第十七章:予期せぬ悲劇
「あなたたちは死ぬはずではなかった」――ヤマシタが語る真実は、崇史の心を砕く、あまりにも皮肉な悲劇の引き金だった。
2032年7月30日、金曜日。22時過ぎ。
山下に続き、ビルの外へ出ると、生暖かい夜風が崇史の頬を撫でた。先ほどまでの硝煙の匂いと、死の気配が、少しだけ薄まる。
山下は、周囲を警戒するでもなく、まっすぐに通りの隅に停まっていた一台の黒いタクシーへと向かう。崇史が何も言わずとも、後部座席のドアがスッと開けられた。おそらく、彼女が言っていた「待たせているタクシー」なのだろう。彼女が滑り込むように乗り込むのを見て、崇史も、その漆黒の車体へと足を踏み入れた。
(このタクシーも彼女の組織の息がかかっているのか…)崇史は、改めてこの女は油断ならないと、気を引き締めた。
「新木場までお願い」
タクシーに乗り込むと彼女は運転手に指示を出す。
運転手は無言でタクシーを走らせ始めた。彼女はずっと前を見つめたまま無言だ。
タクシーの中、崇史は隣に座る山下の横顔を盗み見た。無言で前を見つめるその表情に、崇史は複雑な感情の渦を読み取る。絶望、諦め、そして、それらを押し殺すような焦燥感――。
(この女性は、一体どんな人生を歩んできたのだろう。俺以上に、深く、長い闇の中にいるのではないか…)
初めて、彼は彼女に対して、憐憫に近い感情を抱いた。
車内には、重い沈黙だけが流れた。聞きたいことは山ほどあるが、ここがその場所ではないことを、二人とも暗黙のうちに理解していた。
やがてタクシーは、彼女からの指示もないまま、新木場の倉庫街にある産業道路脇で静かに停車した。
無言で車を降りた山下は、無機質な倉庫の一つへと崇史を導く。こんな場所に、話ができるような場所があるというのか。崇史が訝しんでいると、山下は小さな入り口の扉に顔を近づけた。わずかな電子音の後、カチリと重いロックが外れる音が響く。ハイテクな顔認証システムだろうか。彼女の油断ならない一面を、また一つ垣間見た気がした。
「ここよ、入って」
扉を開けながら、彼女が静かに言った。彼女が扉を開け、崇史を先に通すよう促す。
(俺の能力は反応していない。大丈夫そうだ)
崇史は、意を決して倉庫の中へ足を踏み入れた。
ひんやりとした空気が肌を撫でる。そこは、外観のイメージ通りの、だだっ広い無機質な空間だった。打ちっぱなしのコンクリートの壁と高い天井が、物音を冷たく反響させる。
だが、その殺風景な空間の中央に、不釣り合いな一角があった。
使い込まれた革張りのソファと、シンプルなローテーブル。テーブルの上には、無骨なノートパソコンと、場違いにも見えるコーヒーメーカーが置かれている。視線を奥へやると、隅の方に小さなシンクを備えた簡易的なキッチンと、おそらくシャワールームだろう、プラスチック製のユニットが設置されていた。生活の痕跡。ここが彼女の、あるいは彼女たちの「拠点」の一つなのだろう。
「そこに座って」
山下は顎でソファを指し示すと、自身はテーブルの横に立ち、慣れた手つきでコーヒーメーカーのスイッチを入れた。やがて、静かな倉庫に、お湯が沸く小さな音だけが響き始めた。
その音を遮るように、彼女が唐突に話し始めた。
「…本来、あなたたち家族は、死ぬはずではなかった」
そのあまりに淡々とした声が、崇史の逆鱗に触れた。まるで、他人事のように。
「――じゃあなぜ殺されたんだ!」
抑えきれない怒りが、声となって迸る。しかし彼女は、その怒りを意にも介さず、静かに続けた。
「あの日、あなたたちはあの家には居ないはずだった。本当は誰も居ないはずの家に侵入し、家を荒らして警告文を置いてくるだけ…それが、彼らの当初の計画だった」
「なんだって…?」
崇史の頭の中で、パズルのピースが組み合わさっていく。
「そういう事か…。あの日の夜、俺たち家族は娘の誕生祝いに、外食するはずだったんだ。ずっと仕事ばかりだった俺が、ようやく…ようやく、家族との時間を作れたはずだった…」
そこまで言って、崇史は言葉を詰まらせ、目を固く閉じる。あの時、娘が熱を出さなければ。あの時、家に帰るという選択をしなければ。優しい思い出が、今は鋭い刃となって胸に突き刺さる。
「なんてことだ…」
崇史は、自らの手で頭を抱えた。善意で、家族のためにとった行動の全てが、最悪の結末を招いていた。
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