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実春 ⑤

 

         10


 日の出前の薄暗い頃、実春は『星の砂』の門を出た。

 彼女の後ろには歩もついていた。『星の砂』の塀にはすでに無数の落書きがしてある。『非国民』というフレーズがやたら目立った。百年近く経っても人の差別する心は変わらない。進化を止めてしまったのか、はたまた、退化したのか。

 実春は役所へ向かった。市庁には人の姿が少なく、昼間なのに真っ暗だった。そこで彼女は奉国隊入隊を志願する書類を提出した。一時間程度の身体検査を経て、あっさりと合格となった。

「合格だってさ。さすが合格率一〇〇%だね。殉職率並みかな」

 頼まれてもなりたくない奉国隊は、三十五歳以下の若年者を対象とする。長引く戦争で戦死者が後を絶たず、そのせいで希望者が不足している今では選り好みしないらしい。

 役所から出ているバスに乗り込んで、揺られること一時間余り、実春はずっと窓を眺めていた。彼女の心象風景にはかすかに『星の砂』での思い出がちらついている。無理やりそれらを抑え込もうと必死になっている。彼女も内心では怖いに違いない。

 歩は純に託された通り、彼女のそばにいようと誓った。これから何が起きようとも、彼女には怪我一つ負わせるものか。

 バスは首都圏から遠く離れた郊外の駐屯地に到着した。入り口にはバリケードが置かれ、カービン銃を肩に持つ門衛が直立不動している。有刺鉄線がぐるぐる巻きに張り巡らされた高い塀には、『青少年特別奉国隊第四十二師団』とあった。

 バスの中には、実春以外にはいなかった。バスが敷地に止まると、実春は静かに立ち上がると建物に出た。

 広い敷地内では中学生くらいの少年が行進をしたり、ランニングをしたりしている。掛け声がどこからも聞こえている。遠くでは乾いた銃声の音、地響きのような砲弾の音がこだまする。中には、大人の罵声が響き渡る。

「そんなことで敵に勝てると思うな!」

 実春は建物の中に通された。無骨なコンクリートに鉄筋の壁に天井は、急ごしらえで建てられたものだろう。受付の男が事務的に説明していく。

「今日からあなたは十日間の研修を経て、第四十二師団に所属する新兵となります。市役所での健康検査の結果は甲でしたね。それならば、一番不足している前線に配属される可能性があります」

 各国にかつての徴兵制が復活したという口実により、付和雷同の形で戦前に施行された。成人前に入隊が可能とされているのが、青少年特別報国隊、特隊だ。成人の兵士の補助として戦地に送られる噂のある機関である。ほとんどが志願による入隊と公式では言われているが、本当のところは分かったものではない。

