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実春 ③

 

          6


 さらに二年の月日が経った。

 人間の過ごす四季は、月が替わるくらいの短い間隔でしかない。時間が緩やかであるわけではない。時間は人も精霊も平等だ。命を持つ者と持たざる者の差だろう。

 いずれにせよ、世界が取り返しのつかないところまで進んでいるのに変わりはない。戦争は一年以上経過しても終戦の兆しはなく、膠着状態が続いていた。


 ショッピングモールの入り口から駐車場にかけて長蛇の列が続いている。来客数の多さにもかかわらず、駐車場には車が一台も止まっていない。家庭用自動車やガソリンのほとんどが供出され、外では自転車か歩行者しか見かけない。バスの運行も全国で廃止されて久しい。

 実春は一人で列に混じっていた。普通の人からはそう見えるだろう。

「すごい列」

「うん。昨日から並んでる人がいるのかも」

 大きなリュックを背中に背負い、カートを押す人も見かける。

「いつ並んだって、もらえるものは決まってるのにさ」

「実春は配給権を持って来てるよね?」

「もちろん。あたしも間抜けじゃないから。歩も荷物係頼むよ」

「人使い荒いな」

「何か言った?」

「何も」

 生きた人間と普通に会話できるのは、座敷わらしのなせる業である

 “なりすましの術”をもってすれば、実春は歩が同じ施設で暮らす子供だと錯覚する。記憶さえも操作できる。

「さっきから、なんだろうな。人のことをじろじろと」

 他の参列者が奇異の目を向けるのも無理はない。実春がひとりごとを言っているようにしか思えないだろう。ただ、幼い子には自分の姿が見える。

 実春は十四歳になった。児童養護施設『星の砂』にいる子供の中では最年長になる。歩が施設に住み着いた頃よりも背が伸びて、赤みがかった髪も少し伸びた。顔つきも引き締まって大人っぽくなった。今では家事や子供達の面倒も見るようになった。それでも、初めて会った時の負けん気の強さは相変わらずだ。歩は、彼女のそんなところが好きだった。

 そうせざるを得なかったのは、施設の先生の多くが退職、または政府直属の学校に赴任したせいだった。職員が減るのと反して、施設に引き取られる子供も増えた。実春は自分から手伝いをやるようになった。今日も、純には内緒で子供達の買い物へ出ていた。

 歩も実春のことが心配になり、術を使って同行することにした。国内の治安が悪化しているせいだった。テロまがいの反政府活動はもちろんだが、強盗や通り魔が横行し、昼間では外出先で犯罪に巻き込まれる事件が多発していた。力を使うのは負担だったが、彼女を一人にしておくわけにもいかなかない。

 午前中からの並んでいた甲斐もあって列が進み始めて、昼間を過ぎてからはモールの中に入ることができた。入り口で店員がカードを渡す。

「お買い物は一組、十五分までです」

 モールの中にある店はどれも棚がスカスカだった。スーパーの食品なんかは新装開店前のように全滅だった。しかし、実春の目的は別にあった。スーパーの奥までカートで突っ切ると、衣類関係に回った。赤ん坊のおむつに下着、新しい服もかごに入れていく。食べ物は毎月の配給で足りるようにして、それ以外の日用品をそろえていくという作戦だった。歩も妖怪だったことも忘れるほど、彼女から指示された物を探した。時間はあっという間に過ぎていった。

 数分と切ったところで、モールを出ようとする前に実春は違う店へ走っていく。

「すぐ戻るから、ちょっと待ってて」

 実春は、動かなくなって久しいエスカレーターの階段を二段ずつ上がっていき、二階にある本屋に入った。一分を切ったところで慌てて出てきた。

「行くよ」

 満載のカートを押して、入り口に向かった。物品のほとんどは値上がりしていたが、何とか彼女の軍資金で買うことができた。歩が力を使って、道端の排水溝に落ちていた配給券を拾っておいたおかげだった。

 二人がモールを出ようとした時だった。

「そこの子、待ちなさい」

 実春を呼び止めたのは店員ではなかった。他の来店者も顔をゆがめて、彼女から遠ざかる。警察官に似た制服を着ている二人組だが、黒一色に胸には金色のバッジをつけている。腰には警棒や銃のホルスターをぶら下げている。一人は海外の兵士みたいにカービン銃を携えている。

 悪名に聞く治安隊だ。多発する犯罪に手が回らなくなった警察官を補助する名目で結成された治安隊だが、その実態はテロリストの捜索や、市民の監視が主な任務である。純の古い歴史書を呼んだ歩が思い出す用語『特高』、『治安維持法』と彼らとが重なった。

(かごの中のネズミみたいに同じ輪を走るしか能がない)

