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グルメ

作者: たぬきち


 母や父や祖母や弟たち。ひいては村の人々が大切だからこそ彼女は、目の前に用意された高価な酒や貴重な糖を使った饅頭(まんじゅう)に手を付けず、じっと空腹に耐えていた。

 洞の暗所に閉じこめられて幾日の月日が過ぎたことか。

 閉じこめられたといってもそうされるに足りる罪は彼女になく、何かしらの要因が彼女の側にあるとすれば……

 (ひとえ)に、運がなかったのだ。

 まず、家だ。農民の家に生まれることがなく貴族や武家といった高貴な身分の者の息女であったなら、いくらでも避けられるモノだっただろう。

 次に、土地。貧しくとも、北か南かあるいは東西のどちらかの、この地ではない何処かに生きたなら違う道があったはずだ。

 何より、時代。

 旱魃(かんばつ)による不作の(みぎり)処女(おとめ)であったのがそもそもの原因だった。

 彼女は村を救うためこの地の神へ供えられた尊い生け(にえ)

 異形の怪物とされる日照神の腹に収まるがために生涯を終える哀れな娘。

 昼とも夜とも判別付かぬ一切の光が遮断された闇の深淵で、その(まなこ)が有形に輪郭を見いだすことは無く。洞で数多の晩を過ごしたその肌は冷たく強張り、頬で触れ指でなぞった有形の輪郭を彼女の意識に届けることに難儀した。

 神の領域たるこの社には、外界を知る術がない。

 唯一ある洞の入り口には、十人もの男の手によってようやく動く大岩で蓋がされ、その上、土で固められているのだから、人どころか光や音さえも彼女の元へ訪れることはない。

 彼女にはあるひとつの確信があった。

 暗い、気分の滅入る、確信だ。

 村は、日照神の怒りを静めてもらうための代価として貴重な酒と食料と、彼女を祠に供えた。

 けれど、彼女は誰の血肉に変わることなく生き続けている。酒も食料も一切が無事なままだ。怒りを静め、天を雨雲で被ってもらおうにも、その代価を神は手に入れてない。

 日照り神が供物に手を掛けない今、村に天の雫の一粒も与えられているはずがなかった。

 彼女は恐れた。

 村にはこれ以上、神に捧げられるようなものはない。今回の供物ですら村の少ない蓄えから死者が出るのを覚悟で用意されたものだ。村に残った乙女など彼女ひとりだけ。

 この供物だけで神の怒りを静めなければならない。

 それは絶対だ。

 彼女が本能に逆らい頑なに空腹に耐え続けるのはその思いあってからこそだ。誰も見たことのないこの地の神に食われることを営々祈って。



 聖者が霞をはむ様に祠に巣くう闇だけで臓腑を満たし、彼女は生き続けた。

 他の供物は腐敗しきり、鼻でそれが知れたから、日照りの神に捧げられる唯一の存在となった彼女は生き続けた。

 死とは耐え難い圧力である。それどころか、喰われるために生きなければならない彼女に掛かり続ける、怪物の腹で死ぬために今死んではならないという圧力は、彼女の心を蝕んだ。

 まずは疑問だった。


 ――どうして私が。


 多くの役立たずがいる中で、なぜ奴らの世話をしてやっていた自分がこのような目に遭わなければならないのか。多くの村の倉庫へ盗み入った奴がいる前で、なぜ咎もない自分がこのような目に遭わなければならないのか。

 後は、必然だった。

 生け贄を出すことを決めた奴らが憎かった。洞に押し込めた奴らが憎かった。

 ごめんね。ごめんね、と私の手を握るだけだった両親に殺意を覚えた。

 

 悲嘆は彼女の手を縛り、恐怖は彼女の目を塞ぐ。

 喪失。

 口を噤むは闇。耳を塞ぐは闇。

 声届かぬ口は噤まれたも同じで、音を拾わない


 憎悪は彼女の胸を焼き、ようやくにして彼女の中に殺意が生まれた。

 それを見届けてから、


 巨魁たる死は食事を口にした。



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