 実春は渡り廊下からさらにプレハブの別館に通された。そこには、粗末な小部屋に二段ベッドが両端に設置されていた。

 そこにはすでに別の女子がいた。

「新入りか?」

 茶髪に髪を後ろに束ねた子が言った。どうやら、この部屋のリーダー格のようだ。実春よりも少し年上に見える。

「うちは花音。あんたは?」

「実春です」

「実春か。ほら、あんたらも自己紹介しい」

 彼女に指摘され、他の二人も慌てて言った。

「私は奥寺藍子です。今日の午前に来ました」

 三つ編みの頭に、眼鏡をかけた真面目そうな子。年は実春と同年か、少し下か。

「コヨミ」

 もう一人は花音と同じ高校生くらい。男と間違うほど髪を短く切りそろえ、目つきは暗くよどんでいる。自分の名前だけ言うと、そそくさとベッドに寝ころんだ。

「こいつはええよ。昨日から合流したけど、何も話さんから」

 花音はべこべこの水筒からコップに水を移して、実春に渡した。

「最後の新入りを祝う歓迎式や」

「ありがとうございます」と飲みかけて、実春は大きくせき込んだ。

「やっぱ、お嬢ちゃんにはきついか。焼酎なんよ、それ」

「花音さん、私でも無理だったのに」

「消毒のアルコールをちょびっと混ぜてんやけど、これでも高級品や。ここにはろくなものがない。なんだって、悪名高い特隊訓練所ときてるから」

「皆さんも志願したんですか?」

「限りなく強制に近い志願やけどな。うちのいた児童養護施設は国立やから、卒園イコール入隊や。流れ作業で国の宝を育てて殺してく。藍子もやろ?」

「はい。里親の希望もなかったので、こっちに入れって言われて」

「実春はどこから来た? うちは『清く美しく誇らしき稲穂の里学園』。これ、全部名前。ド田舎の観光名所みたいやろ」

 花音につられて実春も笑いながら、「あたしは『星の砂』というところです」

「おしゃれやな。藍子は『謙信館』。真面目な奴にぴったりや」

「コヨミさんはどこから?」

 実春はそう聞いたが、コヨミは何も答えずに戦争小説を読むだけだった。

「なに意固地になってんだか。コヨミ、個人主義は今時流行らんぞ」

 銃弾の乾いた音が聞こえ、窓の外がカタカタと震える中、女子達の談笑は続いた。女子の会話を聞くうち、歩は居たたまれなくなり、建物の中を散歩した。とにかく、同室の子となじめてよかった。

 しかし、これからどうなっていくのか気が気ではなかった。


          11


 奉国隊駐屯地の十日間、まさにスパルタ教育の毎日だった。

 朝は五時の起床から始まり、夜は九時に消灯するまでの間、迷彩の制服に着替えて、基礎的な座学と体力づくりの基礎訓練。男子らと混じりながら、腕立て伏せ、腹筋、背筋、数キロのランニングと目が回るような訓練が待っていた。

 教官は神田という五十代の兵長で、太い眉に瓜みたいに長細い顔をしている。常に男女関わらずに厳しくしごいた。ランニングの際に藍子を実春が助けたのを目ざとく見つけ、彼女を罵倒した。

「何をしている! 一人足手まといの奴を助けに行けとは言っておらんぞ」

「大丈夫、藍子さん」

「ありがとうございます」

 片足をひねった彼女を補助する実春を、神田は無理やり引っぺがすと地面にたたきつけようとする。歩が足払いをしなければ、実春も怪我をしていたに違いない。バランスを崩して無様に転んだ教官を、いつの間にか戻ってきた花音がゲラゲラ笑った。

「貴様ら、三班はどいつもこいつも、ええい、夜は飯抜きだ!」

 訓練が終わった後、部屋に戻った四人はだらけきったまま、ベッドに倒れていた。

「ごめんなさい。あたしのせいだ」

「実春さんは悪くありません。わたしが足手まといだから」

「でも、あいつの転げ方はお笑いやったわ」

 歩は彼女達の談笑を聞きながら、食糧庫にある缶詰をちょろまかすと、彼女らのいる部屋の前に置いて、ノックして退散した。

 花音が目を輝かせて部屋に入れた。

「少し早いクリスマスだよ」

 辛い一日でも時間は同じ。十日間の訓練があっという間に終わると、実春らに階級が与えられた。四人とも最下層の二等兵である。ますます訓練が厳しくなっていくが、歩も実春やルームメイトが困っていると、それとなく助け舟を出したりした。

 十日間の研修を終えた夜、大きな事件が前触れもなく起こった。彼女らの部屋では祝杯が行われた。提案者はもちろん花音だった。

「三班のお先真っ暗な前途を祝し、乾杯!」

 食糧庫から拝借してきたらしいジュースで飲んで、お互いの将来を話し合った。歩は気になり、ジュースをぺろりと舐めると、ほんのりとアルコールの粒子が口の中で爆ぜた。「まったく、最近の子は」と口をすぼめて、コップからアルコールを全部吸い取った。

