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第8話

街道を埋め尽くすほどのオーガの群れ。

その数は数十を下らず、Aランクパーティでも撤退を考慮するほどの異常事態だった。


土煙を上げながら迫り来る巨漢の魔物たちを前に、サイは愛剣を抜き放ち、ギリッと奥歯を噛み締めた。


「ネイ、お前は後ろに下がってろ! 絶対に魔法は使うな!!」


それだけを怒鳴るように言い残し、サイは単騎でオーガの群れへと突っ込んでいった。 それは、あまりにも無謀で死急ぎのような特攻だった。


(あいつに、あの激痛は二度と味わわせない……!)


自分一人で全部斬り伏せればいい。俺が傷だらけになろうが死にかけようが、ネイが魔法を使わずに済むならそれでいい。サイは防御を完全に捨て、血を吐くような気迫で大剣を振り回した。

しかし、多勢に無勢。死角からオーガの丸太のような太い棍棒が、サイの頭上へと振り下ろされる。


「……っ!!」


後方でその光景を見ていたネイの背筋を、氷のような悪寒が突き抜けた。 脳裏にフラッシュバックする、胸を貫かれて倒れるサイの姿。血だまり。自分の悲鳴。


(あの予知が、ここで現実になる……っ!?)


彼が自分に魔法を使わせまいとしていることなど、ネイには知る由もない。ただ「またサイが無茶をして死のうとしている」という事実だけが、彼女をパニックに陥れた。


「やめて、サイ……死なないで!!」


ネイは焼け焦げた魔力回路の激痛を無視し、自身の内側にある魔力を一気に爆発させた。


筋力強化パワー・ライズ敏捷付与クイック・ムーブ防護結界シールド……!」


ありったけの補助魔法をサイに重ね掛けする。しかし、それだけではあの群れの中で彼を生かし切ることはできない。 ネイは杖を両手で握り締め、あの死に物狂いの魔力枯渇と引き換えに『拡張された器』に降りてきた、新しい極大魔法の構成を編み上げた。


「――顕現せよ、『熾天使の鎧(セラフィム・アーマー)』!!」


その瞬間、サイの身体を眩い黄金のオーラが包み込んだ。


「な……っ!?」


頭上から振り下ろされたオーガの棍棒が、サイに触れる直前、見えない光の盾に弾かれて粉々に砕け散った。 それだけではない。鎧のようにサイを包む黄金の魔力は、彼の身体から一切の重力を奪い去ったように軽くした。

まるで、背中に見えない光の羽が生えたかのようだった。


「なんだ、この魔法は……身体が、異常に軽い……」


戸惑うサイに向かって、周囲のオーガたちが一斉に襲い掛かる。

しかし、サイが軽く地を蹴っただけで、その身体はオーガの頭上を軽々と飛び越えていた。 空中で身を翻し、剣を一閃する。黄金のオーラを纏ったその一撃は、分厚いオーガの肉体を紙のように容易く両断した。

敵の攻撃はすべて自動的に弾き返され、自身の動きは神速の領域へと達する。

それはもはや戦闘ではなく、一方的な蹂躙だった。



数分後。

街道には、数十体のオーガの死骸だけが転がっていた。

黄金のオーラの残滓を纏ったまま、サイは自身の身体を震える手で見下ろしていた。

息一つ乱れていない。かすり傷一つ、血のひとしずくすら浴びていない。無傷だ。数十のオーガを相手にして、自分はただ剣を振るっていただけで終わってしまった。


「サイ……!」


背後から、足早に駆け寄ってくる足音がした。 振り返ると、ネイが息を弾ませながらこちらへ向かってくる。顔色はやはり悪いが、彼女は必死にそれを隠そうとしていた。


「この魔法は……お前が、やったのか……?」


サイが掠れた声で問うと、ネイはふわりと、いつもの完璧な『便利な相棒』の笑顔を作ってみせた。


「うん。あの無茶な練習のおかげで、新しい魔法を覚えたの」


ネイは自身の胸の奥で、ズキズキと悲鳴を上げる魔力回路の痛みを奥歯で噛み殺した。

彼が無傷で立っている。生きていてくれている。それだけで、自分の命を削った甲斐があったというものだ。


「すごいでしょう? これでどんな敵が来ても、私がサイを守ってあげられるよ。……無事で、本当に良かった」


ニコッと笑うその顔は、本当にサイの無事を喜んでいる、純粋で美しい微笑みだった。

しかし。

その笑顔に向けられたサイの顔は、安堵どころか、まるでこの世の終わりを見たかのように絶望に歪んでいた。


彼女がこの神の如き魔法を降ろすために、いったいどれほどの痛みにのたうち回り、どれほどの命の灯火を削り落としたのか。

『無茶な練習のおかげで』と笑うその裏にある、血みどろの献身。

俺が魔法を使わせまいと特攻したことすら、結果的に彼女を追い詰め、この力を使わせてしまったのだ。


「……あ、あぁ……」


サイの口から、ひどく情けない、泣き出しそうな声が漏れた。 彼女の美しい微笑みが、今のサイには、自身の罪を刻み込む残酷な罰にしか見えなかった。


「無事で、本当に良かった」


血と泥に塗れた街道の真ん中で、ネイは天使のように微笑んでいた。

その笑顔に向けられたサイの顔は、この世のすべての絶望を煮詰めたように歪んでいた。


(ああ、そうか……)


