二章#32 『蘇我遮那』
「だいじょうぶ!なくても阿唯がつくってあげるから!!」
暖かくて、無邪気で、それだからこその残酷と怜悧を多分に含んだその言葉は、それだからこそ蘇我遮那には届かない。
相反と言っても良いほどの対岸から目を真っ黒い布で覆った導士真峯阿唯はその手を遮那へと差し出す。
「………きてくれないの?阿唯よりも”たいせつ”なものがあるの?そこのひと?」
首を回し、阿唯は翔賀を見すくめる。陽射しの暖かさを打ち消すように冷汗が背筋を伝う。死の歩みが傍に聞こえるような気がした。
が、ここで後ずさるわけにはいかない。今、翔賀の後ろには神官が大勢いる。あの導士と神官が戦って勝てる可能性はゼロ。そして、逃げることのできる可能性も同じくゼロ。
翔賀の方がまだ可能性がある。
ゼロと一程度のわずかな差。
されど可能性のあるなしの次元では大いに価値のあるゼロと一である。
「その”ひと”がこっちにくれば、おとーさんもきてくれる?それとも、つれてきてくれる?」
答える必要すらない。分かりきった否定が出るだけのお話。無駄な問い、そう言い換えてもいいほどに。
「………じゃあ、阿唯、まだ”がまん”する!きょうは”かえって”またくる!」
なにを一人で解決したのかさっぱり分からないまま真峯阿唯は踵を返す。追撃して勝てるような戦力は既に失われていた。
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蘇我遮那は震えていた。
それは真峯阿唯が自分を”おとーさん”とそう呼んだ時からずっとだ。何とかそれを悟られぬようにと務めていたのだが、その成果はどうだろうか。上手く誤魔化すことができていただろうか。だが、すんでのところで食い止めた心の狂乱ももう抑えられない。
蘇我遮那は怯えていた。
他の誰でもない自分に。いや、正確には自分の”前世”にだ。
あの導士が”おとーさん”と父親だという人物を蘇我遮那は知っている。遮那がまだ教徒の頃、正確には親元で生きていたころ。遮那はその名前を知った。
そして、抜け出して皇国の兵となった時、遮那はもう一度その名前を聞いた。
「………真峯阿難」
教徒の間では至上の徒として語り継がれ、皇国では”最悪の導士”として記されている三十年ほど前、皇国によって討たれた人物である。
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真峯阿難は真峯阿唯と同じ北方面に現れると交戦した部隊を容易く粉砕。その後も突発的に現れては抵抗する皇国軍を撃破したという。阿難による被害は全て合わせると当時の皇国軍の三分の一に迫ったらしい。
その影響は今日の減少した皇国の支配域を見れば明らかというものだろう。
そして、その時の記録を当てにするのならば、真峯阿唯の世怨、飛角世怨の力は既に解明されている。
それは感覚の鋭敏化。
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、そして味覚。この五つの感覚が常人の枠を遥かに凌駕するというもの。
これに対し当時、真峯阿難へ行った対処は”飽和攻撃”である。
避けきれない程に一定時間攻撃を続ける。
圧倒的な数の暴力によって真峯阿難を討伐し得た。
前例とは素晴らしいものだ。前提条件を確認した上で運用すれば最善かは分からないが、致命的な失敗になる確率はかなりの割合で防ぐことができる。
王道の戦い方、飽きを感じる程のありふれた戦術。それは有効だからこそ何度も、そして時代を超えて運用されるのだ。
なら今回はどうか。同じ力を持っていると思われる相手に対し、前例と同じ方法は通用するのか。
その答えは『通用しない』、である。
なぜなら、決め手となった数の暴力が使えないから。
四方に敵を抱える皇国には当時ならいざ知らず、今、数を用意できるような余裕はない。
南方での戦勝は中央から来た翔賀という者から聞き及んでいるが、無傷の完勝など夢のまた夢。相応の被害が出ていると読むべきだろう。
従って今、ここにいる兵だけで真峯阿唯という導士を討伐しなければならない。
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自らが先頭に立ち、兵士を導く。人でもて波を作り出し、それを教徒へと押し付ける。
それが今日までで形成された蘇我遮那の基本戦術である。
蘇我遮那は策を用いない。
その理由はこれまでの経験に多くの比重が掛かっている。
教徒側を抜け出して皇国へとやってきた蘇我遮那。
そんな遮那に皇国が要求したのは元の同志を殺すことだ。至極簡単な踏み絵。
やらなければここまでの道が水泡に帰す。
戦功、とにかく戦功が要る。
そう強迫観念に囚われた遮那が行ったのは全軍の先鋒として教徒へと突撃を敢行し、注目をその一身に集めること。
そして皮肉にも遮那には親元で過ごしている時に身に付けた『救済』のための膂力と武器の扱い方があった。その結果、遮那はこの戦いで生き残る。
何度も何度も、遮那は死にに行くように病的に先鋒をつとめ、そして生き残る。それは戦功が認められ牢生活を脱しても、出世し将となってからも変わらなかった。
常に命がけの綱渡り。
肩身の狭い中で生きている。戦功を上げなければ存在価値がない。存在価値が無くなれば自分など容易く手打ちにされる。そしてそれに足る理由を自分は抱えている。
すっかり染み込んでしまった強迫観念はそう易々とは拭えない。




