第7話
コンコン、と。
朝の静寂を破るように、宿の階段を駆け上がってきたギルド職員の切羽詰まったノックが響いた。
「サイ殿! ネイ殿! 緊急の強制討伐依頼です! 街道沿いにオーガの群れが出現しました。Aランク以上の冒険者は直ちにギルドへ……!」
その声に、サイは重い身体を引きずるようにして扉を開けた。 そしてほぼ同時に、隣の部屋の扉もカチャリと開いた。
「……おはよう、サイ」
ビクッとサイの肩が跳ねる。
恐る恐る視界の端に映ったネイは、いつものようにローブを身に纏い、何事もなかったかのような穏やかな顔をして立っていた。死人のように青ざめていた顔色は化粧で隠され、泣き腫らしたはずの目元も綺麗に誤魔化されている。
(……ネイ)
サイは息を呑んだが、喉の奥が引き攣って声が出なかった。
そんなサイの様子を「不機嫌なのだ」と都合よく解釈し、ネイは努めて明るい、いつもの『便利な相棒』の顔を貼り付けて微笑んだ。
「ギルドからの呼び出し、大変そうだね。でも安心して」
ネイは一歩だけサイに近づき、自身の杖を軽く握ってみせた。
「この間の……ちょっと無茶な魔術の練習のおかげで、私の魔力量、すっごく増えたみたいなの。だから今日の討伐、期待しててね。サイの背中、しっかり守るから」
ふわりと笑うその顔には、昨日病室で見せたあの痛切な拒絶の欠片もない。
ネイは決めていたのだ。昨日のことは、すべてなかったことにしよう、と。
(大丈夫。私がいつも通り笑っていれば、面倒くさいことが嫌いなサイは、そのうち勝手に忘れてくれる)
自分がどれだけ惨めでも、彼に重い女だと思われて捨てられるよりはずっといい。魔力枯渇で命を削ったことも「ちょっと無茶な練習をしただけ」という笑い話にしてしまえば、また今まで通り、彼の隣にいられる。夜になれば身体を重ねて、彼の体温を感じることができる。
サイの心の内など知る由もないネイは、必死に自分の心を殺して完璧な作り笑いを浮かべていた。
しかし、その『いつも通りの献身的な笑顔』は、今のサイにとって何よりも鋭い刃となって心臓を深く抉りやがった。
(……期待しててね、だと……?)
ふざけるな。
お前がその魔法を撃つために、どれだけ血を吐くような痛みを味わったか、俺は知っているんだ。俺のせいで死にかけたお前が、どうして俺のために命を削った成果を、そんな風に笑って差し出せるんだ。
「……」
サイはギリッと奥歯を噛み締め、俯いた。
込み上げてくる自己嫌悪と、彼女の痛々しいほどの優しさに、顔を上げることができなかったのだ。今の自分が彼女の目を見れば、そのまま無様にすがりついてしまいそうだったから。
「……行くぞ」
ただ一言、ひどく掠れた低い声でそれだけを絞り出し、サイはネイに背を向けて階段を下りていった。
ネイはその後ろ姿を見つめながら、小さく息を吐いた。
(……一度も、こっちを見なかった)
やはり、昨日のことで鬱陶しく思われているのだろう。でも、彼が突き放さずに連れて行ってくれるなら、それで十分だ。私がまた役に立つところを見せれば、きっと機嫌も直るはず。
二人の間には、絶望的なまでのすれ違いという深い亀裂が横たわっていた。
自分がどれほど彼を傷つけているかも知らずに微笑む少女と、罪悪感に押し潰されて彼女の顔すら見られない不器用な剣士。
ギルドへ向かう道中、二人はただ無言のまま、決して交わることのない互いの影を引きずって歩き続けた。




