話の向こうから焦ったような妻の声が聞こえる。
『ごめんなさい、それが…ミクが急に熱出しちゃって…。さっきまであんなに元気だったのに…』
「熱? 大丈夫なのか?」
『うん、今は落ち着いてるんだけど、さすがに外食は無理そうだから…。今日のレストラン、キャンセルしておくね。本当にごめん、せっかくあなたも早く帰ってきてくれるのに』
「いや、いい。ミクの方が大事だ。分かった、俺もすぐに帰る。何か買っていくものはあるか?冷却シートとか」
『ううん、大丈夫。とにかく、気をつけて帰ってきて』
電話が切れる。レストランでのささやかなお祝いは、また日を改めるしかない。だが、今は娘のことが何より心配だった。崇史は、漠然とした国家への不安と、愛する娘への切実な心配という、二つの重りを胸に抱えながら、家路を急いだ。
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