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第十章:不死の証明

凍りつく時間、回避された死の運命。能力の深淵を覗いた崇史は、自らが「死ねない」という絶望的な事実に戦慄する。

 新宿の一件以来、崇史の生活は一変した。

彼は自宅のソファに座ったまま、ぼんやりとリビングを見渡していた。

警察の現場検証のあと、業者によってきれいに片付けられた部屋。

だが、そこにはもう、温かい生活の残り香はなかった。

ふと、視線がテレビ台の隅に止まる。そこには、娘のミクが描いた、家族三人の似顔絵が飾られていた。クレヨンで描かれた、自分と、妻と、そして小さな娘。三人が、拙い線で笑っている。

崇史は、その絵をそっと手に取った。指で、笑っている娘の顔をなぞる。

その瞬間、霊安室で見た、冷たくなった娘の顔がフラッシュバックした。

胸を抉るような激しい痛みが走り、呼吸が浅くなる。 「……っ!」 嗚咽が漏れる。

この手で、もっと抱きしめてやればよかった。この声で、もっと名前を呼んでやればよかった。

後悔が、黒い泥のように心にまとわりつく。

しかし、その時、彼の脳裏にあの刑事たちの冷たい目と、犯人の「政治家様が何とかしてくれる」という言葉が蘇る。

(そうだ…俺は、ただ悲しんでいるだけでいいのか…?)

悲しみは、消えない。後悔も、消えない。だが、それ以上にどす黒い感情が、彼の心の底から湧き上がってきた。

(あいつらは、この笑顔を奪ったんだ。俺から、すべてを奪ったんだ…!)

憎悪。その黒い炎だけが、灰になったはずの心を未来へと向かわせた。

(…そうだ、復讐を果たす。そのためには、この忌ましい力を完全に理解し、使いこなす必要がある。そして何より、この貧弱な肉体を鍛え上げなければ)

新宿での一件で、痛感したはずだ。この能力は、それを扱う器の強さに、絶対的に依存する。

彼は日課のように、自宅でトレーニングを始めた。腕立て伏せ、腹筋、スクワット。

今まで運動などしてこなかった体が悲鳴を上げる。

最初は数回で息が切れ、全身が鉛のように重くなったが、彼の意志は固かった。

そして、能力の実験のため、様々な場所へ出かけた。

人混みの中へ身を投じ、どんな状況で時間が遅くなるのか、ひたすら観察を続けた。

(未知は恐怖を生む。ならば、定義すればいい。)

彼は、この得体の知れない現象に一つの名を付けた。

『クロノスタシス』――本来は、脳が情報を処理する際に生じる、ただの錯覚。

自分の身に起きていることはそれとは比較にならないほど異常だが、他に的確な言葉が見つからなかった。彼は、この現象をそう名付けることで、未知の恐怖を、制御可能な『観測対象』へと変えようとしていた。

 2032年7月21日、水曜日。15時ごろ。

この日、久しぶりに車を運転し、少し遠出をしていた時のことだ。

見慣れないT字路に差し掛かった。

右折しようとウインカーを出した、その瞬間。

世界から、一切の音が消えた。時間が、凍り付いた。

(……なんだ、これは?)

理解が追いつかない。周囲の車も、行き交う人々も、ぴたりと静止している。

この現象は、これまでの「少し遅くなる」というレベルをはるかに超えていた。

理解不能な現象にパニックになりかけた崇史は、半ば無意識に右へのウインカーを消し、左へと指示器を出し直した。

すると、まるで何事もなかったかのように、凍てついていた時間が再び流れ始める。

周囲の車のエンジン音が聞こえ、人々が動き出す。世界が普段の速度を取り戻した。

その時は、なぜこんなことが起きたのか、全く意味が分からなかった。

ただ奇妙な体験として、彼の記憶に残った。

数時間後、自宅に戻り、何気なくニュース番組をつけていた時だ。

彼の目に、ある映像が飛び込んできた。

それは、先ほど彼が遭遇したT字路の、まさに右に曲がった先にある幹線道路で、大型トレーラーが絡む大規模な事故を起こしたという報道だった。

横転したトレーラー、散乱する荷物、そして救急車のサイレン。

その惨状は、見るに堪えないものだった。 (ひょっとして……) 崇史の頭に、稲妻のような衝撃が走った。

(俺が右に曲がれなかったのは、あの先に『死』が待っていたから、なのか?自分の身の回りだけでなく、俺が進もうとする未来に『死』がある場合、それを事前に察知し、警告として時間が停止する――。)

崇史は、この事実に到達した瞬間、戦慄した。と同時に、ある一つの疑問が、彼の思考の全てを占拠し始めた。

(…となると、俺は――死ねないのか?)

彼は、自らの内に秘められた能力の深淵を覗き込んだような気がした。

その疑問を検証するため、崇史は自宅のキッチンに立った。包丁を手に取り、その鋭い切っ先を、自らの首元へと向けた。

震える手で、ゆっくりと、力を込めていく。

その瞬間、またしても時間が止まった。

包丁が彼の肌に触れる、そのコンマ数ミリ手前で、世界が再び静止する。

物理法則を無視した、見えない壁。彼の腕は、自らの意志に反してピタリと静止した。

崇史は、その異常な状況を冷静に観察した。そして、「自分で自分を殺す」という思考を止めると、再び時間が動き出した。包丁を持つ腕に力が戻り、重力に従ってわずかに刃先が揺れた。

(やはり……俺は、自分で自分を殺すことすらできないのか)

この能力は、彼の命が尽きることを許さない。それは、守護か?それとも、呪いか?

ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!

今回の話はいかがでしたでしょうか?

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