第十九話 脱出
タクミの予知能力は消えてしまった。いくら戦争が始まると言っても、それを目の前にいる人々に証明することはできない。
ならば、今タクミにできることは何か。タクミは必死に考えた。ヒメやカスミや村の人々を巻き込むわけにはいかない。これ以上、この村に留まることは危険だ。
「すみません。さっきの話は全部忘れてください」
「どういうことかな」
「予知能力とか、戦争が始まるというのは、船から落ちて漂流した男の戯言です。記憶がないとか、元に戻ったとか、それも本当かどうかわからない。あなたは、ただ目の前の怪我人を治療しただけ」
「それでお前はどうなるのだ」
「もうすぐ、警察か役人がやってきて、僕を逮捕するでしょう。その前に僕は消えます。皆様のご恩は、一生忘れません」
「待て、まだ、話は終わってない」
ヒメは言ったが、タクミはその言葉を遮るようにして、言った。
「いえ。皆さんは、何も知らなかったということにしてください。僕の記憶は戻らなかった。そして、誰にも何も告げずに、消えた。あなたも、カスミちゃんも、僕のことは、何も知らない。これまでも、これからも。いいですね」
「待て、と言っているのだ。行くところはあるのか」
「大丈夫です。もうじき仲間が迎えにくる」
嘘だった。予知能力を失った今、自分の未来がわからない。それは、タクミにとっては想像以上に不安な世界だった。舵を失った船に一人で乗っているような気分だ。でも、その一方で思う。自分やポチのような妖術の無い、いわゆる普通の人々は、その世界を平気で、むしろ楽しく生きているのだ。それが自分にできないはずがない。
「とにかく、これを持っていけ」
ヒメがタクミに渡したのは、古い、大きなカギだった。ずいぶん珍しいものだ
真鍮でできているのだろう、それは重く、黄色っぽく輝いていた。
「私の父が、使っていた別荘の鍵だ。あの壁の地図に場所が書いてある」
ヒメが見た方向の壁には、この村の近隣らしい地図が貼ってあった。ここから、おそらく数十キロ離れた海岸に、その別荘はあるらしい。
「場所を覚えたか。遠いが、お前なら行けるだろう。別荘には、十日分の食料はある。十日以内になんとかなることを祈るよ」
ヒメはそういうと、さらに少しばかりの、食料と水の入った竹筒を急いで用意するとタクミに渡した。
「元気でな。戦争を回避しておくれ」
ヒメが自分の言葉を信じてくれた。そのことが、タクミにはうれしかった。
「それでは」
玄関を出たところで、タクミとカスミはすれ違った。
「どうしたの」
カスミはそのただならぬ気配に驚いたが、タクミは何も言わずに走り去った。カスミは、今後どうなって行くのだろう。タクミは妖術を持つものの苦しみを知っているだけに、カスミの将来が心配になった。カスミの能力は、もしかしたらカスミを幸せにするかもしれない。おそらくヒメがうまく導いてくれるだろう。タクミはそう願ったが、今はもう、未来を見る力がタクミにはない。
村を出てから、海岸沿いを一時間ほど走った。誰も追いかけて来る気配はなかった。道沿いに、小さな川が流れている。限りなく澄んだその流れを見て、タクミは疲労が極限に達していることに気づいた。
直接口をつけて、その水を飲んだ。想像以上に冷たい水が、全身にしみわたっていく。タクミはそのまましばらく立ち上がることができなかった。




