親方 空から勇者が!
フィーネ村の今年13齢になるレミは、その日、森を揺るがすとてつもない轟音と振動、聞いたこともない恐ろしい魔獣が放つ断末魔の声に、慌てて親方とともに森の中の炭焼き小屋から飛び出した。
魔獣の森に隣接し、農作物や牧畜の収穫量の少ない寒村であるフィーネ村では、13齢ともなれば一人前――とはいかなくても、半人前以上の働き手である。
10齢になる前から農閑期にはいまの親方の下で働き、比較的浅い部分とは言え森のことには慣れているレミはもとより、長年この森で暮らしている親方でさえ経験したことのない未曾有の事態に、二人の額から脂汗が滴り落ちる。
「……おい、あれを見ろ! 鳥や獣はともかく…小屋の周りに仕掛けた結界香なんぞ屁でもない魔獣まで、俺たちを無視して血相変えて一目散にあっちから逃げてきやがる。……こいつはただ事じゃねえぞっ。少なくとも俺たちの手には負えねえ。すぐに村に行って村長に知らせないと」
レミに言うというよりも自分に言い聞かせていたのだろう、喋っているうちに落ち着きを取り戻してきたらしい親方は、必要な荷物を取りに小屋に戻ろうとした。
「で、でも親方っ。原因もわからず知らせても信じてもらえるか……それに、万一魔王軍のやつらや魔獣の暴走とかだったら、知らせて戻る暇もないんじゃ…」
「う・・・」
レミの言葉に親方の足が止まる。
正直、魔王軍など僻地に暮らす彼らにとっては御伽噺レベルの話であるが、魔獣の暴走となると話は別である。
何年かに一度、大量発生する魔獣はまるで恨みでもあるかのように確実に人里を襲ってくる。対応はできるだけ迅速に――できれば暴走の始まる前、魔獣が集まりかけているところを先に――襲撃できるに越したことはない。
で、あるなら魔獣が集まっているかどうか、その場所はどこかなど先に確認しておかねばならない。
だが、ここにいるのは年端も行かない子供と自分だけである・・・。
「――とりあえず音のした方へ行ってみます! 親方は村に行ってください!」
逡巡している親方を置いて、レミが走り出した。
「…ば、馬鹿野郎っ、勝手なことを!?」
慌てて親方は小屋の中へ取って返し、とりあえず武器になりそうなものを引っ張り出すと、気付け薬代わりに酒瓶をぐっと呷り、残りを大事に懐へしまいレミを追って森の中へと駆け込んで行った。
◆◇◆◇
「♪新し~ぃ朝が来たー、希望ぉの朝だ♪」
やたらコブシを効かせた美声に、大の字になったまま半分逝きかけていた俺の意識は一瞬で覚醒した。
「――いかがですか、初めてグリアスの大地を踏んだ感想は?」
どこかで見たような構図で、無垢な笑みを浮かべた天使が俺の顔を覗いてきた。
「全身が痛いし、なんか空気が生臭いし、落ちる途中でグルグル回って気持ち悪い」
片肘をついて起き上がろうとしたところで、妙に地面がザラつくような…軟らかいような、妙な手ごたえを感じて周囲を見回してみた。
「……ドラゴン、か?」
妙だと思ったのも道理。俺が横になっていたのは地面の上ではなくて、全長30mほどもある暗緑色のドラゴンの背中だった。
ただしファンタジーでおなじみの翼のあるやつではないので、フォルムだけなら大型の草食恐竜と言われても納得できそうだ――が、やたら凶暴そうな面構えと牙、四肢のばかでかい爪が、どうみても「肉こそが力!肉こそがすべて!肉だ!肉を食え!」と――こいつの素性を全力で主張していた。
ちなみに俺の落下の衝撃をもろに受けたのだろう。
俺を中心に背骨を粉砕して背中は陥没し、四肢は力なく投げ出されピクリとも動かず、完全に白目を剥いた目は半分飛び出し、口からは大量の血反吐が周囲にぶちまけられている。
・・・この状況、普通だったら取り乱すところかも知れないが、神様だの天使だのいろいろ見たり聞いたりした後では、正直さほどインパクトはない。
「まあ、異世界だし定番だろうな」
この程度である。
「――それにしても、こいつがクッションになったとしても、よく俺無事だったな」
見たところ特に怪我らしい怪我もない。身体の節々が痛いのは、衝撃というよりも落下中に全力で暴れたことによる筋肉痛が主な原因のような感じだ。
「それはそうでしょう。落下の途中で咄嗟に結界を張りましたから」
ちょっと眉を寄せて、愛らしい顔に「むぅ…私、怒ってますよ」という表情を浮かべたアンリが、若干とがめるような口調で続けた。
「本当だったらマスターを抱えたまま、近くの街道なり街の近くとかに落ちるつもりだったんですけど、抱え込んだらいきなり暴れて、かんかん踊りをしたまま一人で落ちた時にはどうしようかと・・・結界がなければ即死だったんですからねっ」
