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天音 ①


         1


 歩の足は五年三組の教室の前で止まった。座敷わらしになっても学校に通うなんて、夢にも思わなかったのだが、何も考えずに歩いて着いてしまったので仕方がない。

 さらに奇妙な光景に驚かされた。数日前まで自分が座っていたはずの席に、別の生徒が腰を下ろしていたのだ。その顔にも見覚えがあった。

「ねえ、気づいているんでしょ?」

 女子生徒は丁寧な手つきで、ランドセルから教科書とノートを机に移していく。書いてある名前は、驚くほど達筆だった。

「知らないふりしないでよ。なんで、サチさんがここにいるの?」

「今日はやけにハエがうるさい」

「長い舌でも出して捕まえてみたらいいよ。ガマガエルみたいに」

 サチは大きな目で睨みつけた。カエルに睨まれた座敷わらし。

 その時、秋乃が隣の席についた。

「おはよう、実ノ森さん」

「おはよう」

 秋乃があいさつしたのは、自分ではなく、明らかにサチの方だった。サチも自然に接していた。そう言えば、着ている服も地味ながら今風になっている。まるで、生きていた頃の自分と取り替えられたみたいだった。

「どうなっているのか、説明してよ」

 サチは無言で席を立った。歩は後をついていき、廊下から階段を上り、屋上に通じる踊り場まで来た。

「なぜ、ここへ来た? お前はもう、普通の人間ではないのだぞ」

「適当に歩いたら、たまたまここだったんだよ」

「ならば、早う、尋ね人を見つけろ。教室の中にいるだろう」

「尋ね人って憑りつく家の人だよね。その人を見つけたら、どうすればいいの?」

「家までついていけ。そやつがどんな暮らしをして、何に悩んでいるのか、つぶさに観察しろ。どうすれば問題を解決できるのかを探せ。そして、昨日、わしがやったようにやれ。以上じゃ」

 歩は少し考えこんだ。

「どうした?」

「大事なところが抜けています。どうやったら、その人を幸せにできるんですか?」

「昨日、わしがやってみせただろ」

「どうやったのかは知らない」

「自分で考えるのじゃ」

「説明がろくになかったから、何をするのか分からないよ」

「分からないからといって、すぐに聞くな。自分で考えろ。自転車と同じだと思えばいい。アレも転んだり、怪我をしたりして、乗れるようになるじゃろ」

「そんなの屁理屈だよ。サチさんだって、前の人から教えてもらったんでしょ」

「全然」

「まったく?」

「すべて我流じゃ」

「昨日みたいなことができるまで、どれくらいかかったの?」

 サチは指で数えると、「三十年くらいじゃな」と当たり前のように答えた。

 昔の人はきらいだ。大体、そんなに待てるわけがない。現代人というのは、サチが思っているよりも急いで動くのだ。

「基本を教えて下さい」

「ダメじゃ。自分の力で身につけろ。それか、他の奴のやっていることを見て盗め」

「けち」

 歩は階段に腰をかけた。お尻の重さも何も感じない。

「手探りで見つけろ。一つ秘訣を教えてやる。そこらに転がっている球を拾い集めろ。球は色によって種類が違う。その家の者によって、色を変えろ。以上」

「球かあ。ねえ、あれは一体何なのって言っても教えてくれないんだろ、どうせ。もう一つ教だけ、なんで、サチさんは人間になってるの?」

「お前がわしの代わりになったように、わしがお前の代わりになったからじゃ」

 サチは階段を降りかけて、歩に向き合った。歯をのぞかせて、別人のような明るい笑顔を振りまいた。

「今のわし、いや、わたしは幸子。人だった頃の名前が幸。そこに子を付けて幸子。人間として止まっていた時間が再び動き出したの。今は歩くん、君のおうちに養女として引き取られている、ということになっている。だから、今のわたしは実ノ森幸子。歩くんも早く元の人間に戻りたいなら、ノルマをたくさん仕上げてね。わたしは陰ながら応援をしてあげるから――骨身を惜しむでないぞ、ノタバリコ」

