苦労についておっさんが思うこと。
ちょいと周りで色々あって思うことが有ったので、少しだけ文字を書いてみることにします。
何が気になかったかというと、人の苦労と自分の苦労は違うってことと、自分の地獄と他人の地獄は違うということです。
やっぱり人間、自分が頑張っている時って、同じような立場の他人が弱音を言うとイライラしたり、逆に自分の抱えている苦労を知って欲しいと思う時があると思います。
そして老若男女に関わらず、自分が弱音を吐く人の問題を乗り越えた立場ですと、弱音を吐いたり愚痴を言う人に、その程度で甘えるななどと、つい厳しい感情を持ってしまう事って、どなたでも多かれ少なかれあると思います。
そうしたすれ違う感情を、全く関係のない第三者視点で見ていますと、私もどちらかと言えば苦難を乗り越えてきた側なので、私程度でも乗り越えられる事ですと、大変だと言う方の人の気持ちを軽視してしまいがちですが、同時に己の感じた思いが正しい意見なのかと考えることが有ります。
その年頃の自分はどの程度のレベルだったか、自分はこれまで生きて来た上で、その程度の愚痴を零さずに生きてこれたかと、今一度冷静になって振り返ってみるのです。
今まで人生を生きた上で、私だって多くのことに絶望したり、多くの方に裏切られて生きて居ますから、愚痴を述べた数など覚えていない位ありますし、そうして愚痴を口にする事で自分を慰めたり、苦難に負けるなと自身を奮い立たせたことだって有ります。
ならばどうして人は他人の苦しみが理解出来ないのか、そこに温度差があるのは何故なのかを考えましょうと言いたいのですけど、この設問は意外と簡単で分かりやすいと思います。
なぜかといえは、苦しみという感情には絶対的な指標がなく、個人差が大きいという点が影響を与えているからです。
そんな苦しみを数値で表した有名な例を挙げるなら、人間というのは普段の生活に関わるお金以外に300万ほど借金をすると、その返済を苦に死んでしまう人が出るそうなので、これを例にして語ってみましょう。
世の中にはごく当たり前に十倍位の住宅ローンを組んだりする方は多く居ますし、300万程度するワンボックスカーをローンで買ったりする風景はよく見ますが、どちらも多くの方が当たり前に返済していますので、300万が命の値段と言うと、皆さんは意外と安く感じるかもしれません。
ですが、案外300万というのはバカに出来ない数字でして、実際は借り方にも問題が有るのですが、300万を消費者金融で借りた場合、金利が非常に高いのです、ヘタすると数十万借りた程度で返済が難しくなり、死にたいと感じる人って想像以上に多くいると思います。
こうした両者の違いが何処にあるのかといえば、返す意思や方法があるというのもあるでしょうけど、返せそうもない借金、この事実から逃げたい気持ちなんだと思うんです。
自分の借金の意味を考えられる人は、最悪の場合は自己破産も含めて色んな方策を考えるし、それによって起こるリスクやデメリットを考えますけど、借金を背負うという事実に立ち向かえない人って、多くを考えずに楽な方法に走ったり、自分は頑張っているのに返せないのは他人が悪いとか、世の中が悪いなど、自分の置かれた状況への不平不満が出てきます。
必死に借金を返している人から見れば、そうした発言って甘えてるとか、ふざけるなと思うでしょうし、その程度でなんで死ぬのって感じたりしてしまうのだと感じます。
でも、返せないと思ってる人って、基本的に自己破産もしたくないし、なにか良い返済方法も思いつかいないし、絶望的な状況だと思い込んでいますから、一般の認識とかなり乖離した状態になっていて、こうした認識の違いは非常に重くて、結果として返した人が正論を言った所で、返せない人には分からないし、貴方と私は違うからと突っぱねられるのがオチだったりします。
ここまで俗物的な事じゃない話で語るなら、例えば鬱とかお医者さんの言うことを聞いてしっかり治療を頑張っている人と、自分の置かれた状況で弱さを曝け出す人では考え方が違いますし、互いにその感情を理解するのが難しいと思います。
きっと愚痴らないと頑張れないし、自分を可愛そうだと思わないとやってられないんです。
そうした個人の資質の部分をどこまで認めるか、それは個人の度量よると思うんですけど、もし貴方が辛いことを乗り越えたり、人が驚くような事を成し遂げた方なら、それは凄いことだと思っていいですけど、相手にそれを求めすぎるのは良くないかもしれません。
世の中はやれば出来る子と。やっても出来ない子が居て、貴方は出来る子で相手はできない子だから、一方的に私が出来たんだからやれと言っても、できない子には簡単ではないし、上手く出来ないんです。
それが仮に貴方の言うとおり、本人の甘えだったとしても、職歴のない40~50の引きこもりに、今から直ぐに正社員になれと要求するようなことなんですよ。
常識的に考えてよっぽどの幸運がない限り無理でしょうし、ひきこもりを脱却させたいなら出来そうな事を勧めるしかないでしょう?そうやって出来る事をまずは語るしか無い、そう私は思います。
そうやって手を伸ばしても、どんなに建設的に話しても通じないなら、時にすっぱり諦めて離れてしまうのも必要なんじゃないかと思います。
3000万の住宅ローンを抱えても、自分の家族の為と死にそうな状況で歯を食いしばる人もいれば、先を考えずに借りた300万の学資ローンを返すのが難しいから死にたい、そう訴える人が居る世の中なんですよ。
結局、人間というのは他人の事はおろか、自分の弱さや凄さすらロクに分かってないんです。
ですから、ネットで互いの思いや意見を交換する事自体はいい事だと思いますけど、そうした時に相手の立場を考えない忠告をした場合、相手にとって謂れのないヘイトに成り下がる事はよくあると思います。
相手をきちんと理解しない発言は攻撃となり、結果としてどんな良い言葉でも恨まれてしまう事にしかなりませんし、悲しいすれ違いを産み、より大きな不幸を生み出す火種になるかもしません。
苦しみって絶対的な指標がないし、大変だと感じる感情は本人次第ですから、もし他人の地獄が常識的に見ると生温く感じてしまって、怠けたり甘えてると感じたとしても、貴方がその地獄を知っているのでしたら、その時の気持ちを思い出し、大らかな気持ちで寄り添うことをおすすめします。
などと他所様の問題を考えて、色々取り留めもなく感じた事を文字にして纏めてみました。
その人なりに頑張って生きてるんだろう、そう思うと世の中を少し優しく見れるような気がしますので、他人の行動にイライラした時には、今一度自分の過去を考えてみるのも悪くないかもしれませんね。