#1 夏の日、君の香り。
あの夏、僕は、何もかもが嫌いだった。
蝉の声、眩い日差し、HR前の騒がしさ、母親、勉強。
全てが嫌いで、でも逃げ出せるほど僕は強くなくて。
そんな現実から隠れるかのように僕は放課後旧校舎の空き教室に入り浸っていた。
空き教室にひとりでいると、他のことなんか一つも気にならなくなって自分の世界にはいれた。
ある日いつものように空き教室に入ろうと思って扉を開けるといつもとは違う匂いがした。
最初は何かわからなかったけど少し考えるとすぐに分かった。紅茶の香りだった。
香りの元をたどるとそこにはひとりの少女が座っていた。
紅茶を優雅に飲む少女は天使のように美しかった。
白いワンピースは夕焼けに照らされオレンジ色に染められていて凄くきれいだった。
思わず見とれてしまった。何分たったのだろうか。
実際は数秒だったのかもしれない。
しばらく惚けていると彼女にかけられた一言で我に返った。
「紅茶、飲む?」
どこから持ち込んだのだろうか、オシャレな飾りが施されたティーカップとポットが机の上に乗っていた。
「いや、遠慮させてもらうよ。」
特に紅茶が飲みたい気分でもなかったし、彼女が誰かもわからないかったから断らさせてもらった。
「そっかぁ。」
彼女の間延びした声が夕焼け色に染まった教室に響いた。
制服を着てないということはこの学校の人ではないのだろうか。
「ねぇ、君の名前なぁに?」
急に話しかけられてびっくりした。
「橘 浩太。」
「へぇ、コウタって言うんだ。」
「君は?」
「んー?私はねユキだよ。ね、コウちゃんって呼んでいい?」
「別に、良いけど。」
呼ばれなれないあだ名は少しくすぐったかった。
「ねぇ、コウちゃん。コウちゃんは幸せ?」
変なことを聞く子だ。
「普通、かな。」
「そっかぁ。私ね人を幸せにしたいんだ。それが一人でも大人数でも。
たからね、コウちゃんは記念すべき一人目だよ!」
言ってることがよくわからなかったけど。
本気なのはわかった。誇らしそうに胸を張って目を輝かせながら言っていたから、本気なのは伝わった。
いつもと違うことが起こったけど、かまわず僕はいつも通り本を読むことにした。
「コウちゃん。何の本、読んでるの?」
暇、だったのだろ。
少し経ってからユキが問いかけてきた。
「ミステリー。」
「ジョイランド?スティーブン・キング?誰?」
「スティーブン・キング知らない?ホラー・ミステリー小説で有名だけど」
「私、本読まないからなぁ。」
「君、さっきから紅茶飲んでるけど何の紅茶飲んでるの。」
「私"君"じゃなくて"ユキ"って言うんですけど。」
名前で呼ばないと話してくれない気らしい。
「ぁ、えっと…ユキ。」
満足らしい。笑顔でこちらの顔をのぞいてくる。
「えっとね、この紅茶なんだけどねー
ファイブオクロックティーって言ってね、アフタヌーンティーにぴったりなんだよ!
今は4時だけどねー」
と、小さく笑う。
ユキは紅茶が好きらしい。
それから紅茶の種類やおいしい入れ方、香りについて話した。
一段落ついたところでまた僕は読書にもどった。
ふと時計を見ると5時を回っていた。
そういえば、ユキに聞きたいことがあったのを忘れてた。
「ねぇ、ユキ。君は」
まで聞いて言葉が途切れた。
さっきまでいたはずの彼女がそこに居なかったからだ。
紅茶の香りを残して彼女は、ユキは居なくなっていた。
彼女は誰だったのだろうか。
結局何もわからないかった。
また明日会えたら聞いてみようか。
柄にもなく明日が楽しみでほんの少しだけ胸が高鳴った。