第48話 血戦と大蛇 その5
無尽蔵とも思える魔力の放出がついに止まる。
一転、静寂を刻み始めた世界は荒廃した大地を一面に広げていた。
「やっと気が済んだのか……?」
『グルルッ』
『ヴォ~ゥ』
子供のように我儘なやつめ、と言っている。この状況でそれだけの口がきけるなら、ふたりの心配はいらないだろう。
「大蛇も探り当てたみたいだ」
ほぼ埋まりかけていた岩屋根の庇護から出ると、崖の崩落で岩が積み上げられている。
そして。
「今さら神々しく降り立っても説得力がないだろ……?」
『グル~ッ』
『ヴォゥヴォゥ』
旋回を経て大地に降り立つ大蛇は、優雅ささえも感じる静かな着地を披露した。
でも。
この周囲を見ればそんな上っ面の冷静さなんて意味を持たない。そう、息吹をも止められた自然そのものが語り掛けてくれるようだった。
ゆっくりとその首を上げぼくたちを見据える大蛇。
その憤怒を込めた瞳に、先の戯れの感情が入る隙間はなかった。
「そんな情熱を込めた熱い瞳を向けるなよ……そんな瞳をぼくに向けていいのは綺麗なお姉さんだけだ」
『グルゥ……』
『ヴォゥ……』
ポチたちと違い、意味を理解しているわけではないだろう。
それでもぼくの言葉は大蛇に届いた。それは大蛇と戦う高みに上り詰めた。と大蛇自身が認めた証拠に他ならなかった。
「それに……大蛇と見つめ合う趣味もないんだ。見つめ合うのは可愛い女の子と――って決めてるからね」
『グルゥ……』
『ヴォゥ……』
ただの強がりだ。それでも気後れだけは許されない。魔獣は総じてそういう匂いを嗅ぎ取ることに長けていることは十分に理解してきたつもりだ。
飛び跳ねる心臓を必死で抑えつけ、逸る気持ちを抱きしめる。
「でも見た以上は焼き付けただろ? これが……――お前を倒す者の姿だ――ッ!」
気力を振り絞った叫びが崖に反響した時、すでにぼくたちは大地を蹴っていた。狙いを絞らせず、大蛇の意識の隙間から丸出しの背後を狙うことに変更はない。
大蛇はその滑る牙をまざまざと見せつけ、大気をも轟かせる咆哮と共にぼくたちを迎え撃った。
どれだけの刻を過ごしたのか。時間の感覚がない。ところどころで意識が途切れている時間もあったんだろう。
それでもなお、ぼくらも大蛇もこの地に立っている。
そして、己の血で染まりあがったポチとプチに対してぼくの傷は浅い。
当初は注視すべきであるふたりに集中していると思っていた。
でも、戦いを続けるに連れてその違和感が輪郭を成した時、ぼくは生まれて初めて魔力を放出することができない、という自分の《《資質》》に感謝をした。
なぜなら――
魔力を発しないぼくを。
大蛇は探知することができない。
そして匂いもそうだ。
崖下で長年暮らしたぼくはすでにひとの匂いよりも自然の匂いが染み付いている。
何よりもあの苦い思いをしたドングリのような木の実。
あれを食べてからというもの、ぼくが発していた『ひと』の匂いというものがなくなり、ポチの鼻でも『昔の匂いじゃなくて自然そのものの匂いみたい』と言わしめるものだ。
だから。
大蛇は視覚でぼくを探さなければならない。
視線を切れば大蛇はぼくを見失う。
大蛇がどれだけの年月を生きたのかは分からない。それでも……初めての経験なのだろう。
大蛇と向かい合う力を持つような落ちこぼれとの戦いなんて。
「――ぐっ! プチィーーッ!」
プチに巻き付けていた最後の二本の長剣だ。残るは背負っている長剣と銀の短剣のみ。
背の長剣だけはナーガの牙じゃない。巨象のような魔獣の牙だ。あまりにも硬すぎて削って剣の形にするためにポチとプチの魔力を使って時間をかけて形にしなければいけないほどの強度だった。
「ぼくの対面に位置しろ!! 大蛇はぼくから目を離すことができない!」
ぼくの特性を活かし大蛇の視線を誘導する。
荒れ狂う竜巻。乱れ飛ぶ羽根があれど、背を向ければポチたちが丸出しの首元へ魔法を叩き込むことは不可能じゃない。
それでも……幾度となく傷口をえぐり続けても大蛇は衰えるどころか、怒りに任せ暴風圏を広げていくばかりだ。
「突っ込みすぎるな――ッ!」
大蛇との戦闘範囲にいるだけで、烈風がぼくたちの体を切り刻んでいく。だからこそ気持ちが焦る。不用意に首元へ飛び出したふたり。
大蛇はその機会を待っていたかのようにその身を捻った。
「――ポッ!! 間に合えぇぇ――ッ!」
待ち焦がれた瞬間と言いたげに、大顎を広げる。でも、ぼくの弟たちはそんな大蛇の行動を誘導していたんだ。
突き上げるような巨岩の突起が下顎に突き刺さり、その大口を無理やり閉ざす。さらに押し上げられた喉に向かってプチがその身を炎の槍と化し突っ込んだ。
それでもなお、大蛇は岩を砕きプチの一撃をその強靭な牙で受け止めた。
『ヴォオォオオ――――ッ!』
やがて勢いが殺され、半年前と同じように牙を突き立てるべく上顎が跳ね上がった。
でも、半年前と違うことは……
その瞬間、ぼくの二本の長剣が、剥き出しの大蛇の背に突き刺されていたことだった。