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 広大な敷地――国内屈指の名門大学のキャンパスを抱え、周辺には人工的な森や河川まで巡らせている莫大な敷地の片隅に、桃井研究所は建っている。

 研究所だけでも、一般の小中学校の敷地など優に超えるだろう。そして、言うなれば校長室のある本校舎、といった本館が、敷地の中央に据えられている。


 そこは本館の、とある一角。

 三階建ての建物の最上階にあるこの部屋のドアには、「柊史郎様の部屋」という札が下がっている。言わずと知れた、研究所始まって以来の問題児の部屋である。

 室内はというと、窓を背にして執務机が置かれており、その前には応接ソファとテーブルが配置されている。壁には薬品棚や書棚が並び、隅には小さな流し台も備え付けられているといった、一見よくある造りだ。――もっとも、薬品棚に並べられているのがモデルガンだったり、何気なく置かれた置物が酷くリアルな骸骨だったり、ソファに豹柄のカバーが掛けられていたりすることに目を瞑れば、であるが。

 部屋の主はというと、少年の域を出るか出ないかといったところで、まだ若い。十八歳という年齢を考慮するとどちらかというと童顔の部類だが、右手で抱えた本に集中している伏せ目がちの眼差しは、十分に知的である。まばたきの度、白い頬に落ちた睫毛の影がかすかに震え、時折前髪をかきあげる仕草も、ページをめくる指の動きも、やけに絵になる。――読んでいる本のタイトルが『日本昔話』だったり、指にはめているのが蛇を模った銀の指輪だったり、読書の体勢が椅子に深く腰掛けてブーツを履いた両足を執務机に投げ出している格好だったり、ということを考慮してもなお、である。

 午後のひととき、桃井柊史郎は読書に勤しむことを常としていた。

「と~しろぉ~~~~~っ!!」

 そんな雄叫びが階下から届いても、気にするような彼ではない。続く足音も完全に無視である。

「――頼政、お茶」

「はい」

 大山頼政は、もともとは桃井庄蔵の助手として雇われた男だ。しかし、ここ数年来は実質上柊史郎付きの世話係――もとい、助手という扱いになっている。

「一昨日は島根の源氏巻、昨日が広島のもみじまんじゅうでしたから、今日は岡山のきびだんごを用意しました」

 温厚を絵に描いて額に入れたような白衣姿の男は、眼鏡の奥でにこやかに目を細める。慣れた手つきでお茶を淹れると、湯呑をすっと柊史郎の目の前に差し出した。

「明日は鳥取の砂丘饅頭なんて、どうですか?」

「悪くないな」

 にこりともせず、柊史郎はそれを受け取った。大きく「俺様」と書かれた、特大の湯呑だ。

 その間にも、雄叫びと足音が近づいてくる。

「遠野くん、いらっしゃったようですね」

「……進歩のないサルめ」

 柊史郎がずずっとお茶をすするのと、この部屋のドアが勢いよく開くのとは、ほとんど同時だった。

「柊史郎、てめぇっ!」

 興奮状態のまま三階分の階段を一気に駆け上り、廊下を猛ダッシュしたのだろう。いくらか息も荒いまま、遠野和臣は部屋に飛び込むと、ソファを飛び越えて柊史郎に突進した。

「遠野くん、一緒にお茶しませんか? 今日のおやつはきびだんご……」

「俺のIDに妙な細工したのはお前だろうっ?」

 和臣は怒鳴りながら、机を拳で叩いた。当然、呑気にお茶を勧める声など聞いてはいない。

「あれじゃあ使い物にならないだろーがっ!」

「ほう。お前の脳味噌のほうも、さっぱり使い物にならんようだが?」

 しれっと言いながら、柊史郎は湯呑に口をつける。

「なんだとこらぁっ!」

「あんな簡単なパスワードも解けないくせに、偉そうな口を叩くな。そもそも、ここの大学に通っているというツテだけで雇われているアルバイト風情、つまり下僕同然の身分にありながら、俺様に逆らおうというその根性が気に食わん」

「だぁれが下僕だ、誰がっ!?」

 叫んだ和臣の腕が、柊史郎の胸倉に伸びる。

 が、次の瞬間。

「ぶわっ?」

 和臣は顔面に液体を噴射されて仰け反った。

「甘いわ、猪突猛進バカ」

 嘲り笑う柊史郎の左手には湯呑、右手には――水鉄砲。しかも、一見そうだとわからないモデルガンの銃口の上に、わざわざ馬鹿にするように「水鉄砲」という小さな旗が立っている。

