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実春 ⑥

 

          13


 実春は部屋に帰る途中、捜索中の兵士に見つかったが、あらかじめ考えておいた事を話した。テロリストは自分を人質にして、塀の外まで案内された。自分は抵抗したら、相手は慌てて逃げ去った。彼女が無傷であれば、少しは疑われたかもしれない。

 実春は腕を切っていた。ガラスの破片で裂いて、怪我を自分で作ったのだ。だが、その甲斐もあってか疑われる心配はなかった。さらに、花音や藍子も事情を察してくれて口裏を合わせてくれた。

 治安隊が動員されて基地の外まで捜索の範囲は広がったが、当然ながらカケルは見つからなかった。

 実春は翌日から時間の合間を使って、彼のいる体育倉庫へ足を運ぶようになった。朝食の残りや食糧庫からくすねたものを持って行く。

 彼女は体育倉庫の扉の前に立つと、辺りを確認した後で、ノックを二回、一回、三回と連続して叩いた。

 鍵の外れる音が響く。中に入ると、カケルがいた。相変わらず手には拳銃を持ったままだが、少し落ち着きを取り戻したようだ。

「お前がここまでしてくれても、俺には何もできない」

「別にいいよ。見返りを求めるのに人を助けてなんかいないから」

「ここから逃げたいなら無理をするな。俺が本当に誘拐して外に逃がしてもいい。ほとぼりが冷めたら、お前を育ててくれた家に帰るのはどうだ」

「それもいいかもしれないけど、みんなに悪いし。それと、あたしはお前じゃなくて、実春ってちゃんと名前があるから。あんたもカケルっていう名前があるでしょ」

「俺はそういうのが苦手なんだ。馴れ合うとか」

「女の子と話をするのは初めて?」

「当たり前だろ」

「そっか。あたしはね、お父さんと二人で暮らしていたの。お父さんは作家だったんだけど、治安隊に連れていかれた。それから、純じいに引き取られて、『星の砂』ってところで住んでいるの」

「口減らしに、自分からここへ来たのか?」

「うん。馬鹿でしょ」

「そんなことあるもんか。立派だ」

 まるで、今さっき知ったように言った。実春は嬉しそうな顔を浮かべた。二人を見ていると、歩はなんだかおもしろく感じた。時代が違えば中学生くらいの友達にしか見えない。

 そう、子供のほとんどが学校に行けて、こうやって戦争なんかない平和な世界だったら、二人はこうして仲が良く日常を送っていたかもしれない。実春はこんな馬鹿げた軍事練習に志願せずに済んだだろうし、カケルだって銃で人を撃たなくても済んだ。

「カケルはどこで生まれたの?」

「物心がつく頃には、大阪のスラムにいた。新世界辺りだ。戦争が始まる前には、通天閣っていう大昔の塔がそびえていた」

 通天閣、東京タワー、スカイツリーなどの高層展望台は、老朽化による倒壊が危惧されたことで、半世紀前に解体された。

「育ての親は何人もいた。盗みや喧嘩のやり方を教えては、その仕事で命を落とすか、大怪我をしてどっかへ消えた。十歳の頃に今の組織に預けられた。そうしないと生きていけない。ドブネズミや毛虫を食って飢えをしのぐ以外に、何もできないストリートチルドレンはごまんとあふれているが、大人は皆無関心だ。こうやって、技術や知識があって、初めて重宝される。誰かの都合に合わせて生きるしかない」

「カケルは怖くないの? 戦うって人を殺すことだよ。逆に殺されるかもしれないのにさ」

「死ぬことなんか怖くない……そう言うしかないだろ。でないと、人間爆弾にされてしまう。怖気づいてそうなった奴らを何人も見てきた。クスリで頭を壊されて、体中に爆弾をくくりつけられて……」

 カケルは体育座りのまま顔をうずめた。体が少し震えている。

「俺もいつか死ぬ運命だ。自由に生きるなんて無理なんだ。できないならできないで、この世の中を腐らせた連中を、できるだけ多く道連れにしてやる」

 歩は自分の目を疑った。実春は怒るでもなく、静かに近づくと彼を抱き寄せた。

「やめろ。同情なんかいらない」

「同じなの、カケルもあたしも」

「実春?」

 薄暗い暗闇の中で、彼女の瞳は今まで見たことのない光りを宿していた。カケルの顔には困惑が浮かぶ。生きることを放棄したはずの少年兵は、今まで経験したことのない感覚に何をすべきなのか分かっていないようだ。

