粉屋の娘と小人のパン
むかし、あるところに、貧乏な粉屋がいました。腕の確かな働き者の男でしたが、困った癖がありまして、働いても働いても生活は楽になりません。父一人、娘一人でどうにか暮らしておりました。
さて、この粉屋、酔うとどうにも気が大きくなる性質でした。一日の仕事終わりに酒場に行き、麦芽酒を一杯ひっかけては愛娘の自慢をし、ニ杯飲んでは自分の目利きを誇り、三杯目では大言壮語を吐いて店中の客の酒代を引き受け、その日の稼ぎを全額注ぎ込んでしまうといった有様でした。
ある日、粉屋が馴染みの酒場で飲んでおりますと、隣に見知らぬ男が座ってきます。旅人の格好をした壮年の男で、この村の誰もが初めて見る顔でした。
ところで粉屋は、お酒は控え目にする、と娘と何度目かの約束を交わしたばかりなのでした。最初こそチビリチビリと味わっていたものの、杯を傾けるうちに心地良く酔いが回ると、またぞろり悪い癖が出て、いつの間にだか隣の旅人に向かい自分の娘の自慢話をしておりました。
「何と言っても、うちの娘は村一番の器量良し」
「ほうほう、別嬪か。だがこんな田舎の村一番ではたかが知れておる。お城に行けばその程度の娘などゴロゴロおるわい」
「言ったな! うちの娘はただ見目良いだけじゃないんだぞ。気だては良いし働き者で手先も器用、ほっぺたが落ちるほど美味いパンだって焼けるんだ‼︎」
「それだって、王の料理番に比べれば大した腕でもなかろうよ」
「ぐぬぬ」
粉屋はもう悔しくて悔しくて、なんとかこの男の鼻をあかしてやりたいと思うのでした。
「聞いて驚くなよ! 今まで黙っていたけど、うちの娘はなぁ、なんと藁を金の糸に紡ぐ事が出来るんだ‼︎」
「……ほう? それはまことか?」
男の目がきらりと光ったようでした。
粉屋は自分でもちょっと言い過ぎたと思いましたが、なんせ酒の席です。相手もまさか本気にはしないだろうと肯きました。
「それは実に素晴らしい! いや、あんたの娘を侮ったりして悪かった。お詫びにここは私の奢りだ。さあ、飲め飲め、たんと飲め。樽一杯でも飲み干してくれ」
普段自分が他人に奢る側の粉屋は有頂天になり、男の勧めるままに何杯もエールをおかわりしました。そうして心配した娘が迎えに来た頃には、粉屋はもう酔っ払ってベロンベロンになっておりました。
次の日のお昼過ぎ。
粉屋の家の前に騎馬の集団がありました。
よく見ればその先頭にいるのは、昨夜の酒場の男です。今日は薄汚れた旅の服ではなく、豪華な絹の衣装を着ています。
「私はこの国の王だ。約束通り、娘を連れて行くぞ。なに、昨夜の話が本当ならば心配は何もいらない」
そう宣言すると、旅の男改め王様は、粉屋の娘を無理矢理馬の上に引き上げます。
引き留めようにも粉屋は、したたかに泥酔した後の記憶がありません。二日酔いの頭を抱えて、何ということをしでかしてしまったのかと、泣きながらガックリ膝をつきました。
さて、訳も分からぬまま馬上の人となった粉屋の娘は、城へ連れて行かれました。そのまま王様じきじきに、納屋へと案内されます。
納屋の中には、大人の男一人分の高さもある藁の山と、糸車と糸巻きが置いてありました。
「さあ、仕事にかかれ。今から夜通し働いて、明日の朝までにこの藁全てを金の糸に変えるのだ。首尾よく成し遂げられれば褒美を取らすが、もしお前の父親が王に虚偽を申したのであれば、親子ニ人共に命はないぞ」
こう言うと王様は、娘一人を納屋の中に残し、扉に鍵をかけて行ってしまいました。
可哀想なのは粉屋の娘です。
おそらくは自分の父親が酒に酔ってまたあること無いこと言ったのだろうと思いましたが、藁を金に紡ぐ方法などさすがに見当もつきません。
「父さんのバカ……」
どうすることも出来ずに納屋の土の床に座り込みます。日が暮れてくるとだんだん心細さが増してきて、娘はとうとう泣き出してしまいました。
すると地面がパカリと割れて、中から小人が現われました。
小人と言っても、娘より少し背が低いくらい。地面から飛び出して来たのと特徴的な服装で小人だと分かりましたが、一般的な小人族からすると規格外な大きさでした。娘と同じ人間の、小柄な少年と言っても通用しそうです。
「娘さん、一体何を泣いているんだい?」
娘は驚いて涙が引っ込んでしまいました。
「あたしね、藁を紡いで金にしないといけないんだけど、どうやったらいいのか、全く分からないの」
娘がそう言うと、小人は首を傾げました。
「代わりにおれが紡いでやったら、あんたはお礼に何をくれる?」