「て、めぇ……っ」

「ただの水だ、感謝しろ。唐辛子成分を混ぜてやろうかと思ったが、お前の知能レベルを思い遣って勘弁してやった」

「……絶対、殺す!」

「やってみろ、バカザル。二十歳過ぎても大学に通っているような貴様に、俺は倒せん!」

「二十歳で大学生で何が悪い!?」

「俺は十歳で博士号をとったぞ」

 柊史郎は鼻で笑うと、執務机の上から悠然と足を下ろして、その足を組んだ。

「てめぇと一緒にすんな! この童顔チビがっ!」

「――童顔チビ、だぁ?」

 瞬間、柊史郎の眉間がぴくりと反応する。

 それを察知するや否や、危機を予期した頼政が笑顔の割には強引に、和臣を柊史郎から引き剥がした。

「ま、まあまあ……っ。僕が話を聞きましょう、遠野くん。一体何があったんです?」

「俺のパスワード、こいつが勝手に変更しやがったんだよ!」

「……念のために伺いますけど、それは遠野くんが間違えたとかではなくて、ですか?」

「入力エラーになる度に、「貴様は無能だ」だの「人間失格」だの「サルは山へ帰れ」だの表示されるんだぞっ! そんなふざけた真似をするのは、こいつしかいねぇ!」

「それは……まあ……非常に柊史郎くんらしいです……よね?」

「よね? じゃないっ。あんたは柊史郎に甘過ぎる!」

 猛然と講義する和臣の背中に、いつのまにか柊史郎が迫る。

「童顔……チビ……って言ったよなぁ?」

「と、柊史郎くん、落ちついてください。僕と遠野くんが長身なだけで、決して柊史郎くんが世間一般に小柄だというわけでは……っ」

「上等だ、くそザルっ!」

「やる気かこらぁっ!」

「わあぁっ、落ちついてください! 今度研究室を壊したら、所長に顔向けができませんっ」

 頭を抱える頼政の目の前で、開始される第一ラウンド。

 またの名を、研究所の名物バトル。しかし、巻き込まれる人間にとってはこの上ない迷惑な日常なのである。




「やだあ、またやってるの?」

 能天気で少し甘ったるい声が緊張感を打ち破ったのは、飛んできた骸骨の置物を、頼政が思わず抱き止めた瞬間だった。

「つ、椿さん、これは……」

「わざわざ説明しないでいいわよ、頼政クン」

 呆れ顔で言いながら、椿はつかつかと二人に歩み寄る。そして、手にしていた新聞を丸めるなり、それを勢いよく振り下ろした。

 パコーンと乾いた音が二つ、立て続けに響く。

「椿さん、いつの間にっ」

 裏返った声を出したのは和臣の方だ。柊史郎は舌打ちしてソファに座り込む。

「いい加減、和臣クンで遊ぶのやめなさいね、柊ちゃん」

「……柊ちゃんって呼ぶな」

 じろり、と柊史郎は睨むが、椿には通用しない。

「まったく、万年反抗期なんだから。柊ちゃんって顔は最高級に可愛いのに、なんで性格は捻じ曲がってんのかしら。DNAの異常? こんな弟を持ったあたしって不幸だわ」

 椿は小首を傾げて、悩ましげなため息を漏らす。

「そうですよ、椿さんっ。我が大学の花! ミスコングランプリの椿さんに、そんな悲しい顔をさせるなんて、とんでもない奴です!」

 和臣は大きく頷きながら、目を輝かせた。今日のミニスカートは一段とよく似合っていますね、などと場違いなお世辞を口にしながら、精一杯ハートマークを飛ばしている。

「――頼政、お茶!」

 柊史郎は不機嫌このうえなく怒鳴った。

「はい、どうぞ」

 いくら仏頂面の命令口調だろうが、頼政はあくまで従順だ。研究室崩壊の危機を免れて、あからさまにほっとした笑みを浮かべながら、湯呑を差し出す。

「ほんと、頼政クンって柊ちゃんに甘いんだからー」

 やあねぇ、と言う椿は、あたしにも淹れて、と付け加えることも忘れない。

「そういう、ご主人様と下僕みたいな関係ってば、見ている分には楽しいけど、アブナイわよねぇ。ほら、柊ちゃんって口は悪いけど大人しくしてるときはまるでどっかの王子様みたいだしぃ、頼政クンって背も高いし、白衣と眼鏡が似合うインテリ系としてはいい線いってるわだしぃ。ねぇ頼政クン、いくら可愛いからって柊ちゃんのこと襲っちゃだめよ」

