第60話 女性と動揺
「え……あ……あばばばばば! じょ……女性を殴ってしまった……しかもこんな綺麗なお姉さんを……」
『グルゥ~オ』
『ヴォゥヴォ~ゥ』
ポチは『あっちから仕掛けて来たからしょうがない』と慰めているつもりなんだろう。その通りなんだけど、なんか違うんだ。
プチは『崖下に落とせばなかったことにできる』と言っている。
その提案は貫き通すつもりなの?
お姉さんとは言いつつも、ぼくより少し年が上だろうというくらいだ。おとなの女性とはちょっと言い難い。
「よし……まずは手当だ」
ふたりが揃ってぼくを白い目で見つめてくる。
「お前らなぁ……分かってるか? 女のひとには優しくしないといけないんだよ」
それは父ちゃんと姉ちゃんから、ぼくがいつも言われていたことだ。サザンカ姉ちゃんは血が繋がっていない中で、ぼくを構ってくれた唯一のひとだ。
もう……いないけど。だからこそ教えは守らなければいけない。
『グルルゥ~』
『ヴォ~ゥヴォ~ゥ』
ポチは『誤解? がとけると仲良くなれる?』とつぶらな瞳を向けた。話が分かる賢い弟を持ってぼくは幸せだ。誤解なんて言葉、手記以外ではぼくでも口にしたことなかったのに。
ぼくも積極的に使っていこう。
プチは『崖に落として這い上がってきたら話をきこう』と言っている。お前崖下への恨みが深くないか? 死に物狂いだったけど少しは良き思い出にしようよ。
末っ子感が丸出しすぎなのは、甘やかしすぎということだろうか。
「んと……魔力液……このひとに飲ませてもいいかな? もうほんの少ししかないけど……」
ポチは問題なさそうだけど、プチがちょっと不貞腐れ気味だ。
たぶんポチはぼく同様に、このひとが最後に漏らした悲しみの感情に気が付いてるからだろう。それでもさすがにこの魔力液に関しては、ふたりの同意なしでは使うことは許されない。
「ん~ポチすまん。このひと舐めてあげてくれるか……?」
『グルゥ~グルグル~?』
プチは説得するとして、今はポチの治癒力に頼るしかなさそうだ。
そして『いいけど、このひとがまた魔術で攻撃してきたら危ない?』とも言っている。
ん~その通りすぎる。
「縛っておくのもなぁ……とりあえず剣はぼくが持っておくよ。あの魔術は剣に炎を纏わせてたよね?」
剣を背負いつつ、彼女を草原に寝かせる。
ローブを脱がせると、下は女性が身に付けているとは思えないボロボロの衣服を纏っているだけだった。
そして手の骨も折ってしまったため、仰々しい手袋もついでに脱がした時、その事実に気が付いた。
「なんだ? このひと……爪が綺麗……じゃない。なんか爪が石……にしては綺麗すぎるな」
色を塗っているわけじゃなくて、爪が根本的にぼくと違う。神秘的な輝きを持つ、紅い石が爪の代わりに生えてるように見えた。
「なんだか知ってる?」
『グルゥ~……』
『ヴォゥ……』
ふたりもやっぱり『わからない』だ。吸い込まれそうなくらい綺麗なのに、なんでこんな手袋で隠してるんだろう。
「まぁいいか。女性の秘密はむやみに探るもんじゃないからね。それじゃポチ……頼むね」
『グルゥッ』
そしてもう一つ気付いた事実。
胸元への爪に見立てた掌底だ。あれは柔い身体なんじゃない。柔らかい部分をぼくが殴っただけということに。
これは……男として責任を取らなければいけないのでは――
そんな使命感に駆られている最中もポチは傷口の治癒を続けてくれていた。
処置を終えて、次の悩みに移行する。
知識があるわけじゃないけど、このひとはすごい疲労を蓄積しているように感じる。ボロボロの服もそうだし、薄汚れた体はそのまま。きっとあの呟いたことと関係してるんだと思う。
この状態である以上、連れの仲間がいるとも考えられず、深い眠りに落ちた今、いつ目覚めるかがさっぱり分からない。
「もう放置していく……はできないぞ。ぼくの美学に反するからね。生きる意味と捉えてもいいぞ」
『ググルゥ~?』
『ヴォゥ……ヴォ~ゥ』
ポチは『東って言ってたからもう連れてっちゃえば?』となかなか柔軟に意見を変えてくれるのが助かる。プチもやや呆れながらも『運んでから考えてもいい』とのことだ。
勝手に連れていってしまっていいのだろうか。という心配はある。
でも、一緒になって運んでれば橋の上なら自分も危険ということで、少しは静かにしてくれるかもしれないとの狙いもあった。
「目が覚めるのを待ってもいいけど……いっか。あっち連れてって怒られたら戻ってもらえばいいし」
半分というか完全にひと攫いだ。
でも、こっちはおそらく『誤解』で命を狙われかけたわけだし、お互い様以上にこっちに分があるはず。でも、確実に言えることは、男だったら崖下なり吊るすなりで放置していただろうと言うことだ。
自分の行動がやや楽観的とも思えたけど、そうやって生きてきた以上はしょうがない。
プチの背中に彼女をうつ伏せに寝かせ、落ちないように蔓で体を支える。
そして、ぼくらは大気が固められた橋へ進んでいった。