「そうねえ」
着の身着のままで連れて来られた貧乏な娘は、困って納屋の中を見回しました。
すると入り口近くに、パンと葡萄酒の入った包みが置いてあることに気がつきました。どうやら王様が準備しておいた娘の夕食のようです。
「パンと葡萄酒を半分あげるわ。あたしと一緒に食べましょう」
「……一緒に?」
「そうよ。先払い。腹が減っては戦は出来ぬ、って言うでしょう」
貧乏でカツカツな生活をしていても、粉屋の娘は元来前向きな性格でした。気立てが良くて器量良しの働き者、その点だけは酒場で粉屋の申した通りなのでした。
「いや、普通、報酬って後払いだろ……」
娘の申し出に小人は戸惑ったようでしたが、娘がパンを半分に割って差し出すと、素直に娘の前に腰を下ろして食べ始めました。
「……」
娘と小人の、もぐもぐとパンを咀嚼する音だけが、納屋の中に響き渡ります。
「……固いわね」
コップが無いので葡萄酒は回し飲みです。娘は一旦喉を潤すと、瓶を小人に手渡しました。躊躇いながらも小人も口をつけます。
葡萄酒がなければ到底飲み下せないほどの、日が経ったカッチカチのパンだったのです。
「王様のくせにケチね」
娘は不敬罪にあたりそうな発言をしました。
ことによったら自分は明日には処刑されている身なのかもしれない、と思ったのです。それなのに人生最後の食事が、歯が欠けそうなくらい古びて固いパンだなんて。
ああ、ホラ吹きの父親を持ったばかりに。
「ケチだから藁を金に変えようなどと考えるんだろう」
小人の方は特に不服を感じてはいないようです。
娘はスカートにこぼれたパンの欠片を拾い集めるとそれも丁寧に口に入れて、小人から受け取った葡萄酒で流し込みました。
「これならあたしの作ったパンの方が断然美味しいと思うわ!」
粉屋の娘は小人に向かってそう言いました。
「今日のお礼はこれしかないんだけど。このお城から生きて戻れたら、今度はあなたに是非、焼き立てのパンをご馳走してあげなくちゃ。父さんの挽いた小麦粉で焼いたパンときたらもう、最高なんだから!」
酒癖の悪い困った人ではありましたが、娘はやはり職人気質の父親の事が大好きなのでした。
「……ふうん」
あまり熱意の感じられない口調で、小人が呟きました。
粗末な夕餉を終えると、小人は糸車の前に腰を下ろして、ぶん、ぶん、ぶんと、三回回しました。すると糸巻きが金の糸でいっぱいになりました。それから糸巻きを差し替えてもう一度、ぶん、ぶん、ぶん。
こんな風にしてあっという間に、納屋の中の藁は残らず金の糸に紡がれました。
「ありがとう、小人さん。なんてお礼を言ったらいいか」
娘は心から小人に感謝しました。
「ご馳走さま。固いパンに酸っぱい葡萄酒だったけど、まあそれなりに旨かったよ」
出て来た穴に小人が跳び込むと、地面は再びぱたりと閉じて、何もなかったように平らかな床へと戻りました。娘はそれを見送ると、積み上げられた糸巻きの隣で丸まって眠りました。
次の日、おひさまが上ると、待ちかねたように王様が納屋の鍵を開けました。
「恐れながら王様、ご命令通り致しました。どうかうちへ帰して下さい」
「おお、これは!」
王様は金が出来ているのを知ると喜んで小躍りしましたが、次第にもっとたくさんの金が欲しくなりました。そこで今度は娘を前より広い納屋へ連れて行って、建物いっぱいの藁を金の糸に紡ぐように言いつけました。
「明日の朝までに前回と同じようにやり遂げるのだ。出来たら褒美を追加しよう。だが出来なければ命はないぞ」
約束を反故にされ、またしても閉じ込められた娘は、シクシクと泣きました。
すると再び地面が割れて、中から昨夜の小人が出て来ました。
「なんだい、娘さん。まだ王様につかまっているのかい」
「ええ、小人さん。また藁を金の糸に紡がなければならないの。けれど前より量が増えているのよ」
「おれが助けてやったら、あんたはお礼に何をくれる?」
娘は王様に渡された袋の口を開けました。
今度の中身には、葡萄酒の瓶、チーズ、干し肉が入っています。黒パンは出来上がってからそれほど日が経っていないとみえて、まだ柔らかいものでした。
昨夜と同じように、ニ人はそれらを半分こにして食べました。
「昨日よりはマシだけど、やっぱりパンは父さんの小麦で作ったものの方が美味しいと思うわ。小人さん、あたしがうちに帰れたら、必ず焼いてあげるからね」
「……そいつは是非とも食べてみたいなあ」
今度の小人の口調には半分諦めが籠っているように、娘には聞こえました。
