二章#37 約束
安倍澄が大久保勝と出会ったのは心を閉ざそうかとしていた頃だった。閉ざそうとしていた心の扉を強引に蹴破り澄に押し寄ってきたのだ。
勝との時間はぬらりひょんとの生活だけでは絶対に得られないそれだった。年少期にあるべき同年代との時間。それは年齢不詳にして澄よりは年嵩だろうぬらりひょんとの生活では絶対に得られないものである。
奥手になりがちな澄と思い立ったが吉日とばかりに行動する勝。そんな両端な二人は凸と凹のように調和していた。
時が流れ澄は岐路に立つ。
陰陽師の辿る道筋は二つある。
一つは戦場に出て、契約した妖の力を振るうという道。妖の操る神術は人のものとは質も威力も桁が違う。肉体というものがない妖は人のそれよりも強力な神術を扱う。最終兵器、必殺兵器としても非常に有用なものである。
もう一つは刑罰全般を受け持つ刑部に仕えるという道である。陰陽師はその術を使い、妖、正確には肉体を持たないものと契約を結ぶ。ならば、陰陽術を用いることで死者を呼び出すことすら可能となっている。
こういった事情もあり、陰陽師は刑部の天頼家に仕えるという道がある。
だが、澄には岐路など無い。澄には死者と契約を結ぶほどの力が無いのだ。赤点ギリギリの陰陽師である澄には戦場に出るという一つの道しか残っていなかった。
怖い。 怖くて堪らない。
戦場という空間が怖くて堪らない。
死の蔓延るその環境が怖くて堪らない。
体が震えて止まらない。
「側にいる」
震える澄に勝はそう言った。
「オレがずっとお前の側にいる」
人肌の暖かさがじんわりと伝わってくる。染み込むようにゆっくりと時間をかけて。
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澄の初陣、それは気付けば終わっていた。
後で聞いたことだが、『らりー』が私を乗っ取り『らりー』自身の力を使ったらしい。私は何もしていない。正確には、『私自身』は何もやっていない。それなのに鉛のように体が重く、だるい。何もしていないのに何かをやったという痕跡だけがそこにある。
気味が悪い。
重い瞼を開けるとそこには勝がいた。勝は心配しているような素振りは一つも見せずに『やっと起きたのか』と不躾に言い放つ。それが澄には心地よかった。実感もない賞賛を送られるより、そちらの方が余程気分が晴れた。そんな心の機微まで読んでいたとすれば、恐ろしい。けれど、同時にどこかうれしい。
心の内を中々打ち明けられない澄にはそんな勝はとても頼もしく映った。
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勝が死んだ。何かの感慨を抱く暇もなく、死んだ。
澄は勝と出会う前に巻き戻った。今まで広がっていたように感じていた広い野原は勝が見せてくれていた景色だ。澄を持ち上げてくれて、壁の向こう側の景色を見せてくれて、時にはそこに連れ出してくれた。
けれど、その景色が見えなくなった。自分より低いと思っていた壁は自分より遥かに高かったのだ。
勝が死んでから、澄は望門や妹乃、梓との接し方が分からなくなった。死んでなんて欲しくないし、みんなが大切だ。だけれど、それの表現のし方が分からない。言葉一つが出てこない。
出てこないまま、開いていた扉が閉じてしまう。勝が見せてくれた景色が、思い出で止まってしまった。
澄の家族はもう一回『らりー』だけになってしまった。
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「どうして?陰陽術が止まらない」
あの白い長髪の陰陽師と妖との契約。それは確かに【清算】したはずだ。なのに彼女の使う陰陽術は止まらない。今もこうして三日月棗へと牙を向いている。
「澄と『らりー』には関係ない」
約束で繋がれた二人には契約が存在しない。従って世怨の力が及ばなかった。
そんなことを知る由もなく、困惑のまま三日月棗は唸る焔に貫かれる。
だが、それだけでは導士は死なない。それにまだ、死ねない。
自分の娘の安否を知るまでは、まだ、死ねない。死んではならない。胸が鳴る。生をせがむように喧しく鳴り響く。魂が叫んでいる。
痛いほどの鼓動を感じながら、三日月棗は立ち上がる。諦めることなどできるはずがない。
幼少の折のことを謝る時間を与え給え。そう自らの世怨に祈りを捧げる。
「さよなら」
意識の外、背後から凶刃が心の臓を穿つ。
安心したような顔つきで導士は地に伏せった。




