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トキヒト ①

 

      1


 八月十五日が終戦記念日だとは、百年先の人は知らないようだ。そうでなければ、同じ日に開戦三周年を祝えるわけがない。

 だが、当日の駐屯地には至る所に提灯が飾られ、縁日の屋台が並んでいた。舞台の上ではブラスバンドが軍歌の練習を始め、トランペットやトロンボーンの高音が響き合っている。真夏の熱気が会場の熱気を上げていく。

 実春達も屋台の店員を任されていた。もちろん、戦時中というご時世のせいか物価も高く、売っている食べ物も大したものではない。

 正午になる頃には、来場者が増え始め、基地内は人でごった返していた。屋台の方では、たこ焼きを器用に焼きながら、実春は交代するのを待っていた。

 歩は来場者に混じりながら、彼女の同行を見守っていた。

 花音は今頃、入り口の会場で実春とカケルと同じ年齢の客を待っているはずだ。実春は淡々とたこ焼きを作っていく。

 彼女の周りに漂う黒い糸。死の予兆は徐々に大きくなりつつある。もう数日もないかもしれない。

 結局、一度も座敷わらしの話をさせられなかった。もし、仮にできたとして、こんな時代に人間で戻ってどう生きればいいのか。

 サチが亡くなってから、人に幸せを与えることに満足感を持てなくなっていた。昔はよかったかもしれない。ささやかな幸せ、予期せぬ幸運、大きな奇跡。それらを目の当たりにした人は皆、大抵目を輝かしていた。

 しかし、今は幸せを呼ぶ球はどこにも見当たらなくなった。昔みたいに天井からお金が出てくるなんて言う奇跡も起こせない。たとえ精霊でも、ない袖は振れない。行き交う人々の死んだような顔つきを見るたびに、歩の中でやる気がなくなっていった。このまま、自分は大人にならないまま、永遠にこの世界に居続けなくてはいけない。

 昔、サチが話していたのを思い出した。

 子供が親よりも早く死ぬと、賽の河原という場所で永遠に石積みをさせられる。死んでいるのだから終わりはない。今の自分もある意味、賽の河原にいるのと同じだ。終わりのない戦争、ろくに勉強も受けられない差別、未成年が銃を持ってテロリストをしなければ生きていけない現実。こんな世界に座敷わらしは不要なのかもしれない。

 歩は気がつくと一本の大木の根元にいた。気がつくと遠くで大砲の音がとどろいた。

「そろそろ行かないと」

 歩は立ち上がりかけて、後ろで誰かが話しているのが聞こえた。

「こいつで頼むぞ。大きな花火を」

 男の声だ。来場者がもう一人に紙袋を渡している。その人物に、歩に見覚えはあった。

「使命は絶対に果たします」

 実春のルームメイト、コヨミが震える声で答えた。

 男が立ち去った後、コヨミは背中を大木に預けて深呼吸をした。

 歩の目には紙袋の中身が分かった。銀色の空き缶に蓋から糸が伸びている。爆弾だとすぐに分かった。

 指を伸ばして、彼女の額に触れた。世界は一瞬で変わった。

 ぼろきれの服を着た人達の列。ガラス戸の割れたボロボロの町。失業者の列は配給の食料を待っている。そこには、幼い少女と母親がいた。母親は骸骨のようにやせ細り、飛び出した瞳だけがぎらついていた。

 順番が回ってきても、母子にお金も配給券もなかった。

「売るものがなければ、何もやれないね」

 店の男が突っぱねる。

「売るものならあるわよ」

 母親は少女を差し出した。数日分の食料のために、少女は売られた。

 世界恐慌以来、国の経済は破綻した。社会保障も福祉も亡くなり、町はスラムとなるところは少なくなかった。お金の価値はなくなり、日々に少量や生活雑貨の価値が上がった。それらを手に入れるものは限られていた。自分の子供を売り飛ばす親が増えた頃、この少女も同じように捨てられたのだ。

 少女は、人から人へ売買され、人の扱いを受けることはなかった。行きついた先が、反体制の組織だった。組織は従順で呑み込みの早い子供を探していた。国が、兵隊にするのを欲するように。

