【おまけ】彼女がぶーちゃんになった理由
::ノーサンクス。NOSANKS。電脳世界。
『知らない男からのメールを開くのはどうかと思うけど、お久しぶりです_
このメールに心当たりがある方は、このアドレスに返信してください_
来家 遼』
うるさいよ。でも、待ってた。
*
「誰?」
でも2時間悩んで私が返したメールがこれだぜ。へへ。
『久しぶり_』
そして送信直後に返信が来て椅子から飛んだ。2センチ。
なんだよ暇人か! 今、平日の夜だけどさ!
「質問に答えてない。違反報告するぞ! 誰だあんた!」
自分が面倒くさいのは知ってる!
『報告、どうぞ_
そっちも、心当たりがあるから、返信してるんでしょ?_』
===来家 遼 さん が あなたの《ルーム》に 《訪問》 しました===
「ふぁあああ」
リアル叫んだ。助けて。ネットの距離のなさ、容赦ない。
===来家 遼 さん を あなたのルームに===
招き入れます
→拒否します ぴこん♪
『拒否!?_』
拒否した途端にメールが飛んでくる。この人、テキストチャットばっかりだったからなめてたけど、さすがにアクターやれるだけあって、処理早かったんだなあ。さっきからのやりとり全部、いちいち開くタイプの長文対応メールなんだよ、短文専用の個人メッセンジャーじゃないんだよ。
「無理!」
『なんで!?_』
「うるさい泣くぞ!」
『ぶーって?_』
「そうそう! ぶひーぶひーぶひー!!」
『あの鳴き声はもういいよ!!_』
はははは。遼政君だ。遼政君だあ。
鼻をかむ。息を吐くと胸が痛くて、痛みがあるのは現実だ。NOSANKSに痛覚はないから。
「防犯だよ、防犯。私は来家 遼なんて人は知らないんだから、いきなり直接会うのは不用心ってもんでしょ?」
『直接って……アバターで、NOSANKSの中で、会うだけなのに?_』
いやそうなんだけど。私のリアル肉体は、薄暗い自宅で、いつも通りパソコンに向かっているし、玄関に誰か来てたりもしないんだけど(なんだホラーか)。
ちょっとだけふるえている手で「来家 遼」をポイントし、十分にためらってから、個人テキストチャットを申し込む。
彼は、すぐに承諾した。
===来家 遼 さん が チャットに参加しました===
ぴょこんっと、彼のアイコンが画面に現れる。っていうかさ、この人さ、アイコンが普通にリアル顔な上に、証明マークついてるんだけど! 実名じゃん、実顔じゃん、ダブルタップしたらリアル顔が拡大されて見えてしまうじゃん! 心の準備してないよ! とりあえずアイコン見る限りは普通の男の人っぽい!
『アイコン、ぶーちゃんなんだもんなあ……_』
「あ、はい」
『本当に気に入ってたのか_』
「え? そうだよ!?」
なんだと思ってたんだろ。私は、もちろん、あのピンクのぶたの着ぐるみを心から気に入っていた。今もである。
「じゃなきゃ買わないよ。あのアバター、あれでも、私には買うの迷う程度のお値段だったんだよ」
マイナーブランドのなんだけど、多分、アバターなのに着ぐるみという凝ったギミックのせいだと思う。
「それより、遼政君がまさかリア充とは思わなかった」
『え?_』
「証明アバターで来るなんてさ」
私達は、NOSANKSで使う自分の分身の姿を、好きに選ぶことができる。好きなアニメのキャラクター、好きな動物、好きな俳優(すっごくお高い)、なんだってある。表示される名前も、いつだって変えられて、それこそ数字だけだって記号ひとつだっていい。
でも、証明アバターは違う。必ず、そのときの本当の自分の姿がリアルタイムに反映されて、名前も本名で固定される。そして、本人である印に、名前の前に証明マークがつく。
仕事の場以外で、そんな証明アバターを使うような人は、よっぽど自分に恥じるところのない立派な(あるいは厚かましい)人達である……と、これは偏見ですが。私も仕事でNOSANKSを使うときは証明アバターだけど、普段は名前も姿も偽者である。しかも気分でころころ変える(ちなみに友人登録していると、名前や姿を変えていても簡単なチェックで友人だとわかる)。
『僕だって普段は証明なんて使わないよ。仕事でだってめったに使わない_』
「あ、そうなの?」
『でも初対面の女性を訪ねるんだから、この方が筋でしょ_』
「。t」
うぁあああああ。動揺しすぎた。
『澪さん、覆面じゃ信用してくれなさそうだったし_』
す、スルー感謝です。
てか。今のきっと、すねた口調だ。なんかイメージできた。ぞくぞくした。
「ええと、はい、その通りだと思います……」
