三章#19 深奥
『深奥の間』
首都である陵空の中心の城にそれはある。
男子禁制の大奥とも異なり、極僅かの身の回りの世話人を除き、何人たりとも立ち入りの赦されぬ正真正銘この国の最深部。
この国の象徴たる皇のおわす場所。
それがこの『深奥の間』である。
目の前に続く廊下を歩きながら蒼穹碧は傲岸不遜にあろうとそう意識する。
自分がここにいた可能性だってあるはずなのだ。何を畏まる必要があろうか。
少しの供回りと共に道なりに往けば、拱手礼拝する女子が二人。
「皇、天龍樹様は奥でお待ちでございます。ご案内致します」
「…貴様たちは私に仇なす者か」
目の前の二人は龍樹に仕える者だ。主の仇討ちを企む可能性は十分にある。仇なすならばここで殺しておくべきだ。
「いいえ、私たちは皇様に仕える者。たとえ皇様が誰であろうとこの心は揺らぎません」
そう発する声は透き通り、眼差しは真っ直ぐに私を、いや私さえも通り抜けた遠くをじっと見つめている。どうやらその言葉に嘘は無いらしい。
「往くぞ」
背後でざわめき立った供を落ち着かせ、碧はその足を先導する女子に従い、進める。
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ぼんやりとした灯の光を受け、その姿を朧気に障子が写し出す。厳かな雰囲気を伴った目の前の部屋に皇、天龍樹はいるはずだ。
自分、供の二人、案内をした女子二人、そしてこれから対面する皇。それ以外に人の気配は無い。
「皇様、碧様がいらっしゃいました」
すっと、音も立てずに閉じられていた障子が開かれる。
開かれた障子の先、そこで待っていたものに碧含む供の二人が絶句する。
まず浮かんだのはあり得ないという否定。
次に浮かんだのはどうしてという困惑だ。
目下に座る皇、赤い衣を着た天龍樹の背後。
台座に腰掛けて左足を下げ、右足先を左大腿部にのせて足を組み、折り曲げた右膝頭の上に右肘をつき、右手の指先を軽く右頰にふれて思索している姿の像が確かに安置されている。
何度瞬きを繰り返そうとその光景は変わらない。
「あれは………夢來様…」
達多教徒の崇拝する世怨の頂点、それがあの夢來世怨、夢來様と呼ばれる存在である。それが達多教と敵対するこの国の最奥に安置されている。それが異常なことだとこの国で分からない者はいないだろう。
「驚いてもらえたようで何よりだ」
低く、重みのある、そんな声が龍樹から発される。
その声はこちらの動揺が馬鹿らしくなるほどに落ち着いている。
「…いつからだ。……いつからこの像はここにある」
「儂の代よりも遥か以前。この国が成立した時から、この素晴らしき像はここにある。この国を災いから御守りくださっている。なんとありがたいことか、この国が続いているのはこの夢來善音様のお導きであろう。深く、深く感謝せねばならない」
龍樹は体を夢來善音の像へと向け、万感の思いを込め深く、深く頭を下げる。
その背後、碧はガクリと膝を落とす。
もう何も分からない。
失われた命の意味も、戦った意味も、流した涙の意味も、何もかもが分からない。
「ならば!何故この国は教徒と戦っている?!どれだけの命が失われたと思っている!」
「全ては来たるべき時のため、この国が侵される、その時のため。皆が救われる時を一日でも早くするため。そのために皆は戦い、腕を磨き、徳を積んだのだ。死んでいった者は涅槃へと導かれただろうか。それだけが気掛かりだ」
「今の話をしろ、天龍樹!」
碧は再び立ち上がる。提げた刀を引き抜き、龍樹の首へと充てがう。
「…どうやら、そなたを儂は満たせなんだらしい。祖、天龍輝様、我が不徳をお赦しください」
「龍樹!」
首に刃が当たっているのを構わず、天龍樹は肯首する。首筋に赤い線が引かれ、血が垂れる。
何をしようと天龍樹にはどこ吹く風。
こちらの存在など認識すらしていないかのように、龍樹は像を前に祈りを捧げている。
「そなたはこの国の成り立ちを知らぬであろう。否、知っておるはずがない。故に、冥土の土産に語ってやろう。いかにしてこの国が成り立ったのか、その素晴らしい歴史を、しかと刻むが良い」




