三下人生
*この作品は習作のために書いたものです。深い意味はないので軽い気持ちでお読みください。
漫画家を目指して3年目の春を迎えた。
ほぼ同時期に志した友人は先日、とある週刊誌にて読み切りだが掲載が決まった。
自分のことのように喜びを分かち合い。ちょっとした打ち上げをあげた後の電車の中で憂鬱になる。
私の最高記録は二次選考落ちで、それはつまりプロの漫画家に一度も読まれる事なく終わっているということだ。
私は今年でもう33になる。
若さは永遠では無い。夢を諦め、現実と向き合う頃なのかもしれない。
駅を降り、自宅の狭いアパートまでの道を歩く。
思い返さえば20の頃は画家になりたくて、本を買い漁り独学で続けたが25で挫折。
25からは陶芸家を目指したがやはり30で挫折。
私は芸術の道で何者かになりたくて懸命に生きてきたが何一つ叶わない。
行動したとて決して実ることのない努力に若さ故の無知と自省しない精神が相まって、激しく空回りを続けていたのだろう。
世間体など気にせず、結婚や定職にも興味を示さず生きてきた結果が今の自分だ。
昭和に建てられた古いアパートの104号室を開けた。
入ってすぐの5畳の部屋を照らす褪せた蛍光灯が点けっぱなしになっている。
消して外出したはずだったが忘れてしまっていたのだろう。
上着を脱ぎ、キーボードの上に置かれたペンタブ用のペンをマウスの横に置くと、右端の方で何かがこちらを見ている気がしたので視線を当てる。
そこには半年前に買ったコンビーフの缶が斜に構えるかのように置かれ、絵柄の牛と目が合った。
単なる絵だというのに今の私を揶揄するような態度に見えてしまい、舌打ちが思わず出た。
「はぁ……」
指で軽く弾いてやり、机から落ちるぎりぎりまで滑っていく。
頭を冷やさなければ。
立ち上がり伸びをし、窓をあけて夜風を部屋に取り込む。
こちらでは雨でも降ったのか湿気を多く含んだ春の暖かな風が、冷えた私の心を温めてくれる。
空は曇ったまま月の明かりさえ差し込まない。
明日は月刊誌に応募した新人賞の結果が出る。
今日ぐらいは根を詰めずに素直に寝よう。
私はゆっくりとベッドに横たわると、すぐに眠りに入った。
結果は今回も落選。
一次通過の時点で落ちるのは久しぶりだったので悔しさよりも虚しさが勝る。
心に穴があき、感情も上手にでてこない。
一体何がだめだったのか検討もつかず、涙一つも出ることはない。
「ここいらが限界か」
自身の才能の無さや今までの人生を振り返り、自殺の文字が過る。
キッパリとやめて新しい道を選べば今すぐにでも楽になれるが、矜持がそれを許さない。
新たな道を選んだとしても失敗して中途半端に終わるのは目に見えている。
一度の成功体験がないまま私は終わりを迎える。
しかしやりきったからこそ、悔いではなく達成感で終える事ができる。
ならば、食べよう。
私は昨日のコンビーフを手に取った。
何かの賞で結果がでたら食べようとずっと考えいてた。
恐らくそれは一生来ないだろうし、なんだか今はこれが無性に食べたい。
付属の巻き取り道具で名残惜しそうに開けていく。
長い切れ端に僅かについた白い脂肪に思わず涎が出る。
腹は減っていないが、空腹を思い起こす香りに沈んだ気持ちも浮上を始める。
すっぽりと被った枕缶をゆっくりと持ち上げると、気持ちよく取れた。
長細く短い繊維質の肉が脂肪で固められた姿で現れ、心は高揚で包まれる。
「うまそう」
胸の内の言葉が思わずでてしまうほど、何度経験しても美しい姿をしている。
未使用の割り箸を開け、愛おしそうに端を先端部に少しだけのせ食べる。
肉本来の味と脂肪が鼻から抜けて脳が旨味でしびれる感覚に支配される。
味がなくなるまで何度も咀嚼し、再び箸をつける。
狂ったかのように繰り返し繰り返しこそぎ落とすような食べ方をすれば1時間はゆうに経つ。
ブリキ缶の底が見え始め、浜辺に打ち寄せる小波のような形にまで減るも、私は容赦なく食べ続ける。
そんなときに電話がかかってきた。
私は夢中のあまり、相手も確認せずに出た。
「はい」
「お、つながった」
「あれ、○○か?」
「おう。いやぁ応募の結果どうなったかなって」
「……落ちたよ」
「そっか」
「ああ。でも今回の事で踏ん切りがついた。俺もう漫画描くのやめるわ」
「えっ?」
「自分の身の丈も分からずにがむしゃらだった。漫画の才能無いにすぐに気づければよかったけどさ、俺
バカだから時間かかっちゃった」
「本当にやめるのか?」
「やめる。良い大人がやめるっていってるんだ。二言はダサいよ」
「やめてどうするんだ?」
「さあ?適当にブラブラしてどこかで死ぬ予定。ああでも色々と整理しないといけないから、すぐにはし
ないぞ。極力迷惑かけたくないんだよね」
「おいやめろ。漫画を描き続けろ。描き続ける事こそが漫画家なんだよ。プロにならずとも漫画家を名乗れるんだ。それにお前のやってることは単なる現実逃避だ」
「説教はやめてくれ。もう切るぞ。俺はもう十分頑張ったんだよ。それで結果が出なかった。これはある種の淘汰だ。誰しもがハッピーエンドを迎えられるわけじゃない。数多くいる人間の中でたかが一人が死ぬことで何か変わる世界じゃない。もう一度言うぞ。俺は十分頑張って、負けた」
我ながら間髪入れず溜めていた想いをぶちまけてしまった。
「負けた。それ以上でもそれ以下でもない。終わったんだ。でもお前と漫画家を目指せたのは良かったよ。あれは楽しかった。だから、楽しいまま終わりたい。これ以上惨めにさせないでくれ」
私は相手がまだ話かけている途中で電話を切った。
そしてまだ残るコンビーフの中身を一気に食べ尽くすと、色が黄ばんだ蛍光灯を見上げた後ゆっくりと目を閉じた。
奥歯に挟まる食べカスを舌で感じつつ、無心となって横になった。
お読みいただき、ありがとうございました。