遼政君であることは疑わなかったと思うけど、なんというか、彼がちゃんとしようとしてくれてることについては、信じられなかったかも……しれない。だってそこまで自信持てないし! 恋愛スキルないし(二次元のしか)! 遼政君の真面目さが中の人と同じかなんて、判断できる根拠がない。私はあそこにいた遼政君しか知らないから。
『たぶん、今、また肩ちぢこめてると思うけど_』
ひっ。
『アバターで出てきてくれませんか_』
こ、これでも話できてるじゃないですかぁ……。
『だって澪さん、テキストじゃ、言葉も表情も全部整えちゃうでしょ_』
「そりゃそうだよ、進んでボロなんか出したくないもん。っていうか見透かすのよくないと思うなあー!」
『これじゃ、会ってる気がしない_』
……今は、文字だけなのに。
遼政君の目が、こっちを見てる気がした。いつもはなかなかこっちを見ないくせに、思慮深いキャラぶって伏しているくせに(いや彼は実際思慮深いんだけども)、たまに見るときはぶしつけにまっすぐな。
『会いに来たんだよ。会いたかったから_』
殺された、なんて、ゲームの中ならふざけられたのにね。
**
「で、またぶたか!」
「ははははは!」
そうさ、またぶたさ!
「しかも直結切ってるし……」
「ま、まあ、勘弁すべき。私の心臓がもたないことをね、思いやってあげるべき」
こちとら、声出すのだって緊張して死にそうなんだ。アバターチャットの承諾までに、無言で8分かかってるあたりからも、ぜひ察してください。
遼政君は、いや、来家 遼……さん(なんて呼んだらいいんだ)は、普通の男の人だった。
背は遼政君より高かった。うれしいとかうれしくないとかの感想はなくて、ただひたすらどきどきする。ちなみに私は、背の高い男の人はかっこいいよりこわいが先に立つタイプである。
遼政君は小さく肩を落とす。
「……まあ、いいか。とりあえずは」
とりあえずはってなに……。
「お久しぶりです。あと、はじめまして。加賀 遼政の中の人、来家 遼です」
「くるや……なんか、名字もなんとなく、遼政君に似てたんだね」
「うん。友人は最初、名字をそのまま使おうとしたから、絶対やめてくれって止めた」
「でも本名も、なんだか現代モノの乙女ゲーに出てきそう」
笑ったら、来家の人は小さく口をへの字にした。すごい。この表情、私、知ってる。
「あはは。うれしくない?」
こくり、とうなずきが返る。
「私もね、澪はほぼ本名なんだよ。音が同じで、実に生きるって書いて、実生。ノーサンクスにどっぷりなんで、皮肉なんですけどー」
「ほんとだよね」
はははってさもおかしそうに笑いやがった。自分で言ったけど腹が立つ。
「場所変えよう。どこでもいい?」
「あ、うん」
私達が今いるアバターチャットのルームは、なにもない、だだっぴろい四角い白い空間。私がなにも設定しなかったからである。
遼政君はゆるく手を伸ばすと、宙に小さな四角を作った。ジャンプスクリーン。触れれば、遼政君が飛んだ先に私もついていける。
「まさかの大正浪漫とは……」
「僕らに馴染みのある風景がいいかなと思ったんだ」
「そっか。そうだね」
飛んだ先は、大正浪漫広場。時間帯は現実と同じ、夜。私達の他にも、バーチャル世界の散歩を楽しむ人達がちらほらと歩いていて、あの人達はちゃんと中身がいる。
そして私達はといえば、現代服のおにーさんと、……160cm前後のピンクのぶた……なわけで……
「……」
「澪さん?」
「ハメられた」
「なんの話!?」
「てぃ、TPOを気にする私が、こんな人のいるところで景観を崩す格好でいられるわけがないじゃないかー!」
と、小さく叫んで(そう、TPOをわきまえるがゆえ)。いたたまれなさの勢いで、アバターをぶーちゃんから「澪」にする。袴姿の女学生に。
「あ、澪さんだ。じゃあ僕も遼政に……そうか、なれないんだった。ちょっと書生のアバター探してくるから、待っててくれる?」
「いいよ別に……ううん、やっぱり大正浪漫にクルーネックのカーディガンはだめ……」
うなだれながら、結局首を振った。軽めのネイビーのカーディガンに白Tシャツとか、男の服装はわからないんだけど、もしかしたらこじゃれて見える。そんなのはここには合わない。ウツクシクナイ。
遼政君はすぐに戻ってきた。遼政君とまったく同じ書生の合わせ……で……
「うわあああんだめぇええ」
「今度はなに!?」
「遼政君の顔じゃないのにそれ着ちゃだめええ」
「ええ!?」
「そりゃ似合ってるけど、日本人顔だから違和感ないけど、遼政君は遼政君だけだからだめえぇえ」
遼政君は、めまいをこらえるような顔で再び姿を消した。私も叫び終わって肩で息をする(TPOは?)。じ、自分でもびっくりする拒否感であった。だ、だってなんか、遼政君のリアルコスプレ見てるみたいでさあ!
