第56話 西側と東側
「よし……身体中痛いけど……やっと戻ってきた。欲を言えば……逆側に登りたかったけど……」
ぼくたちがいる位置は西側の崖の上だった。村に帰る場合、東側に行かなくてはいけない。危険度でいうなら西側のほうが東側より低いというのが通説ではあるけど……。
ぼくは物騒な地方で生まれたんだな、と改めて痛感してもいる。
「でも……ぼくを見たら驚くだろうな……精霊どころか魔獣と一緒に帰って……――あれ?」
自分の身体中をまさぐる。
あるべき物。いや、いるべき者が……いない。
「ヒノ……どこいった? え……嘘でしょ?」
契約している以上、ぼくから離れることはできないはずだ。
でも、契約をしているからこそ、ぼくの魔力が弱まればヒノも弱る。
契約後、似たような死の淵を彷徨っても顔色を変えずにいつもいたことで、すっかり油断していた。
『グルゥ……グルゥ~?』
ポチが告げた『いつものように居る。けど、薄い』と。
鼓動が跳ね上がった。無茶をしすぎた結果、弱ってしまったということだろうか。ぼく自身が見えないほどに。
でもそれはプチによって否定されることとなる。
『ヴォ~ゥ……ヴォゥ!』
『ここは崖下に比べて魔力が薄すぎる……だから精霊は目に見えるような存在感を保てない』と。
その言葉で跳ね上がった鼓動が、徐々に落ち着きを取り戻していく感覚を覚えた。
そうだ。ヒノが見えることが当たり前で忘れていた。ぼくの村にいた精霊との契約者でも、精霊の姿は見えていなかった。
『力を使う』、そう、降霊する時にその姿を顕現するのがここ――崖上の共通認識だったはずだ。
「焦ったぁ……でも、ふたりともありがとね。微かな記憶を刺激してくれたおかげで繋がった……と思う。んで、ヒノも……改めてよろしくね」
今の状態では触れられない。
それでもいつも鎮座していた肩や頭巾を手で叩いた。
反応はない。
それでもきっと、いつもの間抜け顔でぼくにくっついていることが容易に想像できるあたり、本当にこの精霊はブレないなとも思っていた。
「魔力が薄い……か。うん、ぜんぜんわからないしむしろ体が軽い」
自然に漂う魔力を直接取り込むふたりと違って、ぼくは自分の中で生成した魔力、ヒノが取り込んだ魔力を使うことしかできない。
ぼくが魔力の機微に疎いというよりも、ひとと魔獣の違い……だと思いたい。
「よし……心配事もなくなったし……あとは東に渡る道を見つけるだけだな」
とは言ったものの、道――橋と言ったほうが正しいと思うけど、果たしてそんなものが存在するのだろうか。
それが疑問だ。
大陸の端、海側へ出て渡るみたいなことは聞いたことがある。
もしくは魔術を使うらしいけど……
この崖を挟んで西側と東側。
ぼくが今いる西側は色んな国があり、様々なひとたちが暮らしていると聞いたことがある。そして東側は認識されていない地方だ。
魔獣も強力で国もない。村がところどころに点在しているだけで、西側と関わりもほぼないと思う。だから西側に住めなくなったひとが逃げ出す先が、東側であったりもする。
「うん……なんか考えてたら道なんてないような気がしてきたぞ……! いざとなったら……ポチが岩を積んでいって……プチが助走をつけて……跳躍して渡るしか……!」
ふたりがぼくを白い目で見るかと思いきや、『任せておけよっ!』と言わんばかりの眩い瞳を向けている。
そうだよ。こういうことはこいつら乗り気になるんだよ……
西側の崖下で積み上げるとかぼくがバカなことを言った時も、ポチは乗り気だったじゃないか……
『ヴォ~ゥヴォゥゥゥ』
「え……プチ……それって……どういうこと?」
プチの一声に導かれ、ぼくたちは崖の縁に来ていた。
コンコン――ゴンゴン――バシバシ――
ぼくたちが叩く乾いた音が谷風に攫われていく。
「これ……そういうことだよね……?」
ぼくたちが叩いているのは崖の縁の岩じゃない。崖の縁から数歩進んだ、宙を叩いている。
「どういう魔力だよ……ズルいとかそういう問題を超えてるだろ……」
今ぼくたちの目の前に――いや、見えないけど。橋が掛けられているそうだ。
当初、剣牙は崖下にぼくらを運んでくれようとしていたらしい。そこにポチとプチがぼくの目的を告げたところ、この『大気を固めた橋』を作って去って行ったそうだ。
「でも……実際あるよな……」
土をかけるとその形が見える。ぼくたちどころか剣牙がゆとりをもって歩けるほどの幅だ。きっと基準が自分の体躯ということなんだろう。
途中で消えたら問題だけど、ポチの魔力が戻ってるため、転落して叩きつけられることだけは避けられるとは思う。崖下生活に逆戻りだけど。
「あの魔力を実際に見てるからなぁ……うん。大丈夫でしょ」
ぼくが恐る恐る進んでいくが背中がいつもより寂しい気がした。
そこで振り返ると――
ポチとプチは物悲し気な顔でぼくの後ろ姿を見送っていた。