三章#13 ”私”
暗い。ただ暗い。夜よりもずっと、光を感じない、そんな空間。
気が付いたとき、目の前に広がっていたのはそんな景色だ。
そこに一人、妹乃は薄い布を肩まで被せられ横たわっていた。
丁重なのか雑なのかよくわからないその対応。妹乃に心当たりがあるはずもない。なぜなら、妹乃には幼少の頃の記憶がない。
今思い出せる初めての記憶はこことは違った暖かな場所で、今と同じような布を同じく肩まで被っている景色と感覚である。そしてこちらを覗き見る一人の人間。
「目を覚ました!」と元気にはしゃいぎ、奥にいる誰かを呼びに行った人間。その人間は気付けば私の兄になっていた。気付けば望門と名乗ったその人物を『お兄ちゃん』と呼び、その人物と声を受けて駆けつけてきた人間は私のことを『妹乃』と呼んでいた。
そうなっていた時、自分が生まれたての赤ん坊でなかったのは覚えている。
なら。
ならば、私がそうなる前にも私は生きていたはずだ。
けれど、それが私にはどうしても思い出せない。
次第に欠けた記憶があることすらも忘れかけ、妹乃は日々を過ごしていった。
そんな日々を送る中、夢を見た。
それは今と同じような暗闇に自分がポツリといる夢。明かりも何もないそこに自分が一人、二人、三人、四人、五人?
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。
『私』は『私』だ。なのに、なのに。あの人も、この人も、『私』だ。
その顔も、髪型も、背丈も、手の長さも、足の長さも、身に付けた衣服も、全て『私』だ。
自分でない自分がいる。
そのことが怖くて堪らない。
その光景から逃げるように、私は目を覚ました。時間は夜。明かりは一つもないさっきの夢のような暗闇だ。けれど、隣で眠っているお兄ちゃんのいびきが少しうるさい。
それが今はとても安心する。
あの夢をかき消してくれそうで。
あの怖い夢を追い払ってくれそうで。
けれど、どこかで思ってしまう。あれは“本当に“夢なのかな、と。
それは今だってそうだ。すっかり世間的には”大人”となった今でも自分の中のどこかが失った記憶に引っ張られているような気がする。自分の届かない彼方で、ずっと私の裾を掴んだまま放そうとしていないような気がする。
どれもが”気がする”という曖昧な感覚。けれど、確かに感じる感覚だ。
「そんなつまらないことに」と怒られてもしょうがないと思えるほどに頼りないが、木炭に根付いた火種のように妹乃の中でそれが燻っている。
その燻りがこの真っ暗な空間を前にして周囲に置かれた可燃物を巻き込んでいく。
「ここは、どこ?」
周りを囲んでいるのは木ではない。石だ。それもこんな暗闇にはもったいないくらいに綺麗に削られた代物。暗闇であってもそこを歩く感覚で察せるのだから中々のものだろう。
神術の扱いが上手ならば、ここで手のひらの上に小さな火種でも作って灯りにすることも出来たのだろうが、生憎とその手の精密さとは縁遠い。下手をやらかせば暴発からの生き埋めである。
妹乃は諦めて暗闇を徒歩で行く。
静謐の中、妹乃が歩く僅かな音だけがある。道なりに行くと更に地下へと伸びる階段がある。
それを下る、下る、下る。
「あれ?行き止まり?」
道は突然閉ざされた。古墳を思わせるような石室で、道は終わった。煙でも焚かれたら絶対に死ぬという浮世な発想が頭を過り、妹乃は道を引き返す。
「ん?」
違和感がある。一見すればただの石壁の部屋だ。それ以上でもそれ以下でもない。けれど、音に違和感がある。先ほどまでは石壁の向こう側には土があるはずだ。地面を堀り、その空間に石を積み上げ、土などで間を埋めるのだから当然の話。
そのはずなのだが、どうにもおかしい。全面がそうなのならばもっと反響していいはずだ。
ただでさえ静かなのだから妹乃の服が擦れる音も、石畳を歩く音ももっと耳に入るはずだ。
なのにそれが無い。
「どこかに通じているのかな?」
妹乃は返した踵を元に戻す。もう一度、終着点だった石室へと踏み入る。
一周しようかと、妹乃は左回りに壁を伝って歩いて行く。
ガコッという音と共にその足で踏んだ石畳が凹んだ。けれど、部屋には何の変化も無い。けれど、これでこの部屋に何もないというのは無理があるだろう。妹乃は止まることなく壁を頼りに歩いて行く。
「え?」
そこは入口から見て一番遠い壁だ。
その壁が動いた。
手で襖を開けるように簡単に。伝うだけの軽い力で真っ暗だった石室に仄明るさが差し込んでくる。
すっかり暗闇に慣れてしまった目を瞑る。少しの時間をおいてゆっくりとその目を開ける。
そして開いた扉の向こう側にいた人たちを見てもう一度、絶句する。
そこにいたのは黒い髪を無秩序に生やしている翡翠のような色の目を持った”自分と同じくらい”の少女たち。
「………どうして。どうして、”私”がいるの?」
妹乃はそう呟いた。