「ん?」
ぶんぶん頭を振ってたら、隣に小さな少年が立っていた。ふてくされた顔である。格好は書生っぽくて……。
「遼政君?」
「他に遼政っぽい書生アバターが見当たらなくて」
「かわいい」
真顔で言うよね。
「やっぱり変えてくる……」
「えええ、いいよ、そのままで!」
ぜひ! が、願い叶わず。遼政君は、書生じゃなく、普通の着物に妥協したようだった。
まあ、これが普通にかっこよく見えたわけなんだが。なんだ私よ、もう来家の人に惚れたのかい。
「格好なんてどうでもいい、って言えないのがもどかしいなあ」
疲れたように、遼政君が息をついた。
「……まあ、歩こうよ」
それから、こっちを見て、小さく笑った。遼政君みたいなのに、遼政君の顔じゃなくて、私の脳とココロのあたりが迷走する。ぐらぐら。
***
「……こうやって会うのって、やっぱり違反?」
「お客さんと会うの?」
遼政君は、ゆっくりと通りを歩く。
「澪さんの個人情報を私的利用したわけだから、違反だね。もうあのタイトルが終わって、アクターと客の関係じゃなくなっていても」
「個人情報……」
「でも、こうしてる人達はいっぱいいるから、目をつぶられてるゾーン……」
「待って」
遼政君が振り向く。
「……もしかして遼政君、私の個人情報知ってる? メルマガに登録してた、メールアドレスだけじゃなくて……?」
あれ? あれ? まさかもしや所得とかまで見える? だって利用者は、所得で貢げる上限が決まってるわけで。
「……レベル1の情報までだけど」
「あ、なんだそうなの!」
わあ、あせった! レベル1の情報ってことは、住所、氏名、職業、連絡先、現在の外見、性別、年齢、身長、体重、
「りょうせいいいいくうううん」
「揺すらないで! 僕ブレ補正してないから、視界ブレで酔うんだよ! しかもそれ着物が破れるレベルの力でしょ!」
「うわあああ帰るぅうう消えるうぅううう」
「帰らないで! 騒がないで! そしてたたかないで!」
「だだだだだだだって、だってえええ」
ああ、周りの皆様、うるさくてほんとごめんなさい。でもだってなんだよ、遼政君は本当の私を知ってたってのかよ! そりゃぼかぼかしちゃうってばよ!
「いつ……から!」
「えっと……、……ぶーちゃんと初めてキスする前の回、かな……」
「そんなに前!? なんで!?」
「説明していいですか」
「説明しろって言ってんの!」
「落ち着いてってこと」
ぐうう。テンパると涙出る人っているよね、私です。本人の意志とは違うんだって、どうかどうかわかってほしい。
「まず、普通、アクターは客の個人情報は見ません。レベル1でも。これはわかっていてください、アクターのために」
「はい……」
「職務上でなにか問題があったときだけ、内容に応じたレベルの情報が公開されます。が、レベル1までは、アクター自身の判断だけで見ることができる」
つまり、アクターは見ようと思えば、客の実名や外見、職業まではわかってしまうと?