「小人さんは、焼き立てのパンを食べたことはないの? 家族はどうしているの?」
「……見た目で分かると思うけど、おれは小人としてはでかいだろう。小人とヒトとのあいのこだ。生まれた瞬間に名前も付けずに捨てられたのさ。おれは家族も仲間もいない、はぐれものなんだ」
食事を終えると、小人は早速仕事に取り掛かりました。納屋いっぱいの藁をあっという間に金の糸に紡いで天井近くまで積み上げたかと思うと、
「じゃあ、ご馳走さま。パンにチーズに肉、旨かったよ。葡萄酒も昨日よりは上等だった。……誰かと食べる食事はいいね」
そう言って小人は地面の下に戻ろうとします。
「待って、小人さん」
粉屋の娘は小人を引き留めると、
「本当に本当にありがとう。糸紡ぎも助かっているけど、小人さんが一緒に居てくれるだけでどれだけ心強いか。あたしこそ、一緒にごはんが食べれて嬉しいのよ。これはあたしの感謝の気持ち」
にっこり笑って小人の頬に口づけをしました。数秒後、何をされたか気付いた小人は、みるみるうちに真っ赤になりました。娘の触れた頬を掌で押さえると、一言も口をきけないままに穴の中に飛び込みます。穴は昨夜と同じように再び綺麗に閉じました。
娘は糸巻きの山を崩さないように気を付けながら、横たわって眠りました。
次の日の朝。
王様が納屋の鍵を開けると、金の糸が朝日に反射してキラキラと光りました。
「おお、娘よ、よくやった!」
「王様、ご覧の通り、糸紡ぎをやりました。お願いです。ご褒美は要りませんから、どうかあたしをうちに帰して下さい」
娘は必死に頼みました。
けれど欲深な王様は、素晴らしいわざを持つ娘を手離したくなくなっていたのです。
「喜べ、娘。お前を王妃にしてやろう。だから私のために一生、金の糸を紡ぐのだ」
娘の顔は真っ青になりました。
王様は家来に命令して、娘をさらに大きな納屋へ閉じ込めました。そうしてまた納屋いっぱいの藁を紡ぐように命令しました。
打ちのめされた娘が嘆き悲しんでいると、地面がぱっくり割れて、三たび、あの小人が現れました。
「助けて、小人さん。あたしをここから連れ出して!」
「……王様から助けてやったら、お礼にあんたは何をくれる?」
涙に濡れた目で、娘は小人をしっかりと見つめました。
「名前を。あなたに名前をあげるわ。それから家族も。狭い家だけど、どうかあたしのうちに来てちょうだい。毎日一緒にごはんを食べて、家族皆で暮らしましょう」
「……焼き立てのパンもある?」
「もちろんよ」
小人は今にも泣き出しそうに、くしゃりと顔を歪めました。笑うのがとても下手くそなのでした。教えることがたくさんありそうね、と娘は思いました。
「それじゃあ、やるしかなさそうだな!」
その夜、娘と小人は納屋いっぱいの藁をお布団にして眠りました。
次の日の早朝、王様は家来を連れてやって来ました。娘が結婚をまだ嫌がるようなら家来に命じて縛りあげようと考えたのです。
納屋の扉を開けた王様は、うず高く積み上げられたままの藁の山を見て、怒りに思わず叫びました。
「なんだ、これは! ただの藁じゃないか!」
「……王様、藁を金の糸に紡ぐ事など、あの娘に本当に出来るのですか?」
欲深な王様は、娘の紡いだ金を、家来にも内緒にしていたのです。
「嘘じゃない! 本当だ!」
姿の見えない娘を引き摺り出してやろうと、納屋の中に足を踏み入れます。すると途端に地面が割れ、王様は深い裂け目に飲み込まれてしまいました。それを見ていた家来は悲鳴を上げて逃げて行きました。
藁の陰に隠れていた娘と小人は、騒ぎに紛れて城を抜け出し、こっそりと家に帰りました。ずるい王様が秘密にしていたおかげで、娘の事を気にする人はお城の中にはおりませんでした。
大事な愛娘が無事に帰って来たのを見て、粉屋は泣いて喜びました。小人のことも快く家族の一員として受け入れました。
自分の酒癖の悪さが全ての元凶だったと反省した粉屋は、それから深酒をやめました。飲んでも一日一杯までにとどめるようになりました。そうなるともともと腕は確かな粉屋でしたから、暮らし向きも次第に良くなっていきました。
粉屋が挽いた上質の粉で作るパンは村でも評判になり、娘の開いたパン屋は大繁盛でした。
朝から美味しいパンを作る娘の隣には、いつでも、少し小柄な少年の姿がありました。焼き立てのパンを食べると本当に幸せそうに微笑むので、そのニ人の仲睦まじい様子は、こうばしいパンの香りと共に、村中を幸せにするのでした。