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8. もうやめた

 翌日。

 まんじりともせず朝を迎えた私は、いつも通りベッドから起き上がった。ほぼ機械的に。

 学園に行かなくては。その義務感からだったけれど……、身支度を始めようとした瞬間、ふいに耐えがたいほどの虚無感に襲われた。


 何のために学園に行くのだろう。

 授業を受けるため?だけど私はもう二年後の卒業までの授業内容が全て頭に入っている。

 生徒会の仕事?……だけど今月作らなきゃいけない資料はもう全部作り終わってる。当面大きな行事もない。

 ヘイディ公爵家の娘として皆に完璧な姿を見せるため?……それこそ、一体何のために?これまで私が無遅刻無欠席で学園に通い朝から放課後まで一分の隙もなく品行方正に過ごしてきたのは、ひとえにアンドリュー様の婚約者として相応しい人間なのだと主張するため。あの方に恥をかかせないために、一国の君主となられる方をおそばで支えていくに似つかわしい人間となるために。


 だけど私はもう、その役目から外された。


「……。……馬鹿馬鹿しい……」


 今、鏡の前で何かの抜け殻のような生気のない顔をしているこの私は、もうあの方から必要とされていないのだ。

 十年以上もの年月、皆が楽しんでいるであろう娯楽や自由な時間など、その何もかもを我慢してひたすら自分を磨き続けてきたのに。

 何もかも徒労に終わった。

 あのパーティーの日以降、皆から好奇の目で見られている。あるいは同情や、嘲笑。もちろんポーカーフェイスを保ち続け、気にしないように努めていたけれど……


(……もういいんじゃない?無理して行かなくても)


 ふと、そんな考えが頭をよぎった。こんなことは初めてだった。


 そして思いついてみると、心の中のぶ厚い雨雲がすーっとどこかに流れ消えていったかのように、急に気持ちが晴れ晴れとしてきた。


「……そうよ。もう休んでもいいんじゃないの?私。……そうよ!」


 声に出して言ってみると、ますます気分が高揚してきた。鏡の中の私の瞳が急にキラキラと輝き出す。


 これまでずっと無理を重ねてきた。娯楽の時間どころか睡眠時間さえも削って、ひたすら勉強や王太子妃教育に打ち込んできた。将来王太子殿下を支える妃とならねばならぬという義務感のみで。周囲の期待に応えなければというプレッシャーに押し潰されないよう、必死で踏ん張りながら。


 だけど、もういいんだわ!やらなくて。


「……よしっ。もうやーめた!」


 自然と笑みがこぼれる。私の身支度を手伝うために部屋に入ってきた侍女たちが、怪訝な顔をして声をかけてくる。


「メレディアお嬢様……?いかがなされました?大丈夫でございますか?」

「え?……ええ、私なら大丈夫よ。ただね、私今日からしばらく学園を休むことに決めたの。だから急いで身支度しなくていいわ。……そうよ!明日からは朝寝坊もしましょう」


 朝寝坊!物心ついた頃からただの一度もしたことなかったわ。してみよう、朝寝坊。睡眠時間の足りない頭でフラフラ起き上がって、冷水で顔を洗って無理矢理目を覚ますのももうやめるわ。体が求めるだけたっぷり眠ってやるんだから。今までの疲れを全部この体から削ぎ落とすくらい、たっぷり眠ってやる!


「……ふふっ。うふふふふ……」

「メ……、メレディアお嬢様……」


 抑えきれずに満面の笑みを浮かべ、今日から始まる自由な時間に思いを馳せ喜んでいる私のことを、侍女たちが泣きそうな顔で見つめていた。




「メレディア……!一体どうしてしまったというの、あなた……」


 それから数十分後、侍女から話を聞いたのであろう母が血相変えて私の部屋に飛び込んできた。母は私のそばにやって来ると、私の両肩を包み込むようにそっと手を当てる。


「大丈夫なの?しっかりしてちょうだいメレディア。……辛いわよね、とても。よく分かっているわ。お母様がついてるから……。どうか、落ち着いてちょうだい」


 どうやら私が気でも触れたと思い込んでいるらしい。涙目の母を安心させるために、私は肩に置かれた母の両手を外してゆっくりと握りしめる。


「お母様ったら……。私は大丈夫ですから。別におかしくなったんじゃないわ。ただね、もう無理して登校しなくてもいいのかなって。……分かるでしょう?授業内容は卒業までの分全て先取りして修得しているし、王太子殿下との婚約もなくなった今、少しくらい休んでもバチは当たらないんじゃないかと思ったのよ。……ね?いいでしょう?お母様。私もう充分頑張ってきたもの。その意味がなくなった今、少しくらい休息の時間をもらったっていいと思いませんこと?私ね、やりたくて我慢していたことがたくさんあるのよ。……許していただける?」


 母は食い入るような目で私の発する一言一句を聞いていた。そして私の頭がまともであることに気付いたのだろう。安心したように深く息をついた。


「……そうよね。あなたはこれまでずっとずっと頑張ってきた。他の誰よりもひたむきに。……ええ、分かったわ。お父様には帰ったら私から話しておくから、しばらくゆっくりしたらいいわ。先のことは何も心配しないで。お父様がきっとあなたにとって一番良い道を決めてくださいますからね」


 新たな婚約の話をしているのだろう。だけど今は正直微塵も考えたくない。それよりも、これから始まる全く違う人生にときめいて仕方がなかった。


「ええ!ありがとうございます、お母様」







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