一章#26 憎しみと恨み
人を憎む、人を恨むとはどういった感情なのだろうか。
翔賀は時に過度な誇張表現の横行する現代社会に生まれ、そして生きた。ある種の慣用句的な意味として何かを憎んだこともあるし、自身の不運を呪い、誰かに嫉妬もしたし、恨んだこともある。
だが、そのどれもが本気ではない。いじめにでも会えば分かったのかも知れないが、幸運なことにそんなことをしてくる犯罪者とは生活をともにしなかった。
翔賀は今、本気で怒りを覚え、憎む相手がいる。
相手は無論、馬谷と名乗った導士である。『死』を救済とするのを完全に否定はしない翔賀であるが、殺してやってくれ、死なせてやってくれ、という考えが堂々と出てきたのは三度目のことだった。
この激情を経験不足と言うならば言うがいい。それで結構である。
あの残虐を許すなと、滅せよと、殺せと叫んで止まない。
以前まで起きていたノイローゼもピタリと止んだ。実戦経験がもたらした産物なのかそうでないのかは明白である。
しかし、激情に駆られて焦ったところで事態は動かない。
何せ奴らは突然に現れ、去っていく。神出鬼没の体現者なのだから。聞くには撃退後深追いしたこともあるらしいが別の教徒の一団と出くわし、一網打尽。部隊は壊滅という話だ。わが命に代えてでも!というほど翔賀は自分の命を粗末に思っていない。
翔賀は昂ぶりを抑えようと深く呼吸を繰り返す。閉ざされていた視界が少しずつ開けてくる。
まず出てきたのは撤退時に腕を引いてくれたことへの感謝である。引いていなければ次に焼かれていたのは自分であろう。
そして次に出てきたのは金と名乗った導士に対する望門の尋常ならざる殺意である。
正直、殺意の理由は見えている。
だが、その結論を戦だからと割り切れるほど大人ではないし、そう言えるほど外野ではなくなったのだ。
「腕を引いてくれてありがとう。引かれていなかったら死んでいた」
固く拳を作る望門。それに語り掛けるように、翔賀は感謝を口にする。
「僕もああやって庇われて、助けられた」
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あれは一年前のことだ。
軍に入ろうと思ったきっかけは妹同然である妹乃のためだった。
幼い頃から妹乃は強力な神術を扱えていた。七歳頃になるとその辺りの大人と遜色ない神術を扱っていたのだ。
神術には陰と陽がある。陰の神術は主に戦に用いられ、陽の神術は日々の暮らしに役立っている。取り分け五つの属性を陽の極に傾けることが出来れば家畜を始め食料全般を扱う仕事に就くことができる。
これは生涯食うに困らないといわれるほどの職である。それほどまでに高度な神術を扱える存在は重宝されるのだ。
だが、妹乃はそうはいかなかった。確かに高度な神術を扱えた。しかも、基準を余裕で上回る程の神術を扱えたのだ。
しかし、制御がてんで出来なかった。試験中、『熱』を基礎に持つ『陽の火』を昂らせすぎて火事になりかけたり、『安らぎ』を基礎に持つ『陽の木』が暴走して試験管諸共眠らせたりという有様。
大は小を兼ねるとは言うが、大きすぎるものは門前払いをくらうらしい。
その結果、残ったのは軍だけだった。撃滅の為ならば強大すぎる神術も許容できるらしい。幸か不幸か構築した神術を狙い通りに放つことは出来たのだ。
妹乃は他の行き場を失った果てに軍へと入った。
妹に死んでほしくない。その一心で望門は軍へと入った。
そして出会った。平田鄭佐という人物に。




