傘の中にもうひとりいる
雨の日は嫌いじゃなかった。
人混みが減って、傘の中にひとりだけの空間ができるから。
でも、その日だけは違った。
ふと視線を横に向けたとき――
自分の傘の中に、“もうひとり”いた。
最初は通行人かと思った。
だけど、肩も腕も当たっていないのに、傘の端に誰かの髪が濡れて貼りついている。
私は立ち止まり、傘を持ち直した。
そのとき、ほんの一瞬だけ、視界の隅に見えた。
自分とまったく同じ顔が、横に立っていた。
笑っていた。口角だけを、不自然に引きつらせて。
次の日も雨だった。
傘を差して歩いていると、また、気配を感じる。
目をそらしたら、負けだと思った。
だけど、無視できなかった。
傘の骨の隙間から、誰かの指が覗いていた。
誰かに相談しようと思った。
でも、口にした瞬間、自分の言葉が震えていた。
「傘の中に、誰かいる気がして……」
「へえ、じゃあその人、乗ってるね」と、後輩が笑った。
「何が?」
「傘じゃなくて、あなたに」
傘を差さずに外を歩こうとした。
でも、雨が身体に触れた瞬間――
その声が、耳の奥に響いた。
「どこに行くの? わたしを忘れないで」
振り返ると、駅前のガラスに映る自分が、微笑んでいた。
もう片方の傘を差したまま。
私よりも、ずっと私らしい顔で。