第49話 血戦と大蛇 その6
「今だァーーッ! 来いッ!」
大蛇が叫喚と共にその身を跳ねさせた時、根本まで深々と突き刺した長剣を握り力の限り叫ぶ。
でも、叫ぶまでもなくポチとプチはぼくの隣へ飛び込んできていた。
「……――来るぞッ!」
大蛇が背を壁面に擦り付けながら上昇を始める。
「ぐぅっ! そんなもんで落ちるかよォ――ッ!」
突き刺した長剣をそのままに、腰の短剣を逆手に持つと何度も肉に突き立てる。
『グガァアァアア――――ッ!』
ポチは壁面に窪みを作りさらにぼくたちの背後に岩の壁を作り出す。放たれる羽根の攻撃に削られ、割れては作り直し背後からの攻撃から致命傷を避けている。
『ヴォオォオオ――――ッ!』
プチは大蛇ではなく、向かう先の壁面に向かってその高出力の炎の角を幾度となく繰り出しつつ、ぼくたちが張り付く背部分が壁で削られないよう岩を溶かす。
さらに飛翔力そのものを奪おうと、後方に位置する羽の根本に向かって炎の角を撃ち続けている。
全てを防ぎきれるわけじゃない。
それでも削られていくこの身以上に傷を負わせれば――
「ガァアア――ッ! ポチ! プチ! 踏ん張れェーッ!」
肉を切り裂きさらに内へ短剣を突き入れる。溢れ出す紫色の血が噴水のようにぼくらを染め上げていく。
それでも大蛇は失速するどころか、加速させた。
どれだけの高度まで上がっているのかもう分からない。確認のために下へ目を向けることに躊躇するほどには上昇している。
そう、無防備に落ちれば助かる見込みがない程度には。
握り続けた手の感覚はすでにない。
目で見て確認しなければ、握っていることすら忘れてしまうほどに。
血溜まりとなった傷口に何度も短剣を突き刺し、そのたびに大蛇は体に雷が走ったように震わせた。
映すのは大蛇の背中だけ。
それ以外に目を向ける意思などない――そう……思っていたはずだった。
『グルゥ――ッ!?』
『――ヴォゥ?』
両側に備えたふたりの明らかな動揺がぼくの手を止めさせた。ふたりが壁を破壊しなければ、ぼくたちはすり潰されるのを待つだけだ。
「どうした!? 魔法を止めたら崖に――……」
もう……ぼくの背後に崖はなかった。
ぼくの目は崖の縁を見下ろし、そして周囲には……
『世界』が広がっていた。
どこまで先を見ても、崖も壁も存在しない。
遥か彼方は霞んで見えない。
あそこに見えるのは街だろうか。
あの大きい池は……湖だ。
草原が絶え間なく広がり、奥に森が見える。
そして空から降り注ぐ光はいつもの何倍も眩く感じる。
こんなに広大で。
こんなに美しい世界に。
ぼくは生まれたということを今初めて実感したんだ。
そして、魔獣として圧倒的な本能を持つポチとプチが、戦いの中で初めて心に空白を刻みこんでいた。
ぼく以上の衝撃に心を打たれたであろうことは容易に想像できた。
ふたりにとって全てであったあの崖下の世界は、本当の世界のほんの一部だったということを今体験しているのだから。
「……――あっ」
『グルゥ……!』
『――ヴォゥヴォゥ!』
そしてぼくたちは、揃って大蛇の背から滑り落ちて行った。