表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
36/38

トキヒト ②

 

      3


 二人は牢屋の中にいた。コンクリの壁に天井、鉄格子の向こうには壁しかない。厚い扉が塞ぐ。死を待つ部屋だった。

「ぼくのせいだ」

「あんたは悪くない。あたしの運が悪かっただけ」

 コヨミは怪訝な顔を向けたが、「気の毒に」というだけで顔を背けた。

「歩、一つ聞いていいか?」

 実春は正面を向いた。その目に向かって嘘を言うのは許されない。そして、何かに気づいている。

「あんたは一体何者なの?」

「僕は人間じゃない。妖怪みたいなものだ」

「そうなんだ。あたしは、昔からあんたを知ってる。あんたは『星の砂』にいた。今と同じ姿のままだよね。初めて、あんたの姿が見えた時、同じ年の奴だと思ってた。それが、あたしだけが大きくなって追い越して、幼馴染から、弟分になって。なのに、他のみんなは気づかない。あんたは童話に出てくる魔法使いかと思った」

「座敷わらし。僕はそう呼ばれている精霊だ」

 歩は正直に答えた。もう、嘘をつくことに意味はない。

「あたしは霊能力者だったんだ。コヨミ、この部屋にもう一人いるのが見える? 歩っていう子なんだけど」

「やめてよ。こっちまでおかしくなるじゃない」

「爆弾で木っ端みじんになるよりマシじゃん」

「死ぬのには変わらない。わたしらは明日にはきっと銃殺刑よ」

 歩は実春の隣に腰を下ろした。彼女は戸惑いながらも手を伸ばして、歩の顔をなぞる。こちらの感触はないが、指先が震えているのが分かる。

「おかしいな。あんたの顔がとても懐かしく思えるの。ずっと昔から知ってる気がする。どこなんだろう。思い出せないな」

「実春、よく聞いて。きっと、長い話はできない」

 歩は迷いながらも、引き継ぎの話をしようと思った。しかし、喉から出かかっているのに口から出すことができない。何を迷う? 自分に言い聞かせようとする。

「あたしからもお願いがあるんだけど、いいかな」

「何?」

「コヨミや花音、藍子、それにカケルを助けてほしい。あたしはどうなってもいいから、皆だけは無事でいてほしい」

「どうして、実春は自分を犠牲にできるんだ?」

「こんな時代だから、人は死んでいくんだ。でも、誰かが誰かを殺すなら、あたしはそんな事をしたくないし、されたくもない。あたしはそんな事をするために生まれてきたんじゃないと思うの。だから、誰かを傷つけるくらいなら……どうせ、死なないといけないなら仕方ないよ」

 実春は無理な笑顔を作ってみせる。歩は何も言えなくなっていた。

「今思い出しんだけどさ、あんたの顔を見ていると、頭の奥に何かが聞こえるの」

「どんな音?」

「カン、カン、カン、カンって。何かが迫ってくるような感じの音」

 網春の言葉に、歩は初めて彼女の顔に何かの記憶を垣間見た。既視感というやつだ。自分も知っている。実春とは、彼女がこの世に生まれ出る以前よりも昔、同じ顔に居合わせたことがある。どれがいつなのか思い出せないけれど、とても懐かしく思えた。