「うっ……!」
その眼光に押された……というより、空中で抱きつかれたときに接触した部位から伝わった暖かさと、なによりえもいわれぬ柔らかさと香気を思い出して、思わず赤くなった顔を逸らせた。
まさか女の子に抱きつかれて錯乱したとも言い辛いし、さてどう誤魔化そう……と、視線をさ迷わせていた矢先、木立の間から呆然とこちらを見ている小柄な人影を見つけて、
「あれ、ひょっとして現地人?」
確認の意味を込めて指差すと、
「あら、本当ですね。エーツゥール族の…まだ第二形態になったばかりみたいな子供みたいですけど」
アンリも軽く目を瞠った。
◆◇◆◇
その光景はまるで神話や御伽噺の一場面を切り取ったかのようだった。
魔獣ひしめくこの森のヒエラルキーの頂点に立つ地竜がほとんど抵抗らしい抵抗をした形跡もなく斃され、それを成したと思しき見たこともない仕立てをした異国の服を着た、黒髪黒瞳の長身の少年がその上に雄雄しく立ち、そしてその傍らには伝説に聞く天使が親しげに佇んでいる。
自分に気が付いたらしい二人の視線を受けて、英雄譚か詩人の語る物語の世界に迷い込んでいるかのような、熱に浮かされた気分でレミはふらふらと森の中から足を踏み出しかけた。
「あ、あなたは……あなたたちいったい…?」
その華奢な肩を無骨な・・・そして親しんだ手が押さえ、レミの歩みを止めた。
「近づくんじゃねえレミ! こいつらタダモンじゃねえっ」
「お、親方……?!」
どうにか追いついてきた親方が、旧式の詠唱銃と手斧を構えてレミの前に出た。
◆◇◆◇
「エーツゥール族?! 知っているのか、雷で…じゃなくてアンリ!」
森の中から現れた、妖精とも見まごう華奢な姿態の女の子。
着ているものこそ粗末な貫頭衣に、蔓で編んだと思しい編みあげ式の深靴だが、精緻なつくりの顔立ちと、真っ白い肌、赤瑪瑙色の瞳、肩にかかるまで伸ばされた銀髪と相まって、よくできた人形と言われても違和感がないほどの愛らしさである。
「うむ、聞いたことがある」
頷くアンリ。ちなみによく似た系統の美少女二人だが、エーツゥール族と呼ばれた少女がまだ12~13歳くらいと発展途上なのを差し引いても、さすがに天使の瑕疵のない美しさとは一線を隔すという感じだ。
ただし小動物めいた庇護欲を誘う不完全さは「だがそれがいい!」という支持も得るだろうし、俺としてもそれについては異存はまったくない。
「……マスター、小学生を愛でるニートの目つきになってますよ」
「気のせいだ! アグネスさんに誓ってそんな疚しい気持ちはないっ」
「・・・まあ、いいですけど――いざとなったら私の手で始末しますし(ボソ)――『エーツゥール』というのはそもそも彼らの言葉で『人間』を指すのですが、グリアスに最も多くいる普人族が自分たちと区別をつけるために人種名としたものです」
「…あー、アイヌやイヌイットみたいなもんか」
微妙に背筋が寒くなるような独り言が聞こえた気がしたが、とりあえず難聴系主人公風にスルーして相槌を打った。
確かアイヌもイヌイットももともと彼らの言葉で「人間」を意味するものが、後に民族名称にされた例で、少数民族に対しては、実際地球でもそう珍しいことでもない。
「そうですね。ちなみに一般的にはさらに縮めて『エルフ』と呼んだりしてますが、まあマスターからすれば見たまんまですね」
「エルフキタッ━━━━━━━━!!! 」
思わずドラゴンの屍骸の上でガッツポーズをとる。
そんな俺たちにそのエルフ少女がなにかしきりに話しかけてくるが、なにを言っているのかぜんぜんわからない。
どうやら異世界言語=日本語に自動翻訳される能力が付加されるとかのサービスはないらしい。
さて、どうしたものかと悩んでいたところ、エルフ少女の後ろから髭もじゃの初老の男が現れ、少女を背後に庇う形でこちらに向かって斧と銃(?)らしきものを構えた。
見たところ60年配だろうか。着ているものこそ少女とあまり変わらぬ粗末なものだが、横にがっしりとした体型や岩を削りだしたような手足は、少女とはまるで別物であった。
と、言うかどうみても、
「あれって、ドワーフ?」
ファンタジーに出てくるドワーフそのものであった。
訊かれたアンリはちょっと申し訳なさそうに首を横に振った。
「いえ、アレもエーツゥール族です。というか、グリアスにはドワーフ族に当たる種族はいません」
「はっはっは。そりゃないぜ、セニョリータ♪冗談はよし子さん。あんなゴツいエルフがいるわけないだろう?」
斧まで持ってて。
「いえ、それが…その、エーツゥール族は成長に応じて4段階に分かれるんですよ」
なんだその、どこぞの宇宙人か人造人間のような設定は?!