 結局、どこにも行き場所なんかない。コヨミの心にあるのは空白だけだった。そこだけ世界が切り取られた色のない世界。自分には何も残っていない。

 歩は涙を流していた。忘れていた人の感情を思い出した。カケルを保護する実春を責めたのも、火の粉が自分に飛んで疑われるのを避けるためだった。

 すべてはこの日ために奉国隊に志願したのだ。

「会場で合図を待て。会場の真ん中で、大きな花火を」

 うわ言のように繰り返すコヨミは人ごみに消えた。実春達が危ない。

 歩は急いで彼女の元へ急いだ。空はいつの間にか黒い雲が覆われていた。


      2


「はい、次の人。ん、歩じゃない。どうしたの? 純じい達も来てるの」

 綿菓子屋の店員をしている実春は、彼の姿に目を丸くした。

「それどころじゃないよ! 早く、ここから逃げて」

「どうしたの、急に」

「コヨミさんが大変なんだ。早く、彼女を止めないと」

「コヨミがどうしたの?」

「あの人はテロリストなんだ。会場で爆弾を爆発させる気なんだ」

「爆弾? 急におかしなことを言うのね」

 ダメだ。信じてもらえない。

「さっき、あの人が変な人から爆弾を渡されているのを見たんだ。早くしないとたくさんの人が死んでしまう!」

 歩は必死で訴えた。

「コヨミさんには何もない。親に捨てられて。テロリストに育てられて。もう、どこにも行く場所がないってやけっぱちになってる」

「歩、あんた」

 実春は迷っていたようだが、作りかけの綿菓子を近くの子供渡すとエプロンを取った。

「どこにいるか分かる?」

 歩は急いで会場へ向かった。取り乱したことで知らないはずのことまで口に出していた。それを実春は問い詰めなかった。理由を聞くまでもなかった。会場ではたくさんの来場者がごった返していた。至る所には歩哨が銃を持って立っている。普通の人ならば、この人だかりから誰か探すのは難しいだろう。

 しかし、歩の目にはコヨミが黒く染まっているのがすぐに分かった。そのそばに死に神の三善がいれば尚更だった。

「やあ、久しぶりだね」

「すみません。また、仕事の邪魔をします」

 実春は彼女を見つけた。相手も気づいたようで怯えた顔をのぞかせる。

「コヨミ、その袋を渡して」

「急に何よ。あんた、スパイと逃げるんじゃないの? こんなところにいる必要なんてないじゃない」

「そうかもしれないけど、元ルームメイトが馬鹿なことをするのに、一人だけ逃げられるわけないじゃない。その袋をこっちに――」

「来ないで」

 コヨミは袋の中から例の缶を取り出した。導火線に火をつけようとしている。

「それ以上近づいたら、爆発させるから」

「止めなよ。あんたが死ぬことはないじゃない。あたしは、あんたにどんな事情があるのか知らないよ。でも、どんな理由があっても知らない人を殺して巻き添えにしてもいいことにはならない」

「うるさい。私にはもう何もないの。親もいない。友達もいない。今まで死ぬようにして生きてきたの。本当に死ぬことなんて恐れていない」

「じゃあ、あんたの手と声は震えているのはなんでよ?」

 コヨミは驚き、両手で爆弾を支えようとする。しかし、小刻みは止まらない。激しくなる鼓動が離れていても分かった。

「死ぬのが怖いのに、自分を押し殺そうとしている」

「違う、違うわ」

「今、そうやって爆弾を持って立っているあんたは、本当にあんたが望んだ姿なの? 誰かに命じられるままに、そうなってしまったのなら、それはあんたのせいだよ。両親に捨てられたのは関係ない。あんたの手で止めることもできる」

「私の意志で爆発させてやる」

「その意志があんたのものなら、なんで、涙を流す必要があるの」

 コヨミは泣いていた。手の震えはもう隠せなくなっていた。様子がおかしいことに、周囲の来客も気づき始めて、注目が集まりつつある。

「ねえ、コヨミ、あたし達と逃げよう。花音も藍子もいる。死ねと頼む大人たちのために死ぬことはないの」

「私には何もない」

「何もないわけがないだろ。人は簡単に空っぽにはなれないんだよ。さあ、あたしらと一緒に――」

 その時、数人の巡回の兵士がやって来た。

「そこで何をしている?」

 コヨミは反射的に爆弾の導火線に火をつけた。その缶が何である分かった途端、兵士達はいっせいに「爆弾だ!」と叫んだ。会場にいる客がその言葉を聞いて、急いで逃げていく。実春は駆け寄って、コヨミから爆弾を奪い取った。

 どこかへ投げようとしているが、広い会場に人のいない場所はない。爆発の威力だって分からない。導火線はだんだんと短くなりつつある。

「畜生めが!」

 実春はやけっぱちになって空に向かって投げようとする。歩は彼女の元に駆け寄ると、自分の手で添えて、力を流し込んだ。

 華奢なはずの実春の手から放たれた缶は、大きく弧を描いて、会場である駐屯地の外に広がる雑木林まで飛んだ。飛距離からすれば驚異的なものだろう。缶の姿が消えた直後、基地の外にいても大きな爆発音が響いて、空に赤い閃光が一瞬膨らんでは消えた。

 爆風が会場を叩いた。野外テントの屋根は根こそぎ吹き飛び、提灯が軒並み破損する。来客たちは最初何が起こったのか分からず、悲鳴と混乱でパニックに陥っていた。基地内で響くサイレンがそれらを加速させる。

「大丈夫?」

 実春は起き上がり、倒れているコヨミに声をかけた。涙を流す彼女の頬を叩いた。

「ほら、あんただって、他の奴と一緒だよ。死ぬのが怖いのが当たり前なんだ。何もない人間なんていない」

 その時、後ろから実春の頬を警備兵が銃の持ち手で殴りつけた。ひとたまりもなく、その場に倒れてしまう。

「テロリスト両名を確保」

「やめろ! 実春に何をするんだ!」

 歩は兵士たちを蹴りつけるが、透明の足は宙を切る。急に頭痛が襲い、その場で倒れかけた。空から何かが聞こえた気がした。何かの鳴き声がする。それが力を奪ったのだ。灰色の雲の隙間を縫う、何か長いものが見えた。

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