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第15話

あの絶望的な夜から、数日が経っていた。


完全に焼き切れ、二度と魔法が使えないと思われていたネイの魔力回路は、治療師たちを驚愕させるほどの回復力を見せていた。

命を削るような『魔力枯渇』を狂ったように繰り返していたことで、彼女の魔力の「器」や「回路」は、並の魔道士とは比較にならないほど強靭に変異していたのだ。

今はまだベッドから起き上がることすらできない状態だが、ゆっくりと、しかし確実に、彼女の身体はかつての魔力を取り戻すための修復を始めていた。


「ほら、ネイ。少し冷ましたから、ゆっくり飲め」


柔らかな日差しが差し込む病室で、サイは匙で掬った温かいスープを、ベッドに横たわるネイの口元へとそっと運んだ。

その彼自身の身体も、実は満身創痍だった。古の滅竜との戦いで折れた肋骨はまだ完治しておらず、上半身には分厚い包帯が巻かれている。少し無理に動けば激痛が走るはずなのに、サイは自分の治療などそっちのけで、毎日こうして甲斐甲斐しくネイの世話を焼いていた。

かつての彼なら絶対にやらなかったような、不器用で、けれどひどく優しい手つき。


「……ありがとう、サイ」


ネイがスープを飲み込み、ふわりと微笑むと、サイは少しだけ照れたように目を伏せ、空になった器を机に置いた。


そして、丸椅子に座り直すと、組んだ両手を自身の膝の上に置き、静かに口を開いた。


「……なぁ、ネイ」


その声は、ひどく掠れていて、懺悔をする罪人のように重かった。


「俺……今まで、お前に酷いことばっかりしてきたな」

「え……?」

「ずっと、俺の都合のいいように使って。お前がどれだけ無理して俺に合わせてくれてるかも気づかずに、勝手に胡座をかいてた。『便利だ』なんて最低の言葉で、お前を傷つけた。最後には……足手まといだなんて、一番言っちゃいけない嘘をついて、お前を捨てた」


サイは顔を上げられず、膝の上で強く拳を握りしめていた。

ぽつぽつと、血を吐き出すように紡がれる謝罪の言葉。

彼がどれほど自分自身を責め、悔やみ続けてきたかが、その震える肩から痛いほど伝わってくる。


「……ごめんな。俺みたいな底抜けの馬鹿のせいで、お前にこんな痛い思いをさせて……本当に、ごめん」

「……サイ」


ネイはゆっくりと自身の細い手を伸ばし、サイの固く握られた拳の上にそっと重ねた。


「謝らないで」


静かな、けれどはっきりとした声だった。

サイが驚いたように顔を上げると、ネイは困ったように、少しだけ眉を下げて優しく微笑んでいた。


「サイが謝ることなんて、何もないよ。だって……私が勝手に、サイを死なせたくないって思っただけだもん」

「でも、俺のせいで……!」

「ううん。サイが私をどう思っていようと、私が『サイに生きていてほしい』って願ったの。傷ついても、嫌われてもいいから、ただ明日もサイが息をして笑っていてほしかった。……それはね、サイのためじゃないの。私がそうしたかっただけ」


ネイの瞳には、かつての虚無感も、すべてを諦めたような暗い色もない。

ただ、目の前にいる不器用な男への、底なしの愛情だけが静かに光っていた。


「私の、ただの我が儘だよ。だから、サイが謝る必要なんて、どこにもないの」


『自分が生きていてほしかっただけのワガママ』。

そう言って微笑む彼女の献身の深さに、サイは息を呑み、そして、堪えきれないように顔を歪めた。

どれだけ俺が酷い振る舞いをしても、彼女はそれを『自分の我が儘』だと言って笑って許してしまう。

この底知れない深い愛に、俺はいったい一生かけてどう報いていけばいいのだろうか。


「……お前には、一生敵わねぇな」


サイは泣き笑いのような表情を浮かべると、自身の拳に重ねられたネイの小さな手を、今度は彼の方から両手でしっかりと、壊れ物を包み込むように握りしめた。


「お前が我が儘で俺を生かしたって言うなら……俺もこれからは、俺の我が儘でお前を縛る。お前がもういいって言っても、一生お前のそばを離れねぇし、お前を絶対誰にも渡さねぇからな」

「……ふふっ。うん、分かった」


窓から吹き込む心地よい風が、ネイの短くなった髪を優しく揺らす。 二人の間には、かつてのすれ違いの残滓はもう何一つ残っていなかった。



***



ギルド本部は大きく揺れた。「古の滅竜」を討伐したという前代未聞の報告に。しかし、サイは頑として単独での手柄であることを拒否し、首を縦に振らなかった。

「俺一人じゃねぇ。俺の相棒の魔道士、ネイが放った極大魔法のおかげだ。あいつがいなきゃ、俺は死んでた」

ギルドマスターがどれだけ問い詰めても、サイは「俺とネイ、二人で倒した」と一歩も譲らなかった。その譲らない頑なさの前にギルドもついに折れ、特例としてサイとネイの二人が揃ってSランク冒険者として認められることになった。



***



数日後。

すっかり顔色も良くなり、ベッドの上に身を起こせるようになったネイの病室で。サイは、少しだけ照れくさそうに頭を掻きながら、彼女の正面に立った。


「……ネイ」

「うん?」

「俺と、もう一度パーティーを組んでくれ。俺の背中を預けられるのは、この先もずっと、お前だけだ」


それは、かつてのように「便利だから」という都合のいい理由じゃない。Sランク冒険者サイが、かけがえのない唯一の相棒へ向けた、心からの正式な申し込みだった。

ネイは目を丸くした後、ふわりと花が咲くような、今までで一番綺麗な笑顔を見せた。


「……ありがとう、サイ。喜んで」


その真っ直ぐで嘘のない笑顔を見た瞬間、サイの胸の奥で何かが弾けた。

堪えきれずに手を伸ばし、ネイの細い身体をぐっと力強く腕の中に引き寄せる。


「サイ……?」

「……愛してる」


自分でも驚くほど、その言葉は自然に口から零れ落ちていた。 飾ることも、誤魔化すこともない、ただの素直な本音だった。


(あぁ……なんだ。俺はこいつのことが、好きだったんだな)


命を懸けて守りたい。他の誰にも渡したくない。こんなにも当たり前で単純な感情に、失いかけてようやく気づくなんて。

自身のあまりの不器用さと鈍感さに、サイは思わず自嘲するような、けれどどこか晴れやかな笑いをこぼした。


腕の中にいるネイの身体が、微かに震え始める。

サイの胸に顔を埋めた彼女から、ひっく、と小さな泣き声が漏れた。それは、暗い森の奥で流した絶望の涙とは違う、温かくて甘い、幸福の涙だった。


「泣くなよ」


サイはわざとぶっきらぼうにそう言いながらも、その手はもう二度と彼女を手放さないと誓うように、さらに強く、力強く彼女を抱きしめた。


窓の外では、眩しい光と共に新しい季節の風が吹き抜けていく。

都合のいい相棒と、剣しか知らない不器用な男。致命的なまですれ違っていた二人は、命を削るほどの遠回りをして、ようやく本当の「パートナー」になったのだった。


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