一章#31 『音』
淑やかのヴェールを一切の躊躇なく脱ぎ捨てた波多 汐と名乗った導士。興奮で赤面した美麗な顔を壊滅に等しい被害を出した翔賀含む人々へと向けている。
「我々の部隊はこれより撤退戦を開始する。よいな」
「撤退戦ですか。そうですよね、そうでしょうとも!皆さん救われましたからね!!」
狂人の操るですます調とはどうしてかくも歪なのか。ジャングルの奥にでも向かえば理由が分かるだろうか。
そんなことはどうでもいい。何故奴にこちらの策が筒抜けになっている?
戦術的に予測したのならタイミングがかみ合いすぎている。どうして奴は斯波嘉達将軍が方針を示した直後に『撤退戦』と口にした?大声で言っているわけでもない。悲しくも大声が必要な人数でもないのだから。思い当たる可能性はただ一つ。何らかの手段でこちらの会話を盗み聞いたという可能性である。
先の襲撃の異様な静寂と混乱具合から奴が何かしら『音』に関する異能を持っているのは想像できる。
そうなると策を練ったところで共有できない。
「お待たせいたしました。皆さんもお救いいたしましょう!」
開く眼と迸る閃光。光が目を焼き、視界がぼやけている。少しずつ色が、輪郭が浮き上がる。
荒れ狂った大海原を体に刻み込み、導士は青銅に体を包む。
「ーーーーーーーっ!!!!!」
光の収束と共に拡がる大絶叫。暴力的な声が耳に当てた手を吹き飛ばす。物理的に鼓膜を叩かれたような痛みが走る。だが、痛いのは耳だけではない。むしろ耳だけならよかったとすら思える。全身が痛いのだ。絶叫を浴びた腕も、足も、もちろん胴体も。全身が隈なく痛い。
ようやく止んだ絶叫にいささかの安堵を感じながらも、目をまっすぐに導士へと向ける。青銅の顔にわずかばかりの微笑みをたたえ、導士はこちらをじっと見つめる。小規模の火の神術を構築し、放つこともせずにぼんやりと浮かべているだけの導士。火球は赤々と燃え、優しい温かみを放っている。ことつと言えばわかりやすいかもしれない。
突如吹く強風。溢れ出す熱が風と一体となり襲い掛かる。温かみはやけどを併発させる熱波となり皮膚を焼く。防げているかもわからないが吹き荒れる熱波を遮るように盾を置き、わずかばかりの陰を確保。しゃがみこめば身を隠すくらいはできようか。
風が止んだとともに熱波も収まった。
「もう月は来なさそう。ではまた」
落ち着き払った淑やかな口調で導士は言った。打って変わりすぎだろと突っ込みの5,6発は入れたい。
そう思った翔賀の否、部隊の周りを煙が包む。火の手はあったが、煙るほどの可燃物は無かったはずだ。混乱が頭を支配する。
「早く撤退して。あんまり『えんちゃん』に無理させないでね。」
白い長髪を流した小柄な少女、たしか安倍澄だっただろうか。と、脇には車に寝かされた大久保勝がいる。いや、車ではない。
なぜなら、その車は車輪がないのだ。車輪のある位置には円を描く炎が揺らめいている。
「君は、何なんだ?」
「私は安倍澄。陰陽師」
 