 カエルに少し似た幸子は元の仏頂面に戻ると、早々と教室に戻っていった。


          2


 一時間目の国語の授業がとうに始まっていた。歩は教室の中をゆっくりと周っていた。担任の谷川先生もクラスメイトも気づかない。

「ええと、次の行から終わりまでの段落を、実ノ森さん、読んで」

 幸子は何事もなく立ち上がると音読を始めた。

「はい。お前さん今からどこへ行く、どこから来たってきいたらば、子供はかあいい声で答えた」

 歩の足が止まった。幸子の目も一瞬それを追っていた。

「こいつが」

 つくづく、自分のついていなさを痛感した。よりにもよって、相手にもしたくない相手にぶつかるなんて。見えない力に引っ張られるようにして、歩は窓際の席まで来た。

 そこには、花川天音が座っている。死んだ日に見たのと同じ服装。ぼさぼさの髪にやや浅黒い肌。切り刻まれた教科書を持つ手には生傷があり、足は裸足のままだった。

「こいつに憑りつかないといけないなんて。この後どうすればいい?」

「そのまま一緒にいろ」

「どうしたの、実ノ森さん?」

 先生が怪訝な顔を浮かべる。幸子は音読を再開した。

「すみません。何でもありません。ええと、どこまで読んだかな――夢だかなんだかわからない。けれどもきっと本当だ」

 歩は天音の隣に座った。生きている間なら、臭いで鼻がおかしくなっていただろうし、クラスメイトからはおかしく思われていたに違いない。まさか、こいつにとり憑くなんて夢にも思わなかった。よくよく考えてみると、死ぬまでに話したのも天音だった。単なる偶然だろうか。

「こんなのがざしき童子です」

「よく分かったよ。こいつの近くにいればいいだね」

 音読を終えた幸子に向かって、歩はわざとらしくため息を漏らした。

授業が終わり、先生が教室から出ていくのを見計らって、美香子と取り巻き数人が天音の机を取り囲んだ。

「上履きはどうしたの? 一週間前からずっと裸足じゃん」

 こくん。

「新しい上履き、買えばいいのに」

 天音は首を振った。

「そうだと思った。花川さんの家は貧乏ものね。だから、あたし達がボランティアであなたの新しい上履きを要してあげたのよ」

 机の上に放り投げられたのは、泥にまみれた上履きだった。天音の名前が書かれており、靴底には隙間なく画びょうが敷かれていた。

「さ、わたしらのプレゼントなんだから、ここで履いてみせてよ」

「そんな」

「いいから」

 二人に抑えられて、足を掴まれる。

「誰か、男子、履かせるのを手伝って! こいつ、めちゃくちゃ臭いから」

 クラスは傍観しているだけだった。「じゃあ、おれ手伝うわ」と名乗り出たお調子者の男子を突き飛ばして、ガマガエルの顔がいじめっ子達の前に躍り出た。

「そんなことをして、本当に楽しい?」

「は、楽しいに決まってるんじゃない。実ノ森さんも一緒にどう?」

「お前達は頭の悪いバカだ」

 歩は「よせよ」と止める間もなく、美香子の顔は紅潮した。

「ちょっと、実ノ森くんの家の養女だからって、偉そうに言わないでくれる。この子はね、あたし達と遊んでいるの。昨日、来たばかりのあなたには分からないけど、あまり、変なことばかり言うと、あなたもただでは済まないから」

「わたしが養女であっても、お前のしていることが馬鹿げているのに変わりはない」

 サチはすました顔で応酬した。さすが、数時間前まで何百年も生きていた元座敷わらしだけはある。見た目は同じ子供でも妙に貫禄があり、美香子もたじろいだ。

「わたしには見える。天音には何かが憑いている」

「は?」

「守護霊のように、この子を守っている」

 サチの言葉を冗談だと取ったのか、美香子と取り巻きが笑い出した。

「貧乏神じゃないの」

「いいや、むしろ幸福を与えてくれる新米の神様かもしれない。だが、花川さんにひどいことをすると、祟りがあっても文句は言えん」

 そう言いながら、ウィンクするサチ。「なるほど」と納得して、歩は美香子の頭を力いっぱいに叩いた。風を切る、バシッと小気味よく響いた。

「いたあ!」

 続けて、仲間の二人も同じように叩いた。天音の上履きを奪い返すと、思いっきり振り泥を連中に振りかけてやった。そして、画鋲をはがしていく。その光景は、上履きが勝手に浮いたようにしか見えなかっただろう。教室中がパニックになり、我先にと逃げていく。「ま、待ってよ!」と逃げ遅れた美香子は一輝と秋乃にぶつかって、三人そろって転倒してしまった。

「これでよかった?」

「大げさすぎるが、これくらいがちょうどよかろう」

「あ、あの、実ノ森さん」

 サチは上履きを拾うと、天音に渡した。

「今度は隠されるな」

「あ、ありがとう」

「天音はなかなか面白い守護霊に取りつかれたみたい。幸先は悪くないよ」

 幸子は歯を見せた。天音は困惑しながら、口をへの字に曲げてみせた。

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