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最悪の一手  作者: 井内鯉々
第一章
2/7

11 上官殺し

5年の更新でございます。

 重厚な扉を開けた瞬間。室内に響いていたざわめきが、ふと止んだ。


 ーーまたか。

 藤原一手(ふじわらいって)は、軽くため息をつく。


 陸軍の本部だった場所を改修し、今の組織の会議室として使っているこの大部屋。

 天井は高く、机が整然と並ぶ。普段は報告書や荷物が散乱していて、決して静かな空間ではない。

 だが、俺が来るときに限って、こうして沈黙が訪れる。毎度のことだった。


 扉を閉めながら、視線だけで周囲の雰囲気を探る。すぐに、くぐもった囁き声が耳に入る。


「こいつだ…」

「あぁ、例の“上官殺し”か」

「六十人死んで、自分だけ生還とか…」


 小声のつもりだろうが、俺の耳ははっきりと捉えていた。

 こういうときばかりは、この地獄耳が疎ましい。


 噂はまだ消えていない。いい加減、聞き飽きた。


 眉間に皺が寄る。


 曇天作戦の結末――六十人以上の犠牲、行方不明となった上官。

 生き残ったのは俺だけ。

 その結果として生まれた、「上官を殺して手柄を横取りした」という噂。


 どれだけ時が経とうが、この空気には馴染めない。

 俺が選んだ道なのだから、仕方のないことではあるが。


 早く報告を済ませて、出よう。


 足早に会議室を進む。背中に突き刺さる視線が痛い。


 ◇


 会議室の奥に、彼女が立っていた。


 加藤毬音(かとうかさね)


 細身の長身、着こなした制服に無駄な皺はない。

 背中まで伸びた艶やかな黒髪、水晶のように澄んだ瞳。

 どこか人工物のような、整いすぎた美貌だった。


「報告は?」


 その美貌に一瞬見惚れかけたが、彼女の声がすぐに現実へ引き戻した。

 表情筋は微動だにせず、声にも起伏がない。

 まるでロボットのように淡々としている。


「あ、はい…」


 慌てて書類を取り出す。


「…先日依頼された手配犯、奥村礼二(おくむられいじ)の件ですが、こちらの突入タイミングが漏れていたのか、もぬけの殻でした。おそらくダミー情報に…踊らされた形になります…」


 言いながら、胸の奥に情けなさが込み上げる。

 言い訳がましい報告になった自覚はある。

 身構え、厳しい言葉を待つ。


 しかし、毬音は「そう」とだけ答えた。


 それだけ?


 怒りも苛立ちもない。むしろ、何も思っていないかのように、あっさりと流した。


「その件は一旦置いといて、新しい任務があるの」


 毬音の声は、相変わらず平坦だった。


「人保町のスラムで、子供たちの犯罪が頻発している。復興区でも被害が出始めたから、まとめて検挙してきて」


 まとめて検挙、って…子供の集団?


 嫌な予感がした。


「あ、もしかして『アナキズム』って名乗ってる少年ギャングのことじゃ…」


 俺の言葉に、周囲の数人が反応する。


 悪名高い子供犯罪集団。

 ひったくりから始まり、強盗、破壊活動。最近は武器を手にしたことで、手がつけられなくなっているという。

 子供とはいえ、武器を持った連中だ。本来なら隊員数名で一斉に検挙するのが常道のはず。


「子供とはいえ、あの子たちは武器を持っていて…凶暴化しています。指名手配犯の追跡とは訳が違いますよ。流石に一人ではーー」


 言いかけた瞬間。


 毬音の手が、すっと俺の頬に添えられた。


「大丈夫、武器を持ったとはいえ子供は子供。あなたに対処できないはずがない」


 その表情筋は一切動かない。

 そして、淡々と続ける。


「そうでしょ?“上官殺し”さん?」


 会議室の空気が、一瞬にして凍りついた。


 心臓が、バクンと跳ね上がる。


 …えっ?


 毬音の顔は変わらない。

 その言葉の真意を測りかねる。


 まさか、本当に疑ってるのか…?

 いや、毬音に限ってそんなはずはない。

 だが…。


 ぐるぐると考えが巡る。


 何か言おうとしたが、その前に毬音が別の隊員に呼ばれた。


「がんばってね」


 そう言い残し、彼女は去っていった。


 ◇


 俺はその場に立ち尽くしていた。


「…なんなんだよ…」


 呆然とつぶやく。


 すぐそばの隊員たちがチラリと俺を見て、小さく口を噤む。


 いたたまれなくなり、足を動かした。


 逃げるように会議室を出る。


 入った時よりも軽くなったはずの扉が、背後で重い音を立てて閉じる。


 まるで「さっさと消えろ」と突き放されたように感じた。


 結局、俺は噂に縛られたままか…。


 廊下の薄暗いガス灯が、俺の影を長く引き伸ばしていた。

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