二章#35 不信感
北方の砦の完成を見届けた後、翔賀と恵をはじめとする面々は首都へと戻ってきていた。目を通すべきものがほどほどに溜まっていることだろう。
慣れた手つきで首都に滞在していた者がまとめてくれていた紙を見る。
一つ目は、南方の将軍である京極琴葉が新たに呪愛世怨を宿した温木 斗生という導士を討伐したというもの。
やはりこういった知らせは土地柄も相まって南からが最も多い。だからこそ京極将軍に加えて蒼穹大将軍も出陣されている訳だが。
だが、過労死ラインに差し掛かっていそうな南方面に朗報もある。しばらく敵の見えなくなった西方面の物部将軍が南方面にも数を割くという。蒼穹大将軍らに比べれば数は少ないが、必ずや有力な部隊になってくれることだろう。
と、ここまではいい。ここまではいいのだ。
(なんだ?これ………)
現代風に言うなれば『督促状』だろうか。出先は先ほど話題に上がった南方面からである。宛先は蒼穹大将軍。導士が二人来たので首都での用が済み次第、来ていただきたい、と。それ自体は何ら不思議は無い。自らの劣勢を理解し、すぐさま援軍を頼む。人によっては情けないなどと言うかもしれないが、いたずらに兵と時間を費やすより余程有益な時間の使い方であろうと翔賀は思う。
だが、しかし。首都にいたもの誰に聞いても蒼穹大将軍は『帰ってきていない』と言うのだ。
入れ違いでもしたのだろうか?
人によって通る道が異なるのは十分に考えることのできる話だ。現代日本でも大阪や名古屋、東京周辺の路線図にめまいを覚える人は決して少なくないだろう。いくつもの路線が絡み合い、場合によってはそのあたりに販売してある謎解きの数倍は難しく感じる。さながら迷路なその道筋が複雑な理由は単純に目的地にたどり着く手段が豊富だからである。
地下に路上、場合によっては高架橋と実に多くの道筋が大都会では敷いてある。だが、この世界ではどうだろうか。
主な通路は当然のように土で作られ、地下といえどもたかが知れている。まして空中など夢物語。そこに入れ違うような余地があるのだろうか。翔賀が知らない神術、それこそ和という筋肉質な導士のようなテレポートの神術でもあればお手上げだ。が、それも無しに食い違っているのであれば、それは違和感でしかない。
最も単純な理由は首都に戻る道中で何らかのアクシデントがあったというパターン。それを解決するよりも先に京極将軍からの遣いが首都に辿り着いたというのであれば時間的な齟齬はないように思える。
と、こんなことは首都にいたものも思いついたらしく、すぐ下にその報告がある。
異常なし
何なら京極将軍と蒼穹大将軍が一緒にいることまで確認済みときた。
京極将軍からの使者が帰る中で会った、という場合でも時間的な齟齬は感じられないが、その場合蒼穹大将軍は何のために前線から離れたのか説明がつかない。物部将軍に会いに行くのならば隠すことなく言えばいいように思えてしまう。
深まるのは疑念である。
不可解な行動を起こした蒼穹大将軍への疑念。
身近に対する不信感とは実に面倒くさい。『信じる』という単純で簡潔な関係は想像よりも遥かにお互いの為になる。円滑を妨げるのはいつだって不信感だ。疑心から生まれる後ろ向きな感情はどうしたって足を引っ張る。それが及ぼした影響の大きいものから小さいものまで雑多にあることだろう。
忠臣への疑心、肉親への疑い、スパイへの不信感。それの極点は大抵が殺害である。疑いの芽を文字通り根っこから刈り取る単純にして簡単な作業。そうなるのかどうかは今は分からない。だから言い方を変えよう。
『不信』を『警戒』へと変えよう。言霊と言うが言い方一つで心持ちとは案外と変わるものだから。
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「引き渡せなどとは申しません。ただ一目見たいのです。私の娘、三日月薊を」
「何度も言うが、僕たちは三日月薊なんて人は知らない!」
「本当ですか?ちょうどあなた方と同じくらいの年齢のはずです。見かけたことすら、無いのですか?こんなにも分かりやすい目印があるというのに」
そう見せつけるのは何度も見せられた雲の上に浮かぶ三日月の入れ墨だ。だが、その入れ墨を何度、どれだけ見せられようがその入れ墨に心当たりは全くない。
たとえあったとしても教徒のいうことに耳を傾けるのか。否、断じて否。『救う』と言いながら堂々と『殺し』をやらかす連中の言葉を信じるなど人が良すぎるだろう。
そして普段その様なことをやらかしているのに「自分の娘だから」と要求するのは虫が良いというものだ。
もう終わりにしよう。時間の無駄だ。