「つ、椿さんっ、僕はもう結婚してるんですから……っ」

 そういう問題じゃねえだろ、と突っ込む和臣の冷静な発言は、けらけらと笑う椿の声に掻き消される。

「やだぁ頼政クンたら、やらしー」

「……腐れ外道が。脳味噌洗濯して、出直して来い」

「んまぁ柊ちゃんっ、お姉ちゃんに向って、なんて口のきき方すんのよ」

「柊ちゃんって呼ぶな!」

 柊史郎は苛立ちを隠さず声を荒げると、湯呑をテーブルの上に叩きつけるように置いた。

「用件は何だ、用件はっ?」

「あ、そうそう。遊んでる場合じゃなかったわ。これよ、これ」

 椿は言いながら、初めて表情を改めた。手にしていた新聞をばさっとテーブルに放る。

「鬼島研究所、AI搭載掃除ロボット開発に成功。……だからなんだ?」

「だからなんだじゃないわよ、柊ちゃん。この男よ、うちのデータ盗んだのは! ほら、この性能の説明部分、見て。主人には絶対服従、掃除ロボットとはいえ命令とあらば三回まわってワンと言う! これって、間違いなく柊ちゃんが作ったやつでしょう? おじいちゃんの誕生日プレゼントにあげたのと、そっくり同じじゃない!」

「ああ……俺が十三のときに作ったオモチャか。その翌年、ジジイが整備の名の元に、結局ぶっ壊して終わったんだったよな」

 興味ないと顔に書いて、柊史郎は再び茶をすする。

「……そういえば所長、あのときは顔面蒼白でしたよね」

 しみじみと、頼政は頷いた。

「どうせ、わざと意地悪な回路設計でもしていたんだろ」

「正解よ、和臣クン」

 大袈裟に溜息をついて、椿は続ける。

「ともかく、この鬼島寅之助ってやつ、最低なんだから! あたしは覚えてないけど、この人、もともとおじいちゃんの助手だったのよね。赤ら顔の下膨れで頭の天辺は薄いのに、もみ上げだけは異様に長い! 何年か前まではしょっちゅう出入りしていた変態よ。あたし、三度もお尻を触られたわ!」

「ええっ! なんて極悪非道な奴なんだ!」

 和臣が過剰に反応したのは、鬼島が桃井庄蔵のかつての助手だったということよりも、椿に対するセクハラ行為に対するものだ。

 柊史郎は、ちっ、と舌打ちして、うんざりしたように言う。

「だから、それがどうしたって?」

「だからぁ、おじいちゃんってば寝込んじゃったのよ」

「……寝込んだ? あのジジイが?」

「余程ショックだったのよ。四年前に鬼島が訪ねてきたとき、たまたまデスクの上に解体直後のロボットの部品一式、置いていたらしいのね。柊ちゃんから貰ったものだから、どうにか元通りにしようと必死だったのよ。だから、その時にデータを盗まれたに違いないんだわ。おじいちゃんったら、不用意にも端末を起動したままだったらしいんだもの」

 無用心よねえ、と言いながら、椿は頼政の差し出したお盆から湯呑を受け取り、ソファに座った。

「柊史郎じゃあるまいし、まさか昔の助手がそんな真似するなんて思わなかったんじゃないのか?」

「所長は、とてもお人好しなところがありますから……」

「けどさあ。――あ、どうも」

 椿と同じように湯呑を受け取り、和臣は続ける。

「柊史郎が作った捻くれロボットをコピーできるなんて、その鬼島ってやつ、すごい科学者なんじゃないのか?」

「そうねえ……ある意味、類友かも。常人の理解を超えているという意味で、だけど」

「あんまりですよ、椿さん。柊史郎くんは、鬼島さんよりもずっと綺麗で頭脳明晰です!」

「やだー、頼政クン。やっぱり柊ちゃんに気があるんでしょー?」

 顔の横で右手をひらひらさせながら、椿がまた、けらけらと笑い声をあげる。

 その瞬間、柊史郎がソファから立ち上がった。

「あ、柊ちゃんったら怒ったの?」

「柊ちゃんって呼ぶなと言ってるだろうが、ニワトリ頭」

「なにそれー?」

「三歩歩いたら忘れるもの覚えの悪さは、ニワトリ級だって言ってんだよ、馬鹿椿」

 あからさまに見下した口調で言い捨てると、柊史郎はさっさとドアに歩いていく。

「なによー。柊ちゃんこそ、お姉ちゃんって呼びなさいよね。せめて、椿ちゃん!」

「呼べるかっ」

 振り向きもせずに、言い放つ。そしてそのまま、柊史郎は研究室を後にしたのだった。

 ひどーい、と頬を膨らます椿を大袈裟に慰めるのは、毎度ながら和臣の役目である。

 頼政は小さく吐息を漏らすと、温和な笑みを浮かべた。

「お二人とも、お茶のおかわりはいかがですか?」

 この日が何事もなく過ぎ去ることを、そっと心の中で願う大山頼政――研究所の名物苦労人である。

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