「だからってほとんどのアクターは見てない。サービスに必要ないから。一部の悪質なアクターと、逆に高い分析力で客に高いサービスをする一流アクターが利用してると思う。……あと、これを実生さんに教えることは、守秘義務に抵触してます」
「あ、はい、すみません……そうだよね……」
遼政君は、私をのぞく目を、一瞬泳がせた。
「……澪さんがぶーちゃんで来るようになって、僕は困ってた。あのときも言ったけど、キャラクターを、あの世界を、壊してしまいそうだったから、僕は遼政でぶーちゃんにキスをするのはいやだった」
「その節はごめんなさいいい」
「最後まで聞いて。今、その話じゃないよ」
だって、私が悪いんだったってのに。遼政君は、違反者の、困ったちゃんの素性をチェックしただけだった。
「君はそれまでずっと、良識あるお客さんだった。一緒に世界を楽しむプレイヤーだった。なのに突然、ぶたの着ぐるみで来はじめた。もちろん最初は、警告して毅然とつっぱねるべきだと思ったよ。特に僕は世界観には厳しい性質で、クロス作品なんかにもあまり理解がないほうだし」
「ああ、そんな感じだよね……」
「……でも、警告をした場合、8割の客はもう来なくなる。中の人が見えて、世界が崩れてしまって、近いと思っていた距離が本当は離れていたことを教えるからだと思う」
それは対人乙女ゲームの定説だ。そして、残りの2割はストーカーになる、って続く。
でもそうだよね。恋人だと思っていた相手から、業務上の線引きを改めてされちゃうとか。気づかずにやらかしてたら、私だったら多分、恥ずかしくてもういけない。
「なにかヒントが欲しくて、それで僕は君の情報を見た。そうしたら、ごく普通の若い女性だった。だから、警告として通達するのをやめて、ゲームの中で頼んでみることにしたんだ」
そうだったのか。なんというか本当にもう。
「その節は、本当本当に、すみませんでした……」
「いいんです。というか、この話題、あんまりしないほうがいいのかなって」
「え、どうして?」
「だって、君がぶーちゃんになった理由って、つまりは」
「そうだね、うん、やめよう」
たまらなくなってリアル机つっぷした。
「……そんなにへこむこと、ないと思うんだけど」
「そっちにはわかんないよ……」
こっちの立場が弱すぎて。
「だって、僕はメールを出したんだよ」
私が操作を放棄したせいで棒立ちになった澪の手を、遼政君がつかむ。
「そしてこうして君に会いに来た。証明アバターで」
怒ったみたいな顔。あのとき、あの最後のときに見た遼政君の顔だ。
「……澪さんが、こういうの得意じゃないのはさすがにもう、わかったんだけど。こっちも、このままだと余裕がもてないので」
逃げたいのに、逃げられないのは、そりゃあ、ほんとは逃げたくないからである。
「澪さん、……実生さん。僕は、甲田 実生さんのこと呼んでるからね」
「……画数の少ない名前で、書きやすいのが自慢でして……」
「はぐらかすほうが恥ずかしいと思うんだ」
「遼政君はもっと優しいはずなんだけどぉ……!」
「君がぶーちゃんにならなかったら、僕はずっと遼政だったよ。残念だったね」
「意地悪も言わない!」
「実生さん。”こっち”に来て」
往生際はここだったようです。……命令を聞いてしまう自分がアイデンティティ的につらいんだって、リアル恋愛と無縁で生きてきた女子ならきっと、わかってくれるよね……。
イヤープラグを入れる。ゆっくりと腕が引かれる感覚が生まれる。つかまれたままの澪の腕。……澪が動き出す。うつむいて、顔の上げられない澪になる。
「賭けてました。君がもし、知らない男からのメールを開けるような女性だったら、会いに来ようって」
「……なんだそりゃ」
「間違えました。メールの管理が雑な君が、二ヶ月過ぎても僕からのメールを待っていたら、会いに来ようって」
殴ったよね。うつむいたままどすっとね。痛覚も触覚もないんだから、あっちは痛くもかゆくもないんだけどさ。
「僕は遼政じゃないけど、澪さんと過ごしていたときの遼政は、わりとそのままの僕です。この件だけまとまったら、あとはそうあせらないから」
澪の腕をつかむ手を見る。彼も私の視線に気づいた。逃げないようつかまえている手。
「……ほんとに。遼政のときみたいに、もうちょっとやさしくできるから」
「いいいいやらしい台詞が」
照れくさそうな声、からの、鋭いチョップを頂きました。
「なんで実生さんは、乙女ゲームに通いつめる人種のくせに、すぐまぜかえすかなあ!」
「しかたないんだよう、悪いとは思ってるんだようー!」
むしろ、そういう女子が乙女ゲームに通いつめるんじゃないかなとか思ったりして、違うかなあ、どうでもいいかあ、うええん。
「もういいから、これだけ言わせて! 付き合ってください! ここだけじゃなくて、現実で会って下さい!」
「わかった、わかりましたから、もうぶーちゃんにならせてえええ」
「なにそれ!? じゃあこれから、どうぞよろしくお願いします!」
なんだか投げられてから、もう一度つかまった気分!