 幸子の言葉を思い出した。歴史は繰り返す。馬鹿な人間が幅を利かせた時は特に悪い方に傾くのだ。学ぶ知恵がないから、いつも同じ場所でつまずく。

「その買い物品の中身を調べさせてもらう」

 男の一人はこちらの返事を聞く前に、袋の中身をかき出していく。もう一人は、実春にカメラのレンズのついた端末機を操作する。

 歩はこっそりとそいつの後ろに回り込もうとすると、実春が「ちょっと、歩!」と思わず言った。

「何か?」

 歩は慌てて彼女の隣に戻った。

「おい、この子供は」ともう一人の男が耳打ちする。「親が例の」

「申し訳ないが、署まで同行してもらおうか?」

「何でですか? 私達は何もしてないのに」

「私達?」

 男が首をかしげる。

「七村実春。国民ナンバー638825QQQ番。父親は七村章。反体制思想の小説家。総動員令を誹謗する作品を発表した罪により連行、取り調べ中に心臓麻痺で死去……」

「人の個人情報を外で言うな。それに間違ってる。お父さんは心臓まひで死んだんじゃない。お前らが毒をぶち込んで殺したんだよ!」

「ふん。反体制作家の子供だ。大人に対する敬意が全くない。連れていけ」

 一人が実春の腕を掴もうとする。

「ちょっと、クソ放しやがれ!」

 歩はそいつの足を思いっきり蹴りつけた。人の目からすれば、地面の石が急に飛んで治安隊のすねに当たったように見えただろう。悶絶してその場に倒れる男に、もう一人が警棒を出した。

「小娘が。公務執行妨害で補導するぞ」

 その時、一台のバイクがうなりを上げて走りこんできた。運転手はヘルメットをかぶっていたのだが、フルフェイスで顔は分からない。しかし、そいつは手に持ったスプレーを治安隊に振りかけた。

「き、きさま……目が染みる! なんだこれは――」

 バイクの運転手は、空に向かって小さな紙をばらまいた。

「おい、配給券だ!」

 一人が気づくと、列を並んでいた他の来店客が殺到した。二人の治安隊はひとたまりもなくもみくちゃにされた。その混乱をあざけるように、バイクは走り去っていった。

「実春、今のうちだよ」

「う、うん」

 実春は袋に買い物を詰め込むと、急いでその場を後にした。


           7


「ねえ、さっきの歩がやったの?」

「へへッ」

「やるじゃん。おかげで助かったよ」

 実春の方から聞いてきて、歩は少し驚いた。考えてみたら、自分と彼女は、おじいさんと玄孫ぐらいの差がある。

 二人が『星の砂』に到着したのは夕方近くだった。町の中を治安隊の装甲車が行き交っていたために隠れるようにして帰らなくてはいけなかった。こっそりと施設に戻ると、他の子供達が出迎えてくれた。

「はい、これ」

 と、日用品を配っていく実春。今年で小学校に上がる守には一冊の漫画本を渡した。

「わあ、これも買ってくれたの」

「はい、これ。今日は守の誕生日だから、これはプレゼント」

 急いで本屋に立ち寄ったのは、守の好きな漫画を買うためだった。

「ありがとう、実春姉ちゃん」

 満面の笑みを浮かべる実春に、歩は安心できた。

 しかし、『星の砂』も余裕があるわけではない。国から配給される物資も年々少なくなっている。戦況は我が国と同盟国は有利になっていると連日ニュースで報じられているが、暮らしは苦しくなる一方だった。

 夕食の席も人に与えられる食事は申し訳程度の小さな弁当箱だけだった。それと、純が施設の庭で栽培している菜園でかろうじて補っている。

「おなかすいたな」

 食事が終わってもおなかの虫が鳴りやまない子供もいた。実春は自分の分を少しずつ与えていた。そんな時、義務でついているテレビからはいつもの時間になると、一番嫌な放送が始まった。

 液晶には例の老女が映っていた。累だ。

「国民の皆様、ごきげんよう。我が国並びに同盟国の軍は猛進を続けております。皆さんの暮らしはますます苦しくなる一方でしょう。しかし、それでいいのです。苦しいのは戦っている証拠です。逆に、楽しいと気楽に思うは惰眠を貪っている証です。戦い続ければ、私達はいずれ勝利します。もっと不幸になって下さい。あなた方の隣には同じ不幸な仲間が大勢います。不幸なのは自分だけではない。みんな、苦しいのだと自覚してください。隣人、市民、同盟も苦しい。皆が一つの苦しみと不幸を共に背負い、国難に一致団結で挑んでいきましょう。その先に必ずや、勝利の感動がやって来るのです。戦いの終わるその時まで耐え忍びましょう」

「てめえ一人で不幸になってろ、バーカ。こっちは腹が減ってんだよ。御託はいいから食料増やせ、ババア」

 実春は頬杖をしながら言った。

「どうしたの。真理亜」

 一人の女の子が泣いていた。小学四年生の子だ。

「今日ね。団地の人に言われたの。アカの施設の子は近づくなって」

「それは本当かい、真理亜」

 純は深刻な子で聞いた。

「うん。仲の良かった多恵ちゃんに言われたの。ママが、真理亜のいる『星の砂』は非国民だって。だから、一緒に遊んだらダメって」

 さめざめと泣きだす真理亜を、実春は優しく抱き寄せた。

「こんな子にまで、ひど過ぎる」

「俺もそうだよ」と雄大が言った。「大地が親から言われた。ここの子とは遊ぶなって。あいつとはよく遊んだのに」

「大丈夫だよ。きっと、長くは続かない」

 実春はそうつぶやくと、演説を続ける老婆を睨んだ。


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