49・おっさんは心に決めた
おっさんの放った矢は「何もない」所へと吸い込まれていった。
マリがその光景を不思議そうに眺め、再び聞いてくる。
「一体、何を狙ったんだい?」
何をと言われてもよく分からないおっさん。本来あるはずの温度や魔力と言ったものが何もない虚無な空間があったので狙ったのだが、そう言っても理解されるはずもない。
「何を言っているのか分からないが」
ただ訝し気に返してくるマリ
「本当に何か見えたのですか?」
見えないものが見えた。いや、あるはずなのに何もなかったなどと説明にならない説明に疑問の声を上げるヘタ。
おっさんは二人に説明は行っているが、ソレから目を離していなかった。もし動くようなら更なる攻撃をしようと構えていたのだが、動く気配がない。
「どうやら動かなくなったらしいので行ってみよう」
おっさんはふたりをそう促し、温度も魔力も感じないその場所へと向かって歩き出した。
実のところ距離も正確には分からないので、何とか温度を頼りにそこへと向かって歩くのだが、その温度が徐々に消え失せ、いや、上昇していき、森の中に輪郭を示しだす。
それは思っていた以上に近い距離だった。
そうとは知らずに全力で射た矢がどうなっているのか気になりだしたおっさんは、足を速めて目標物へと近づいて行く。
「白熊?」
それを見つけたマリが疑問の声を上げる。そして
「待って。その熊を射抜いたって事?居なかったよね?つい今しがたまで」
「私も見ていません。こんな距離に白熊が居て見逃したなど、あり得るはずがないです」
マリが疑問を呈し、ヘタはあり得ないと断言する。が、事実頭に矢が貫通した痕が残る白い?どちらかと言うと薄いグレーに見える毛色の熊が木にもたれかかるように倒れているのを確認したおっさん。
先ほどの地点から70メートル離れているだろうか。その程度の距離であり、マリの探索術から言って、あり得ない程の至近距離である。シカやイノシシを200メートルは離れた位置から発見し、足跡や噛み痕、糞と言った痕跡から優に数キロは後を追えるほどの能力を持つ彼女が、わずか数十メートルの距離に居て気付かないのは異常と言えた。
ゆっくり近づくマリが熊を観察して口を開く
「ここのところ痕跡を見つけていた熊の年齢や体格と一致する個体なんだけど」
そう言って息絶えていることを確認したマリは、おもむろに足の裏や手、爪などを調べ出す
「間違いない。コイツだ。しかし、そうなると痕跡から足取りを正確に辿れていなかった事になるが・・・・・・」
悩みだしたマリは辺りを見回し、痕跡を探っているが、本来であればすぐに見つかる痕跡を見つけられずに居た。マリはおっさんでも分かるレベルで焦りが見て取れる。
「そんな・・・、もしかしてこの個体こそが影熊?」
マリはそのような結論に達したらしい。
「本当ですか?」
ヘタも驚きを隠せないらしい。
マリが教えられていた影熊は郷周辺に出没する頻度が高い黒い大型の熊であり、それより小型の白熊はめったに姿を見ることはなく、当然ながら白熊が影熊であると言う話は聞いたことがないという。
「影熊は大型で痕跡も残り易くて、ただ、姿を見ることが出来ないせいで狩ることは難しいという話だった。より小型の白熊が影熊になると、痕跡すら残さないなんて・・・、いや、だから、痕跡も残りにくいのか」
マリはひとりで納得しながら、毛皮をはぎ取り出す。
「手伝います」
ヘタも一緒になって手際よく毛皮をはぎ取るふたり。おっさんは手際が悪いので加わることは出来ず、ただ眺めるだけであった。
そして、はぎ取った毛皮にマリが魔力を流せば
「ふむ。これは聞いた通りか」
なんと、うっすら透けているではないか。完全に透明化出来ている訳ではないが、それでも周囲に同化するような状態になっている。
「影熊は我ら森人が魔力を流せばこのように周囲と同化できるようになる。この服も似たような性質の木の繊維を原材料にするが、より効果が大きくなる」
そう言って説明している間にすっかり透明になってしまった。
「とは言え、しっかり加工しないと難しいな」
マリがそう言った途端に元の毛皮へと戻る。
おっさんは、ならば自分でも可能なのではないかと聞いてみたが、あくまで森人の魔力でなければ無理だと言われ、試しに手渡された毛皮に魔力を流してみたが、変化が起こる事は無かった。
おっさんとマリがそんな事をやっている間も、ヘタは黙々と解体を続け、熊の活用部位を次々と切り分けていた。
「ダイキさん、収納お願いします」
そして、すかさずおっさんに収納を頼むのであった。
郷へ帰り影熊を倒して素材を持ち帰った事を告げるとひと騒動起きる事となった。
「影熊を狩った?ここ150年は聞いたことない話だよ」
そんな声がそこかしこで聞こえてくる。
しかも、郷で認識されていた黒熊ではなく白熊であったことも騒動に拍車をかけることになった。
「白熊だって?確かに奴らは慎重だけど、その分、何か起こった時が怖いね」
そんな話になるのも仕方のない事だった。
毛皮や肝は早速加工へと回され、肉は食用として、今夜の宴に供されることとなる。
またの宴でおっさんは学習空しく酔いが回り、マリにお持ち帰りされることとなった。
翌日のこと、おっさんはそろそろひと月半が過ぎたので帰る必要があるとウルホに告げる。
「そう言えば、もうそんなになるんだっけ?」
人間の二倍近い寿命がある森人にとって、やはり時間間隔は人間とは違う。二、三ヶ月など全く考慮に入れずに過ごしているらしく、何やら悩んでいるらしかった。
「う~ん、こんなに早く影熊を狩るとは思っていなかったし、もう三人も子を宿しているからもっと若い者をと思っていたのだけど」
と、思いもよらない発言ではあるが、その言葉に喜んでも居られない。北の村で待つエミリーたちが居る事を、おっさんは忘れていなかった。
「それもそうだね。じゃあ、あと十日くらいしたら送って行こうか」
それでも十日後だというウルホ。おっさんもあと十日、楽しもうと心に決めた。