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第14話

「……ネイ……ッ!」


崩れ落ちる遺跡の中で、サイは血まみれの自身の体を無理やり叩き起こした。

折れた肋骨が肺に突き刺さるような激痛が走り、口からどす黒い血が溢れる。それでも、彼は折れかけた大剣を放り捨て、振り返ることなく遺跡の出口へと向かって爆走し始めた。

古の滅竜を倒した証拠も、Sランク昇格の栄誉も、今のサイにとってはどうでもいいゴミ屑でしかなかった。


(あんな魔法……撃ったらどうなるか、分かってねぇのかよ……!)


全身の血が凍りつくような恐怖が、背中を容赦なく叩き続ける。

あれは、人間の器で扱っていい魔法じゃない。発動の気配すら完全に隠蔽し、空間ごと神話の化け物を削り取るような術式。それを成し遂げるために、あの馬鹿な相棒がどれほどの命を代償に差し出したのか、想像するだけで発狂しそうだった。


「クソッ、動け……動けよ俺の足……!!」


自身の血で滑る足元を呪いながら、サイは獣のように大地を蹴り、街の外れにある暗い森へと向かってただひたすらに走り続けた。



陽が完全に落ち、漆黒に染まった森の奥。

死の静寂に包まれた泥土の上で、ネイの意識は深い闇の底へと沈みかけていた。

痛みはもう感じない。冷たさすら遠のいていく。 ただ、最後に彼が立っている姿を見られたことだけが、冷え切った胸の奥で小さな温もりとなっていた。


(……これで、よかった。サイ、さようなら……)


静かに呼吸を止めようとした、その時だった。


「……イ……! ネイッ!!」


バキバキと枝を折り、泥を跳ね飛ばして近づいてくる、乱暴で焦燥に満ちた足音。

そして、喉が裂けんばかりの絶叫が、ネイの薄れゆく意識を強引に現世へと引き戻した。


「ネイ!! どこだ、返事をしろ!!」


(……サイ……?)


幻聴だろうか。彼がこんな森の奥にいるはずがない。今頃はきっと、遺跡で勝利の喜びに浸っているはずだ。

しかし、次の瞬間。泥にまみれたネイの身体を、血と汗の匂いが混じった大きく熱い腕が、乱暴に、けれど壊れ物を扱うようにそっと抱き起こした。


「……っ、あぁ、ネイ……!!」


重い瞼をわずかに開けると、そこには、自身の血と泥でぐちゃぐちゃになったサイの顔があった。

彼の瞳からは、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ち、ネイの冷たい頬を濡らしている。


「……サ、イ……?」

「喋るな! クソ、血が止まらねぇ……! 息をしてくれ、頼むから目を開けててくれ……!」


サイは震える手でネイの頬を包み込み、自身の持っているありったけの回復薬ポーションを彼女の口元へ流し込んだ。しかし、焼き切れた魔力回路による自壊は、普通の薬ではどうにもならない。


「どう、して……」


ネイは微かな声で、焦点の合わない瞳をサイに向けた。


「サイは……新しい、相棒と……」

「いるわけねぇだろ、そんな奴!!」


サイの怒鳴り声が、森の夜気を震わせた。

それは怒りではなく、深い後悔と慈しみに満ちた、魂からの叫びだった。


「俺の隣は、お前の席だ……! お前以外に、俺の背中を任せられる奴なんているわけないだろ!!」

「でも……私、もう、魔法回路が……」


ネイの瞳から、一筋の涙がこぼれた。 命を削り尽くした彼女の体には、魔力の残滓すら残っていない。もう二度と、彼を守るための魔法は撃てないかもしれない。ただの、本当の『足手まとい』だ。


「……俺は、お前が捨てられたのになんでこんな無茶をしたのか、やっとわかったんだよ」

「え……?」

「上等だ。魔法なんか二度と使えなくていい。足手まといでも何でもいい! お前が立てないなら俺が背負うし、お前が戦えないなら俺が全部斬り伏せてやる!!」


サイは、ボロボロになったネイの身体を、自身の腕の中にきつく抱きしめた。

彼の温かい体温が、彼女の冷え切った命を強引に繋ぎ止めるように伝わってくる。


「……だから、俺を置いていくな……。俺には、お前が必要なんだよ、ネイ……!」


子供のように泣きじゃくりながら、サイはついに、ずっと言葉にできなかった本当の想いを口にした。

『便利だから』でも『都合がいいから』でもない。 サイという不器用な剣士の魂の半身は、この少女でなければ絶対に埋まらないのだと。


その言葉を聞いた瞬間。

ネイの死に絶えようとしていた心臓の奥底で、かつてないほど熱い、強烈な感情が爆発した。


(私を……必要だと、言ってくれた……?)


都合のいい女としてではなく。ただの『ネイ』として。

彼が、私のために泣いてくれている。私を求めてくれている。


「……あ、ぁ……っ」


ネイの枯れ果てたはずの瞳から、とめどなく涙が溢れ出した。

ずっと彼に拒絶されたと思っていた。ずっと不要な存在だと思っていた。 けれど、違ったのだ。


「サイ……サイ……ッ」


ネイは自身の血に染まった細い腕を、ゆっくりと持ち上げ、サイの大きな背中に回した。

自身の命を削り切ったはずの身体に、サイの熱が流れ込み、奇跡のように心拍が強くなっていくのを感じる。


「……私、サイの隣に……いて、いいの……?」

「当たり前だ……! もう二度と、お前を一人でこんな暗い所にいさせない。一生、俺が守るから……!」


サイの涙でぐしゃぐしゃになった顔を見て、ネイは今度こそ、心からの微笑みを浮かべた。

予知で視た絶望の未来は、完全に消え去った。

残されたのは、魔法を失った少女と、Sランクの称号を捨ててでも彼女を選んだ一人の剣士だけ。


「……うん。ずっと、一緒にいようね……サイ」


静寂の森の中。

血と泥にまみれた二人は、互いの体温と鼓動を確かめ合うように、いつまでも強く、強く抱きしめ合っていた。

夜明けの光が木漏れ日となって降り注ぎ始める中、彼らの新しい冒険が、今ようやく、本当の意味で幕を開けようとしていた。


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