 お酒は成人になってからだ。

「わたし達はこれからどうなるんでしょうか?」

「そりゃあ、あんた、激戦地の大陸送りに決まってるやろ」

 藍子は青ざめた顔を浮かべる。しかし、最近になって奉国隊のほとんどは最前線へ送られるようになった。少し前なら内地での配属も少なくなかった。

「新聞じゃ勝利、勝利の連呼やけど。やっぱり、大陸では苦戦みたいや。赤い大隊が強いからな」

「赤い大隊?」

「敵国の大主力でそう呼ばれてる。同盟国や周辺国で爆撃を繰り返す地獄の軍団。神出鬼没の空爆部隊で、レーダーにも映らず、飛行機の羽音が死に神の鈴の音になる。同盟国やこの国も躍起になって探すも、被害は広がるばかりだって」

「怖いなぁ」

「これは噂やけど、紅い大隊からの生き残りの中には、空に大きな蛇の頭が八つも浮かんでいるのを見た奴がいるらしいぜ」

「八つの蛇ってドラゴンみたいなもの?」

「幻覚でも見たんちゃうか」

「ここは大丈夫なのかな」

「内地は安全て言うけど、いつ、連中の攻撃があるか分からへん。この世界中では紛争も起きているし、どこにも平和な場所なんかなんかない」

「いつから、この世界はそうなってしまったのかな」

 実春はコップに映る自分の顔を眺めていた。

「あたしが生まれた頃から、大不況とか言われていたけど、まだ平和だった気がする。誰だって、戦争なんかしたくないはずなのに、こんなに長引いて、誰もが疲れているはずなのに」

「滅多に始まらんけど、一度始まったらなかなか終わられへん。それが戦争や」

 その時、外の方でけたたましいサイレンが鳴り響いた。

「勘弁してや。また夜間訓練か?」

 花音は窓を開けて外の様子を眺めた。一階の部屋であるここからは、向かいに立つ本官や訓練用の兵営が見えるのだが、夜になると施設の入り口に照らされたサーチライトしか見えない。

 歩はふと、背中が震えるのを感じた。何か、不吉な予感が口を動かした。

「危ない!」

 その声に反応したのか定かではないが、実春は飛び出すと、花音を窓のそばからから引っ張った。

 直後、銃声の音が響き部屋の壁に穴をあけた。皆が悲鳴を上げる。

 実春と花音は折り重なるように窓の下に隠れていると、外から誰かが部屋の中に入ってきた。藍子が悲鳴を上げる。照明が割れたせいで部屋の中は真っ暗だったが、そいつの顔は確かに見えた。

 人影が藍子を捕まえている。眼鏡が外れ、泣きそうな顔になっている。その首筋には銃口が向けられている。

「誰も動くな」

 拳銃を持つ人物が静かに言った。黒一色の格好だがその肩からは血が流れている。覆面から漏れる呼吸が荒い。血が床に滴り落ちている。

「こいつは人質だ」

「一体なんや、あんた? 藍子を放せ!」

 花音が問うと、彼は拳銃の先を向けた。

「俺の言うことを聞け。でないと、一人残らずここで死ぬ」

 青年はよろめいて、壁に当たった。

 実春は立ち上がり、彼に近づこうとする。慌てて銃口が彼女に向いた。

「来るなって聞こえたか?」

「あんた、怪我してるよ」

「黙れ」

「その子は足が遅い。足手まといになる。人質ならあたしがなる」

「何だと」

 覆面が動揺する。声は思ったよりも幼い響きだった。

「あたしを人質にして。そうじゃないと大声で人を呼ぶよ」

「お前らも道連れにしてやる」

「違う。あたしを人質にして逃げれば、あとの二人は死なずに済む。あんただって、運がよかったら、逃げ切れるかもしれない」

「お前はどうする?」

「へへっ、あんた次第かな。さあ、どうすんの?」

 覆面は少しの間考えた末、「来い」と命じた。藍子の代わりに実春が人質になった。

 二人は連れて部屋の外へ出た。


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