 実春の言葉に何かが思い浮かびそうになり、歩もまた目をつぶった。

 闇の中で響く音。リズミカルな高鳴りは何かが差し迫る感じだった。

 そうだ。これは間違いなく踏切の音だ。同じものを聞いた記憶がある。そう、自分が死んだ時だ。あの場に居合わせた中に、実春の祖先がいたのかもしれない。

 心象風景の没入していた意識は、ヒュゥゥゥゥッと空気の吸うような音に引っ張られて、歩が現実に戻った直後、けたたましい爆音が響いた。

 二人の悲鳴がする。警報が鳴り響く中、再び同じ音がした。咄嗟に実春をかばうようにして覆いかぶさった直後、壁が破れ、破片が飛び散った。

「何? 一体どうしたの?」

 実春の混乱する声に答えるようにして、コヨミが言った。

「敵の空襲よ」

「空襲?」

「ええ、ここが狙われているみたい。見て」

 鉄格子の窓から見える、はるか空の雲を覆い隠すようにして、無数の戦闘機が飛来する。イナゴの大群を思わせる機体はどれも赤い。

 その時、廊下の向こうであわただしく走る音がして、誰かが扉を叩いた。

「誰かいないか?」

「カケル」

 銃声が響いて、扉の鍵穴が吹き飛んだ。カケルが扉をけ破り、実春の手をつかんだ。

「逃げるぞ」

「どうしてここが分かったの?」

「俺にも分からない。ただ、誰かに押されてきた気がする。そしたららこの空襲だ」

 彼の後ろから、花音と藍子、そして、小三太がいた。

「あの時の借りは返したぜ」

「ありがとう」

「藍子が教えてくれたおかげだ。あいつに感謝しな」

 彼女が、実春以外に見えないはずの歩の前まで来ると、大きく頭を下げた。

「あの節はありがとうございます、歩様」

「どこかで会ったかな?」

「私ですよ、私」

 そう言うと、藍子は自分の髪を丸くした。その髪型と顔でやっと思い出した。

「珠代さん!」

 小三太とトキヒトと一緒に、累に捕まっていた座敷わらしの少女。すっかり、忘れていた存在だった。確か、彼女は人間に戻ったと、小三太が言っていた気がする。

「よかった。人間になったんだね」

「はい。ちょうど、二年前に引継ぎをいたしました」

「藍子、さっきからあんた、誰と話してんの?」

「そんなことより早く逃げましょう。花音さんも急いで!」

 普段はおとなしい彼女に押されて、花音は「お、おう」と答えるしかなかった。

「待って」

 牢屋から出ようとして踵を返し、実春はコヨミの手を取った。

「私はここに残る」

「そんなの許さない」

「人の勝手でしょ。私には行くところなんかない」

 実春は無理にコヨミの手を掴んだ。

「ちょ、ちょっと」

「悪いけど、あたしは自殺ほう助なんかできないの。死ぬなら必死に生きて、好きに生きて、年食ってから自然死すればいい」

 牢屋から出ると、彼らは警報の鳴る廊下を走った。外では砲撃と飛行機の滑空する音が切り裂いていくのが聞こえる。

 外に出ると、基地内に設置された砲台が炎に包まれていた。ヘリが墜落したのか、黒焦げになった塊が落ちている。そして、その中に伸びる手が見えるが、動く様子はない。

「見ない方がいい」

 周りには機銃掃射の餌食となった兵士達の躯が転がっていた。コヨミは泣きそうになっている。辺りには血と銃弾の鉄の臭いが交じり合い、黒煙が覆っていた。これが死の臭いというものかもしれない。

「早く基地の外へ行こう」

「おい、貴様ら」

 一人の声が五人の少年少女に突き刺さった。彼女たちの教官だった神田が銃を構えている。頭にからは血を流し、ぎらついた両目は違う方を向き、口はいがんでいた。

「貴様ら、どこへ行く気だ。そのスパイどもと一緒に敵前逃亡をする気か」

 じりじりと歩み寄るが、足元がおぼつかない。

「我が国は戦争をしているというのに、国民が一丸となって人間の弾と盾となって、憎き赤い帝国に傷を残さんというのに」

「冗談じゃない」実春が吠えた。「あんた達、大人が始めた戦争でしょう。あたしらを巻き込んだ責任ぐらい取りやがれ!」

 神田の銃口が彼女に向いた。銃声が鳴り響く。硝煙が上がったのは、カケルの方であった。神田の手を撃ったのだ。呻きながら手を抑える。

「逃げるぞ」

 その時、数機の戦闘機が飛来した。赤い機体だ。冷たい機銃がこちらを向いている。

「伏せろ!」

 途端、規則的な発射音が響いた。地面をえぐり、彼らの眼前をかすめていく。煙が立ち込め、狙いがそれたおかげだが、代わりに先刻立っていた神田が倒れていた。背中にはえぐられたような跡が残っている。

