二章#33 光
五感が鋭い。
それは生きる上で大抵の場合、有利に働く。
ファッションでかけるメガネと必要故にかけるメガネを同価値ではない。”なくてもいい”と”無いとダメ”が釣り合わないのは当たり前だ。必要な金銭まで考えれば尚のこと。
真峯阿唯の力がソレだと蘇我遮那から聞いた翔賀はそんなことを考える。
なぜ蘇我将軍がピンポイントに敵導士の力を知っていたのかは些か気になるところだが、一旦は脇に置いておくとしよう。この状況から寝返りというのはあまり考えたくない。そうなれば勝つ確率が今度こそゼロになるだろう。
傍から見ている分には『そっちが有利だと考えたんだなぁ』なんて他人事にも思うが、他人事でないのだからそうはいかない。
しかし、導士の力を知った上で先の戦いを見れば新たな疑問もある。
どうして導士の眼に真っ黒い布が巻き付けられていたのか。
多数の人間の目線で考えれば眼という器官は情報を得る器官の中でも重要なものだ。
光という文字通り世界最速の情報伝達粒子を受信する器官なのだから当然だろう。そんな”眼”をどうしてかあの真峯阿唯という導士は塞いでいる。理由として思い当たるのは”鋭すぎる”のか、そもそも”見えない”のか。
感覚が鋭いというのはデメリットにもなる。人がそれをデメリットとして語るとき、”鋭い”は”過敏”へと姿を変える。鋭すぎるがあまりの弊害。アレルギーもその一つだ。体による過剰防衛反応であるそれは、最悪の場合死に直結する。
それを持ちたいと思う者はそういないだろう。
アレルギーは制御できない類のものだ。制御できれば全国の花粉症に恨みを持つ数多の人間が救われることだろう。
そんなレベルに過敏なものをわざわざ力として欲しがるとは考えにくい。
従って真峯阿唯という導士は盲目である。そう翔賀は結論付ける。欠けた視覚を飛躍的に向上した触覚や聴覚などで補っているのだろう、と。
『蘇我遮那は策を用いない』
かつて西方に赴いていた折、物部将軍が言った言葉を思い出す。ならばこれは翔賀がやるべき領分であろう。
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「おとーさん!阿唯、”もういっかい”おむかえにきたよ!」
燦々と陽光の降り注ぐ日、真峯阿唯はやってきた。これで三度目のことだ。
一度目は初めて遭遇したあの時。二度目は雨の降っていた日。そして、三度目の今日。
どうして二度目で討伐しなかったのか。
その理由は単純明快で天候が悪かったからだ。翔賀が立てた策は晴れの日でなければ機能しない。そのため二度目では籠城戦だった。
そのおかげで被害はごくわずか。人的被害に至ってはゼロである。
なら最初からそうしろと思うだろうが、敵に囲まれながら生きろと言われて首肯する者はいまい。
精神的な限界はいずれ来る。そしてその水が溢れた時、描かれるのは敵味方の分からない地獄絵図だ。それを防ぐためにも”敵を打ち倒す”ことは必須事項である。
話を戻して三度目の今日。天候は晴れ。つまり策を実行できる。
そのため、蘇我将軍はいつも通り構えてもらう。ただ今回は攻める必要は無い。必要なのは準備ができるまでの時間だ。
神術が大掛かりな上、構築しておくことができない都合上、どうしてもその場での構築を余儀なくされる。時間はあればあるほど好ましい。
勘づかれないことが最良なのだが、それを期待するのは現実離れであろう。
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「いつもよりあったかい………おとーさんたちは阿唯になにしてくれるのー?阿唯、おっきい”ひのたま”よりおとーさんがほしい!」
想定通り導士はこちらが火の神術を構築していることに勘づいている。
だが、それだけなら狙い通りというもの。武田翔賀の罠は上手く機能しているらしい。
「某ガ行けバ、ドウスル」
「阿唯はおうちにかえる!かえっておとーさんと”いっしょ”に”すごす”の!」
「ソウカ。ダガ、ソレハ、デキナイ相談ダ!」
掲げた刀に陽光が煌めく。光の受け取れない敵の導士には悟られない合図。
蘇我遮那が刀を振り下ろすと同時、旗が静かに振るわれる。
眩い閃光が真峯阿唯に突き刺さった。