黄金のオーラがゆっくりと消えゆく中、サイの心の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。

俺がどんなに一人で死に物狂いになっても、結局俺は、こいつの削られた命の上でしか剣を振れないのだ。俺が傷つかないのは、俺が強いからじゃない。こいつが、見えないところで血を流し、内臓を焼かれる痛みに耐えて、身代わりになってくれているからだ。


これ以上、こいつを俺の側に置いてはいけない。

俺と一緒にいれば、こいつは俺を生かすために、いつか確実に死ぬ。


「……サイ?」


自身の魔法の成果を喜んでくれると思っていたのに、サイが泣き出しそうな、それでいて酷く暗い目をしていることに気づき、ネイは戸惑うように首を傾げた。


「どうしたの? どこか、痛むところでも――」

「……もう、いい」


サイは、伸ばしかけたネイの手を、パシッと冷たく振り払った。

乾いた音が静寂に響く。ネイの目が、信じられないものを見るように見開かれた。


「え……?」

「もういいって言ったんだよ。……お前のその、過剰な魔法はな」


サイはギリッと奥歯を噛み締め、胸の奥で暴れる慟哭を無理やり喉の奥に押し込んだ。

今から俺は、この世で一番残酷な嘘を吐く。彼女の心をズタズタに引き裂き、二度と俺の手を取らないように。俺という呪いから、彼女を解放するために。


「期待しててね、だ? ふざけんな。あんな派手な魔法使われて、手柄を全部お前に持っていかれたら、俺がSランクに上がるための実績にならねぇだろうが」

「ちが……私は、ただサイを護りたくて……」

「それが鬱陶しいって言ってんだよ!!」


怒鳴り声が、木霊となって街道に響き渡った。

ネイの肩がビクッと跳ね、その青白い顔からさらに血の気が引いていく。


「俺は一人でもやれた。それなのに、お前がしゃしゃり出てきたせいで、俺はただの『優秀な魔道士に守られた剣士』に成り下がっちまった。……足手まといなんだよ、お前のその重苦しい魔法は」

「……あ、足手、まとい……?」


ネイの瞳が激しく揺れた。 命を削って手に入れた力。彼を生かすためだけの力が、彼自身のプライドを傷つけ、邪魔だと言われている。


「それに、お前のその『都合のいい女』ヅラにも、正直反吐が出そうだったんだよ。何をされてもニコニコ笑って、俺に尽くして……重いんだよ。気味が悪い」


サイは自身の舌を噛み切りたい衝動に駆られながら、これ以上ないほど冷酷な言葉を刃にして、彼女の心に突き立てた。


「コンビは今日で解消だ。俺はもう、お前とは組まない」

「――っ、いや、やだ……!」


ネイは弾かれたようにサイのローブを掴んだ。ボロボロ涙をこぼしながら、必死に首を横に振る。


「ごめんなさい! 余計なことしてごめんなさい! もう勝手に魔法は使わないから! ちゃんとサイの指示通りに動くから、だから……!」

「離せ」

「やだ! お願い、捨てないで! 私、サイがいないと……サイがいなくなったら、私……!」


予知で視た彼の死。私が側にいなければ、彼は一人で死地に赴き、本当に死んでしまう。

それだけは絶対に嫌だった。都合のいい女のままでいい。ただの道具でいいから、側に置いといてほしかった。

しかし、サイはその縋り付く小さな手を、力任せに引き剥がした。


「二度と俺の前に顔を見せるな」


氷のように冷たい声だった。

サイはそれ以上一瞥もくれず、踵を返して歩き出した。

振り返ってはいけない。もし今、あいつの泣き顔を見たら、俺の決意は簡単に崩れ去ってしまう。抱きしめて、全部嘘だと泣き喚いてしまう。

だからサイは、血が出るほど唇を噛み締めながら、ただ前だけを見て歩き続けた。


「サイ……! サイッ!!」


後ろから聞こえる、喉が裂けるような悲痛な叫び声。

それが遠ざかるたび、サイの目からは堪えきれない涙が溢れ出し、ボロボロと地面を濡らしていた。自身を呪いながら、剣士はただ独り、薄暗い街道を去っていく。


後に残されたのは、オーガの死骸の山と、泥土にへたり込み、声も枯れ果てるまで泣き叫ぶ一人の少女だけだった。 彼女の生きる理由は、今、完全に絶たれてしまった。


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