私はよたよたとジャンプスクリーンを作って、飛んだ。
大正浪漫は、素の私には、浪漫すぎたんだ。えっくえっく。
あときっと、本当の恋愛ってやつも。
****
ぶひっ、ぶひっ、ぶひっ。
「……結局、泣いてるんじゃないか」
飛んだ先は、さっきいた真っ白ななにもない空間。
「それでも、ぶーちゃん、落ち着く……」
呆れた声からも、私を守ってくれている気がするよ……。
「……なんで泣くのかな。喜んでくれるかと、思ってたんだけど」
ちょっと力ない、傷ついたような声。あわてて顔を上げる。
「喜びはあとから来るから!」
「じゃあ本当に喜んでないんだね、今は!」
「人生でこんなことなかったもんで、いっぱいいっぱいでして!」
「正直に言うのと開き直るのは違うよ!」
ははは! と、遼政君がやけになって笑う。うう、多分だけど、遼政君は本当に普通に優しいのに、私がこんなだから、強制的に突っ込み担当にさせている。すまない。
それから少しの間、沈黙。私は自分を落ち着かせながら、遼政君はその私を待ちながら。
「……話したいこと、たくさんあったんだよ」
「ご、ごめん、もうちょっとしたら慣れるから。普通に話せるから。大丈夫、もうぶーちゃんになったから」
「……」
「あ、あ、呆れるがいいさ!」
遼政君は、存分に私に呆れた目を向けてから、息を吐いた。
「……僕、ずっと、ぶーちゃんを澪さんに戻したかったんだよ」
言葉に詰まる。
「ひょっとして、次に会うときも、ぶーちゃんのまま?」
返事ができない。そんなことない、と言いたい気がしたのに、じゃあ素の自分で行くことを想像したら、そりゃ無理だろって脳内で叫んでしまっている。
「ごめ……」
「もういいよ」
体がすうっと冷える。目の前が真っ暗になった気がした。
でも、遼政君のかすかな笑い声が聞こえた。
「あーあ。せっかく成功したと思ってたのに、今度は実生さんがぶーちゃんになっちゃったとはね」
顔を上げる。遼政君は力の抜けたように、こみあげる笑いをにじませている。
「もういいよ。ぶーちゃんで」
「い……いいの? 怒ってない?」
「そりゃよくはないけど、怒ってはいないよ。さっきの、受けてくれたんだしね」
さっきの?
「僕は、実生さんの相手になったんだよね?」
顔が再び熱くなる。そうですね、おおお、お付き合いするんでしたよね。
「また君とゆっくり過ごせるようになるまで、時間がかかりそうだけど。また最初から楽しめるってことだと思うから」
彼を見て、思わずまばたきをした。
「うん?」
「な、なんでもない」
「気になるよ」
「あ、う、いや」
ぽりぽりぽりぽり。ぶたさんもじもじ。
「う、うれしそうに見える」
「ええ?」
遼政君が。ちょっと頬を! 赤らめた気がする!?
「そりゃ……、うん。うれしいよ」
「聞くんじゃなかった!」
「なんで!? 僕、もうこれ、何度聞けばいいのかな!」
「恥ずかしいからだ! 私だって何度言ったらいいんだろ!」
だって。
遼政君の、来家の人の、上がりっぱなしの口角と、下がりっぱなしの目尻と。ゆるく垂れ下がったアーチ型の眉と。
自分がそんなにうれしそうな顔してるって、この人は今、きっと気づいてなかった。
そんなのは遼政君にはありえないこと。表情をコマンドする彼には。
きゅんきゅんこわい。ぶーちゃんよ、私を守って下さい。
「まあ……」
情けない私に呆れながら、もう許している。やさしい声。
また目を細める。遼政君より、よくしゃべる目。
「よろしく。実生さん」
「……よろしく、……」
遼政君、と呼ぼうとして迷う。
「遼政でもいいよ」
「……そのうち」
それしか言えなかったけど、うなずいてくれた。
遼政君を見上げた。私も笑う。ぶーちゃんなんだけど。
「ね。また会えたね」
遼政君が目を丸くする。今頃だよね。へへ。
「遼政君、散歩行こうよ」
「いいよ。どこへ行こうか?」
「最近見てるのはね、モヘラニアの空中遺跡なんだけど、もう一週間歩いてるんだけど全部見終わってないんだ」
「実生さん、創作遺跡にも手を出してたの?」
「歴史遺跡は、有名どころを大体見終わっちゃったんだよ。遼政君と会えなくなって暇な夜でしてねえ」
「それはすみません。じゃ、案内してくださいな」
うなずいて、遼政君の腕に手を添える。接触していれば、一緒にジャンプする先を選ぶことができるから。
飛ぶ直前、遼政君が、僕はぶーちゃんでもいいなんて思うようになりたくないんだよね、なんて真面目な顔で言ったもんだから、思わずげらげら笑ってしまった。
*****
というわけで、以上、私が(再び)ぶーちゃんになった理由。
でした。