一章#36 干潮
「ん、いいわ!月が出てきたわ!!ようやくあなたたちを救えという思し召しね!!!波多 汐導士!皆様に救いを差し上げましょう!!!」
頭上の水球を勢い良く落下させ、膜がはじけたように奔流が溢れ出す。水のクラウンが現れ、弾けた水しぶきが平原に津波を巻き起こした。波に押し流され波多導士の前方一帯の前線が後退させられる。
波という自然現象の恐ろしさは現代人の深く知るところである。水の塊という質量攻撃はその単純さ故に対処が難しい。救いは神術によって引き起こされた津波が連続的なものではないということだろうか。質量攻撃の枠に収まってくれている。戦場が水辺だった時のことなど想像したくない。
味方の『陰の木』の神術が導士に向かって飛来する。『陰の木』は根底に『腐食』の性質を持つ。今回は毒である。理由は不明だが下手に火を放てば大惨事になる可能性があるのは前回の蹂躙で分からされた。そして水の神術も効果は期待できない。
そのため、安直に五行に従い木を放つ。正直、効果があるのかどうかはどうだっていい。遅滞戦闘を徹底し、負傷者を出さないことに全力を尽くす。今後わかりやすい難敵がいる以上ここでの損失は許容できない。
そして、十分に時間を稼ぐことができた。ここまでは作戦通りである。
導士は再び頭上で水の神術を構築する。が、何かを感じ取ったのか神術を崩壊させた。
「急に翳っちゃった。どうしてかな?」
「てめぇが、負けたから」
冷たい手で背筋をなぞるような声と共に導士に重なる影が一つ。背後から飛躍し、導士の体を照らす光を覆い隠す。美しい前方の宙返りに合わせ額の眼にクナイを一突き。鮮烈な赤が咲き、体の青銅が消え失せる。表皮を白日に晒した首に騎乗している斯波嘉達の白銀が走る。
「結月梓、よくやってくれた」
「一時の流れに身を任せるとこういうことになる。いい勉強になったな。生かす機会はないけど」
見下すように結月梓は落下する生首に引導を渡す。




