13 神様の保障されない町
初冬の冷えた空気が肌にまとわりつく。レンガ造りの階段を下ると、土の匂いと錆びた鉄の臭気が鼻を刺した。
地面はひび割れ、焦げた舗装はところどころ泥に沈んでいる。
視線を上げると、崩れた建物の残骸が風雨に晒され、黒ずんだコンクリートの骨組みがむき出しになっていた。
瓦礫は片付けられた場所もあれば、そのまま放置された場所もある。
住民たちは焼け落ちた建物を住処に変え、寒空の下、焚火を囲んでいた。その火からは煙が立ち昇る。
その向こう、はるか遠くの空にも煙が昇っている。
それが復興の証か、焼け跡の亡霊か、誰も気にしない。
一つ言えることがあるのならば、この光景はその煙の元まで続いているということだけだ。
ここは人保町――戦後四年を経てもなお、光の届かない未復興区であった。
俺は軍帽を深く被り、マントを口元まで引き上げる。
すでに幾つかの視線がこちらを向いているのを感じた。
憎悪と、忌避。
前者は、俺が国民秩序庁の人間だからだ。
国民秩序庁は政府直属の機関だ。未復興区の住民にとって、政府は「見捨てた側」であり、俺はその一員に過ぎない。
後者は、この町がスラムと密接に繋がっていることを示していた。
国民秩序庁は旧時代でいう「警察」だ。
そういう連中は、俺を睨むのではなく、避ける。
どちらにせよ、俺は歓迎されていない。
そして、それを際立たせるのが、この制服だった。
俺――藤原一手は、国民秩序庁の軍帽を深く被り、支給された軍服に身を包んでいる。
肩からすっぽりと覆えるマントを羽織っていても、軍帽はどうしても目を引いた。
しかし、それを脱ぐわけにはいかなかった。
俺はマントをさらに引き上げ、瓦礫の中を進み始めた。
◇
記録によれば、人保町は戦前、古市や商店街で栄えた町だったらしい。
グルメが特有の発展を遂げ、穏やかな散策には最適の場所だったという。
しかし、それらは今や見る影もない。
瓦礫の中、かつて商店だったであろう崩れた建物の前で、男が山積みにされた本を整理している。
おそらく、完全に倒壊する前に中のものを取り出したのだろう。
ふと視線が合うと、男は即座に顔をしかめた。
その瞳には、怨嗟が滲んでいる。
俺は目を逸らし、さらに奥へと進んだ。
「おにいちゃん、軍人さんかい?」
街の様子に気を取られていると、不意に声をかけられた。
振り返ると、初老の男がこちらを見ている。
「その軍帽に、薄鈍色のマント。陸軍のところの支給だろう?」
「ええ、国民秩序庁の者です。お詳しいのですね」
俺は手帳を見せながら答える。
陸軍、国民秩序庁の前身の組織だ。
名称が変わって四年になるが、この組織が陸軍としてあった時間の方が圧倒的に長い。名称が浸透していないのも無理はない。
「俺は陸軍と関わる仕事をしていたからなあ」
男は胸を張りながら続ける。
「にいちゃん、ここの人らは軍人さんへの当たりが強いだろう?」
「......まあ、ええ」
「すまねえなあ、だがここの連中の気持ちも汲んでやってくれや。俺はにいちゃん達が立派にやっているのは知ってるからなあ」
俺は軽く笑ってみせた。
「ところで、ここに『アナキズム』というギャングがいると聞いて来たのですが――」
瞬間、空気が変わった。
俺に向けられる視線の温度が、僅かに変化する。
先ほどまでの冷たい目や忌避の態度が、微かな警戒へと転じた。
男は眉をひそめ、少し沈黙した後、
「......アナキズム?そんなもん、関わらないほうがいいぜ、にいちゃん」
とだけ言った。
その言葉には、「知らない」と言うには不自然な間があった。
「強盗やひったくりの被害届が多数出ています。いくら子供だけの組織とは言え、武装している集団を放置することはできません」
「私は彼らを検挙するためにここに来ました。彼らの情報があったら教えていただきたい」
俺ははっきりと言った。
すると、別の男が前に出る。
彼の目は、俺を試すように細められていた。
「......検挙する?にいちゃん、たった一人でかい?」
「......ええ」
沈黙が落ちた。
そして――
「そりゃすごい!俺たちもあいつらにはずっとやられっぱなしだったんだ!」
歓声が上がった。
「あいつらはこの先の廃墟になったビル群を根城にしてるよ!」
「最近は武器を手に入れたみたいだけど、軍人さんなら大丈夫さ!」
「助かるよ、にいちゃん!てっきり軍人さんはもう来ねえのかと思ってた!」
周囲の声が次々と重なっていく。
持て囃される。
だが――
俺は、この変わりように微かな違和感を覚えていた。
ついさっきまで、俺を睨み、避けていた人々が、今では救世主を迎えるように、好意的な言葉を並べている。
こんなにスムーズに情報が手に入るものか、と。
だが、それを考える暇もなく、俺は住民たちの言葉に押し流されるように、ビル群の方向へと足を進めていた。
――なんとなく、いい気分だったのが、一番最悪だった。