第一形態(幼体・0~9齢)→第二形態(若体・10~18齢)→第三形態(成体・19~60齢)→第四形態(老体・61齢~)
「こんな感じです。ちなみに地球人感覚だと寿命が五千歳とか一万歳とか個人差があるものの、馬鹿みたいに長いので、『齢』というのはだいたいの見た目を参考にアバウトに換算してのことです」
「……エルフの成れの果てがアレかぁ」
ムッ○の毛を刈ったらそれはもうム○クじゃねえ!という感じで、いろいろと夢が破れた瞬間であった。
「ちなみにあのご老体ですけど『お前たちは何者でどこからきた?』『魔族の仲間か?真っ黒で見たことのない格好だが』『余計な動きをしたら撃つぞ』と言っています」
美少女エルフに代わって現れたオヤジエルフがなにやら喚いていたが、例によって理解できないのでスルーしていたところアンリがあっさりと通訳した。
「おおぅ、通訳できるのか!」
なんか初めてこの天使が役に立った気がした!
「いま、なにやら失礼なこと思われた気がしましたけど…はい、基本的にこの世界の共通語と古代語、精霊語等習得済みです。時間があればマスターも早めに覚えられたほうがいいですよ。とりあえず、ホゲモグラ語とマンドラゴラ語がお勧めです」
「……いちおう訊くけど、ホゲモグラ語とマンドラゴラ語って使えるのか?」
「もちろんですっ。地球で言うところのサーミ語のテル方言とカヤルディルド語並に希少ですから、知ってると自慢できますよ」
「それって確か、全世界で2人とか10人くらいしか使えない超マイナー級のマイナー言語だったような…」
確かにレアかも知れないけれど。
「まあ、それはそれとして先に、一応武器を持って敵対の様子があるので、『解析』であの男性の情報を確認しておきますね』
「それって魔法?」
「魔素ではなく天使の神力を使うので正確には魔法ではありませんけど、同様の魔法と効果は同じようなものですね」
ちなみに効果は相手名前や年齢、戦闘力など簡単なステータスがわかる程度とのこと。とはいえ便利なものだな魔法って。
【ニゲル・スミス(職業:炭焼き)/エーツゥール族63齢/独身(童貞・貯蓄なし)/頭頂部にハゲ有、慢性腰痛/戦闘力5】
「・・・ご安心ください。脆弱です。脆弱な原住民ですので、マスターがお気になさる程のことはありません」
「ふむ。まあ脆弱なのはいいんだけど…」
その原住民、興奮していまにも銃の引き金を引きそうになっているのを、エルフ少女が必死に取り押さえようとして振り回されている格好だ。
『××××! ××××××、××××××××××××!!(親方! 落ち着いてください、いきなり詠唱銃を向けるなんて!!)』
『×××××××××! ×××××××××××××××、××××××××××××、×××××××(止めるなレミ! 俺はこの森で50齢以上暮らしてきたが、あんな連中みたことねえ、本当に魔王軍かも)』
『×××、××××××?! ×××××××××?? ××××××××××(ええっ、いやちょっと?! どうみても片方は天使様でしょう?? って、親方ひょっとして酔って)』
「確かに……少々目を離した隙に、いつの間にか寺内貫太郎一家状態になっていますね」
小首を傾げて悩ましげに吐息を漏らすアンリ。
「どうやら私たちを怪しんでいるようですし、ここは誤解を解いておいた方が良さそうです」
「それには同意するけど、あの様子を見る限り簡単そうじゃないぞ?」
思わず渋い顔になってしまったが、アンリはまさに天使・女神でしか浮かべられないであろう、慈愛に満ちた笑みを浮かべて頭を振った。
「それでも人は言語によって歩み寄るべきです。真心をもって接すれば必ず相手も理解してくれると私は信じています」
その笑みに心ならずも見とれているうちに、アンリは翼を広げてふわりと地上へ落ちると、オヤジに向かって呼びかけた。
「私たち、怪しい者じゃないです」
「××××××!!(嘘つけーーーっ!!)」
翻訳されなくてもその言葉はなぜか理解できた。
うん、誰だってそう思う。俺だってそう思う。
怪しすぎてオツリが来るレベルだろう。
あれぇ…当初の予定とまったく違うパターンでのヒロイン2の登場となってしまいました。オヤジエルフとかも全然登場予定になかったし。あと、主人公まだ地竜の上にいるので正確には大地に立ってないんですけど(;´Д`A
で、例によって次回タイトル予定は『おまわりさんこいつです』(仮)