二章#21 策を弄する
敵導士の討伐。それは言わずもがなの大金星である。通常なら都に、最低でも前線拠点へ、とんぼ返りでも何でもして休みを提供しなければなるまい。
だが、今は最前線基地、それも構築中という二進も三進もいかない急場。いかに大金星といえども前線からの離脱は許容しがたい。
それを受け入れてくれる兵には感謝でいっぱいである。それならば融通程度、図れるだけ図ってやらなければ。
「貴様は中央軍だ。ならば、今後北にも行くことがあろう」
それは戦場を見下ろしながらの物部将軍からの突然の言葉であった。
「蘇我遮那の戦いには注意することだ。奴は突撃と退却しか知らぬ。奴は己の剛力でもって全軍を鼓舞し、戦に勝とうとする。従って多くが傷つく。奴は策を弄しない。それは奴が『教徒側』だったからだ」
「申し訳ございません、将軍。話が繋がりません」
「貴様は策を弄することをどう捉える?智将と取るか?謀将と見るか?それとも……臆病風に吹かれた日和と見るか?」
『策は臆病者が使うもの』
オブラートで包めば剛毅な将軍が言いそうな文言である。
正々堂々と華々しく、真正面からぶつかり、己の、味方の武力でもって敵を跳ね除け粉砕する。
正しく一騎当千などすればやる側としては実に愉快極まりないだろう。
『無双』と言えるような、そんな英雄のような活躍を魅せられればときめきの一つ抱きたくなるというもの。
だが、忘れてはならない。
そもそも英雄などいない方がいいのだ。『無双』など極端に言えばできない戦場を用意することの方が何倍も望ましい。誰かが百二十パーセントの力を出す戦いよりも万人が八十パーセントで勝てる戦いの方が余力がある分、良いに決まっている。
『教徒側だった』将軍、敵側だった将軍。その人が後方で腕を組み頭を悩ませているうちに、隣にいる、前に進む戦友が憐れ血肉と化す。言いたくなるだろう。『お前がやれ』と。
味方への疑心は軍の、組織としての崩壊まで恐ろしい速度で駆け抜ける。
癌を排除したと言い張って首脳を刈り取り、首から上、丸ごと食道がんを排除するようなものである。
ならば行かねばならない。自らが陣頭に立ち、味方を鼓舞せねば。兵が死するとき、我も死ぬぞと。そこに躊躇があってはならない。躊躇を日和ととらえられれば瓦解は明白なのだから。
こうして蘇我将軍は陣頭に立ち敵を撃滅するようになった。幸いにも彼には戦術眼があった。適切にいい頃合いで敵を速度でもって崩壊させる。展開している部隊全てを使った一撃離脱。
物部将軍曰く、蘇我将軍が得意とするのはそれである。
だからこそと、将軍は続ける。
「奴の突撃を前提とした策を貴様が考えよ。過去を見れば南と東からの来襲が多い。恐らくだが、蒼穹将軍は南に付きっきりとなるだろう。そして、東は既に幾らか撃退している都合、次は北だ」
巻き起こっている戦闘から目を離さず、物部将軍はそう言った。
「此度も我らの勝利のようだな。者共!凱旋を盛大に祝ってやれ!!!」




