一章#39 『火』
ボゥという音と共に敷いた木に火がともる。初めて成功した神術に思わず感嘆の声がもれてしまう。
(ま、初級も初級なんだけどさ)
未だ小さい炎を眺めながら翔賀はそんなことを思う。
話によれば優秀な人物は何も言われずとも感覚で扱うことができるらしいではないか。ヤマ勘だが妹乃はそのタチだと思う。
この調子で簡単なものはできるようになっておきたい。世間の水準に達しておきたいというのもあるが、何より名前は違うが魔法である。人並みにゲームを始めとしたファンタジーに浸かったものとしてはやはり憧れの一つあるのだ。男はいつまで経っても中二病とは言うが、実物を前にするとそうだなと強く思う。待ちわびたひと時を過ごすかのように翔賀は今、とてもワクワクしているのだから。
ゲーム脳的にはジョブチェンジなんてしてみたいと思わないではないのだが一体何十年先になることやら。こちとら初級の初級でキャッキャッしている十代後半である。どちらの先も長いのだ。できるようになった暁には神術を扱う武士、ファンタジーものでいう魔法剣士のようなものでもやってみたいものである。
五つの属性と陰陽の二極。これがこの世界の魔法、神術の仕組みである。
『陰の火』、『破壊』の性質を根底に持つことから、戦闘でまず用いられることの多い神術である。妹乃曰く、『悩む暇があるなら火を使え』というレベルらしい。素の威力が高く、性質から攻撃力も担保されている。なるほど、そう言うのも納得できるというものである。
対する『陽の火』は『熱』を根底に持つ。暖かみとかそういう『熱』である。全力で頑張ったら小火が起こせる程度の火力らしい。陰の火なら一の出力で済むらしいのだから心配はいらないが、火の用心である。なにせ燃え移りはするのだから。
両者とも水をかけるなりすれば消火ができる。つまり神術として放たれた後は通常の『火』なのだ。だからこそ何をやっても消火できなかった馬谷という三十三番の導士が異質なのだ。世怨とやらの力なのであればその理不尽な暴論に屈するほかない。発火という化学現象なのだから現代科学知識の出番なのだが消火の方法に大した変化はないのだ。
昔の日本では火事が起これば刺すまたが使われていたが、あれは主に消火ではなく延焼を防ぐことを目的とした道具なのだ。燃えるものを無くしてしまえという当時の知恵である。しかし、神術が発達しているこの世界では水などそのあたりから飛んでくる。従って現代と大して消火方法に変わりがないのだ。火には大量の水をぶっかける。これが神術によって時代錯誤が起きてしまったこの世界の『火』に対する方策である。
次点で火元を潰すことでの消火があるが、それでも解決できないのは先の戦いで焼かれた人員が地で転がっても消えなかったことから明らかである。二酸化炭素で包まれた空間ならどうなるのか試してみたいが、それをできるような設備もなければ、それを達成しうる環境作りへの道筋もわからない。
どうしたものか。と思案する中、招集され説明を受ける。もちろん三十三番に対する作戦の、である。
そして驚愕の対策が堂々と告げられる。
「当たらなければどうということはない!全力で回避せよ」
まこと、驚天動地の対策である。
一発くらい殴っても許されるのではないだろうか、翔賀はそう思う。
とまぁ、流石に冗談だ。しかし、基本方針が回避なのは事実である。当たれば終わり、効果が認められたのは治療の匙を投げたやけくその再生治療のみ。まともじゃあないのだ。
従って盾という今回に限ればろくな役にも立たない物は撤廃。代わりもない。いわゆる武士装束となった。