 歩は空を見た。暗雲を背景に戦闘機の群れが飛行する。その周りにはまだら模様の物体が浮かんでいた。とぐろを巻くようにそれは大隊に絡みつく。胴体は透き通り、苦しげな顔が無数に刻まれている。人間の目には映らないだろう。

「あれが、紅い大隊」

 蛇だ。人面の胴体は大きな蛇の尾だった。基地から飛び立った別の戦闘機が攻撃を加えても、全く歯が立たない。やがて、敵のミサイルを直撃して、黒煙をまき散らしながら町へ落ちていった。

 歩は足を地面から離した。一気に空に舞い上がり、赤い戦闘機の大群に近寄ろうとした。強い風の刃が腕を切り裂いた。押し戻そうとする強い重力を感じた。普通の風はない。蛇の頭がこちらを向いた。同じ顔が浮かぶ。全部で八つある。細長い光彩に鋭い牙が口の両端に伸びて、中から二又の舌がのぞく。

 戦闘機の操縦席に座る兵士の誰もがうつろな顔を浮かべていた。半開きに知ら口から涎を垂らして、違う方向を見つめている。

 彼らは八つ頭の蛇に操られているのだ。

「お前は一体何者だ? どうしてこんなことを」

 八機の戦闘機が一糸乱れぬ動きで町と基地に爆弾を振らせていく。その度に蛇の目は笑っているようだった。

「やめろ!」

 なお近づこうとする歩は鋭い風に刺されて、小枝のように吹き飛ばされた。どこかの町の家の天井を抜けて、畳の上に倒れた。痛みがなかったのに幸いだった。起き上がった歩の目に飛び込んだのは、その部屋に倒れている二人の男女、そして二人に寄り添う幼い女の子だった。女の子の両親だろう。彼らは床を血で染めてこと切れていた。

 ドアが開いて、一人の男が入ってきた。死に神だ。

「最近よく会うね」

 死に神の三善は帽子を脱ぐと、天井の穴から空に浮かぶ蛇を眺めた。

「あれはヤマタノオロチだよ」

「昔の神話に出てくるアレ?」

「人が精霊になっても心は残る。だが、心が失うと、精霊は荒神と変わる。アレも元は高貴な精霊だったのだろう」

 空では八つの蛇に操られた戦闘機が空爆を続けている。どんな攻撃も効かず、向かってくる機体を見えない風で弾き飛ばしてしまう。このままでは、大勢の人が殺されてしまう。実春達の身も危ない。

「誰かが操っているようだ」

「どうすれば止められるの?」

「方法は一つしかない。八つの頭をすべて刈るしかない。だが、それは許されない。災いを成しているとはいえ、元は神。神を殺すことは重罪だ。ましてや、君の同族だよ」

 赤い戦闘機は南の空へ向かっていく。町の方へ向かうつもりだ。もう、悩む余地などなかった。

 その時、歩のポケットが光り出した。何かを入れたままそのままにしていたせいか、久しぶりに手を入れると、指先を何かで切った。血が流れている。今度は用心深くポケットから取り出すと、それは外に出る度に大きくなった。入れ物の小袋を引き裂くそれは、古い剣だった。刃先は平らで幅が広く短い。柄の部分の先は二つに分かれ、緑色の刃はほのかな輝きを放つ。

「ほお、草薙剣ではないか。なぜ、君がそれを持っているのだね?」

「昔、仲間の座敷わらしから受け取ったものなんです。大事な物だから預かってくれって」

 死に神は小さくうなった。

「天日高日子が天照大神から授けられたと伝えられている三種の神器。鏡、玉、剣。そのうちの剣はある人物と共に深い海に没したと言われている」

「行ってきます。お仕事を邪魔します」

 歩は剣を持つと、空に浮かぶ怪物に向かって飛翔した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