4 あやめ
たった五分問で、人が一人。それも、うら若い女子高生が無残にも死んだことによる喧騒が、鳴り止むわけがない。
「……ほんと、すごい人」
げんなりとした気持ちでロにする。五分も大泣きして、喉も嗄れてひどく汚い声が出てしまった。
普通の人とは存在する相が違う私には関係ないけれど、立ち止まっていれば、身動きも取れないほどホームには人が集まりそうだ。事情を知らない人が入れ替わりホームや改札へと溢れかえっているのだろう。このまま、ここにいたってしょうがない。
駅のホームから改札に続く階段を降りていく。たくさんの人が歩き、顔をしかめ、携帯を睨みつけていた。あからさまにため息を吐き、不満を露わにする人。遅刻の言い訳になるね、などと笑って口にする、彼女と同じ制服を着た女子高生の姿もあった。
たくさんの人がいた。たくさんの人がいるのに。誰一人として、彼女の死を悼んではいない。不満と、憶測に満ちた好奇心だけが、辺りに漂っている。
「どう? 落ち着いたかな」
改札を抜け、駅を出ると、足元にはいつもの調子で黒猫が座っていた。太陽は眩しく暑いぐらいの光を浴びせてきているのに、真っ黒な黒猫は暢気な顔して欠伸をしている。
返答代わりに、私は腰を低くして、その真っ黒な毛並みを頭から撫でてあげる。まるで本当の猫のように、彼は目を閉じて思うがままに撫でられていた。
「……あなた、太ったわよね」
「……こっちは心配して聞いてるのに、随分な物言いだね」
「ごめん。明るいところであなたを見て、しみじみとそう思っちゃって」
最初にこの子と会ってからどれぐらいの年月が経ったのか。正直、よくわからないまま過ごしてきたけど、普通の成長を飛び越して、やっぱり肥えてる気がする。
「そろそろ猫も飽きてきたから、別の生き物になってもいいんだけどね。君は何か希望ある?」
「別に……そもそも私と一緒にいるからって、普通の動物の姿をすることもないでしょう」
「やっぱり見て安心してもらえる姿の方が、僕も気楽なんだよ。君みたいな愛らしい姿をした少女の傍にいるには、やはり同じように愛らしい動物が一番なのさ」
「……まぁ。一緒にいてくれるだけでありがたいから、なんだっていいけど」
意味はない。理由もない。続ける価値もない。私がしていることは、ただの野次馬だ。本質的には、あの駅のホームで携帯を構え、写真を撮ろうとしていた人たちと変わらない。
未練を知ってあげたい。最後に、悲しんであげたい。
別に、頼まれたわけでもないのに。
自己満足の極地だ。そんなことを、身勝手に続けてきているだけなのだ。
「まだ、続けるのかい?」
私の心境を読み取ったのか、黒猫が問いかける。
「私は……」
今更、迷いのような、不安を生み出す感情が芽生えていることに気づく。意味も価値も理由もなく、ただ、人々の無念を知って、受け止めて。いったい、何になるのだろうか、なんて。
今更、そんなことを思ったって。
「パパー!」
俯いて、答えをうまく返せない私の体の間を、誰かが駆け抜けていった。
私を通り抜け、走っていく、私よりもずっと小さな女の子。首元で切り揃えられた黒い髪の毛が、太陽の光を受けてなだらかな光の線を作っていた。
「電車、動かないって」
女の子が駆け寄った先には、一組の男女がいた。女の子がそのまま健やかに成長した姿にも見える女性は、きっと彼女の母親なのだろう。駆け寄ってきた女の子に笑いかけ、頭を撫でる。
「そっか。困ったなぁ……」
その隣に立つ、低く、それでいて柔らかく、優しい声で答えた青年の姿を見て。
胸の内から。なくさないと誓って、受け止めて、ここまで持ってきた想いが、私のロを動かす。
暗い部屋で、怒りを露わにして、涙を流しながら、写真を何度も踏んでいた姿。その姿を見て抱いた彼の想いが、溢れる。
「……大きく、なったね」
あんなにもみっともなく、声を上げて泣いたのに。まだ私から涙は溢れるのか。いったい、どれだけ泣けば、私の中から涙は涸れるのだろうか。
限界なんかないと、自分でもわかる。だって、私の中には、これからもずっと、たくさんの想いが増えていくだろうから。
「ああ……うん。嬉しい、嬉しい、な」
もっとあの家族の姿を眺めていたいのに、視界がぼやけてしまう。涙で滲んで、よく見えない。太陽の光に照らされて目に飛び込んでくる、無数のまぶしさに目が眩んでしまう。
「……続けるよ。これからも、ずっと」
私を心配げに見上げてくれていた黒猫を抱き上げ、その金色の瞳を見つめ返しながら、言う。
「続けてきたから、私は、あの光景を美しいって思えるのだから」
嫌なことも辛いことも目にしてしまうけれど。それでも、あんなにも綺麗な光景を、綺麗だって思える心を、なくしてしまいたくないから。
拾って、受け止めてあげることのできる自分が、今では誇らしい。
「はいはい、わかったよ」
呆れたように、それでも、嬉しそうな声で、彼も笑う。
まだ流れ、伝おうとする涙を、彼のザラザラの舌が舐めとる。
擦り過ぎて、涙に荒れた頰に、それはちょっとだけ痛かった。