 実春は多分、それを知っている。彼女はもう無邪気な子供じゃない。少なくとも、今馬にない彼女の顔立ちは、大人の女性に近かった。

 体育倉庫の扉をすり抜けて、歩はそそくさと外へ出た。


          14


 三十分くらいしてから、実春は倉庫から出てきた。頬が赤く火照っている。辺りをキョロキョロしながら外を歩く。

「何をしてたのかな?」

 歩は冗談半分でそう言った。聞こえないと思えば、何でも言えるものだ。ところが――。

 実春は小さく叫んだ。そして、彼の方を見たのだ。

「歩? あんたがなんでこんなトコにいるの?」

 力は使っていないはずなのに。百年近く生きているはずの歩は、数十年ぶりに驚きの感情をあらわにした。

「しっ。人に聞こえるよ」

 実春に引っ張られ、建物の陰に隠れた。

「どうして、あんたがここにいるの? 『星の砂』はどうなの?」

「あ、いや、その、実春が心配になって抜け出して来たんだ」

「そうなんだ」

 歩は、今はもうない心臓の鼓動を聞いた気がした。なぜ、自分の姿が実春には見えるのだ。その理由が分からない。サチも何も言っていなかった。

 ふと、何かを思い出した。とても昔の記憶に似た光景を見た。それがいつどこで起こったのかまでは思い出せない。

「でも、ここはとても怖い場所だから、一人できたらダメなんだよ」

「うん。すぐ帰るよ」

「ところで、純じいや皆は元気にしてる?」

「みんな、大丈夫だよ。実春ねえさんが帰って来るのを待ってる」

「そう。よかった」

「ところで、さっきのお兄さんは誰?」

「言わないで。ちょっとケガ人だから手当したの。本当に何にもないから」

 しどろもどろに答える実春の様は面白かった。彼女の案内で裏口まで案内してもらう。

「ちゃんと、気をつけて帰りなよ」

 そう告げると、実春は宿舎に帰っていった。一人残されて、歩はこれからどうするべきか迷った。彼女に姿が見えるなら、もう近くにいるべきではない。もしかすると、他の人には見えないままなのかもしれない。

 ちょうど、巡回の兵士がやって来たので、歩は彼の前に立っていた。舌を出して馬鹿にする顔をしたが、何も気づかないままぶつかって通り過ぎていく。兵士は夏だというのに、「うう。急に寒いな」と体を震わせるだけであった。

 やはり、実春にだけ見えている。一体どうして?

「お、ノタバリコ!」

 後ろで懐かしい声が響いた。振り返るとそこには、着物姿の少年がいた。小三太だった。相変わらずのいがぐり頭をしている。

「世間は狭いな。なんで、おめえがこんなトコにいんだよ」

「腐れ縁だよ」

 もしかしたら、小三太なら何かを知っているかもしれない。歩はさっそく、さっきのことを話した。話を終えると、小三太は呆れ顔を浮かべた。

「お前、『引継ぎ』を知らんのか?」

「聞いたことはあるような、ないような」

「たくよ、お前の前任者は何にも教えてくれなかったのかよ」

「うん。技は見て盗むタイプの人だったから」

「いいか、俺達座敷わらしは、いつか人間に戻る機会がやってくる。それは、ある人間と出会い、そいつが俺達の後任になり、俺達が人間として止まっていた時間を過ごすんだ」

「まさか、その人間って」

「死んだ奴だよ。お前も死ぬ前に前の奴の姿が見えて話せただろ。お前が死んで、そいつと契約をした。お前はノタバリコになって、前の奴は人間に戻った。お前に来たんだよ、引き継ぎの時がな」

 実春が後任者なのか?

「羨ましいよな。おれなんか一度も会ったことねえ。まだまだ功徳が足りないのかねえ。珠代ちゃんも先に戻っちゃったし、おれ一人か。良かったじゃねえか」

「待ってよ。じゃあ、実春は死ぬの?」

 頭の中を流れる思い出の傍流。その中に一際印象に残っている記憶の数々。『星の砂』を旅立つ実春。老人となった純との再会。サチとの別れ。メリーの死。累と狂信者の集会。純との出会い。真一郎と三重子。幸福と引き換えに傲慢となっていった天音。自分の葬式。踏み切りに迫る電車の汽笛。

 そう、初めてサチと出会った日。いつものように学校に帰ってきて、自分の部屋に入ると彼女は当たり前のように座っていた。

『気の毒に。お前、もうすぐ死ぬぞ』

「お前の話が正しければ、その娘は残念だが先は長くない。長く持って、あと数日の命だろうな」

「そんな……」

「今は戦の時代だ。人が大勢死ぬ時代だぞ。一人だけ平気だという保証はない」

「僕が彼女のそばにいる限り大丈夫なはずだ」

「関係ねえよ。座敷わらしになる奴っていうのはな、座敷わらしと出会った時から決まってるんだ。誰のせいでもない。神様や仏様でもない。そういうめぐり合わせなんだ。俺もお前も、実春とかいう娘も」

「実春は、座敷わらしになるために生きているんじゃない!」

「俺達も同じだろ。最初は理不尽に泣きながら、結局は運命を受け入れた。ただ、一つはっきりしているのは、おめえはあの子の命を長らえさせてはいけないってことだ。精霊は人の生き死にを変えたらいけねえ。同類殺しもそうだ。変な気は起こすなよ。黙って運命に従え。人に戻れ。ノタバリコから三ノ森歩に」

 人間に戻る。その言葉を反芻しながら、歩は宿舎に消えた実春の背中を思い出す。彼女の死もまた近づいている。

 小三太が立ち去ってから暁がのぞく頃、歩は宿舎の部屋を目指した。

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