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歩 ③

 

         3(つづき)

 

 給食の時間――小さな事件が起こった。

 最後の晩餐をかみしめるように、歩はコッペパンをかじっていると……。

「ちょっと、花川さん」

 美香子の間延びしたような声が飛んだ。

「あなたの親、生活保護を受けているんでしょ。どうせ、給食費だって払ってないんじゃないの。皆はちゃんと払っているから食べていいけど、あなたはどうして、当たり前みたいに給食を食べているのかな?」

 天音が何も言い返さないのをいいことに、美香子が牛乳を取り上げた。

「牛乳ってさ、消臭効果とかあるんだって、花川さんのベタベタした髪もきれいにしてくれるかもね」

 そして、天音の頭に牛乳を垂らした。止めた方がいいよという小声も、笑いでかき消された。一輝はわざとらしく、「うへぇ」と引いた声を出した。

「女子って、やることがエグいよな」

「男子らも、あの子の荷物とか隠してるじゃん。今日も下足場で宮瀬のやつが上履きを隠してるのを見たけど。花壇の方に放り投げてた」

 宮瀬は美香子の男子版だ。家は父が普通の会社員、母親が主婦をしている。金持ちの多いこのクラスでは控えめな方だが、少なくとも天音の家よりは恵まれている。だからこそ、いじめに加担しているだろう。彼女の代役になりたくないから。

「花川に教えてあげたら?」

 歩は何となくそう言った。直後、すぐに口を閉じた。いつもは言わないようなことが出てしまうなんて、よほど余裕がないのかもしれない。

 案の定、三人はまた困惑した様子を隠そうとしない。

「クイズを一問出すね」

 秋乃は人差し指を上げて番組の司会者の物まねをした。

「優しい実ノ森くんが、花川さんに上履きの場所を教えて、彼女を助けてあげました。さて、実ノ森くんはこれから一体どうなるでしょう?」

「教室のみんなから無視される」

 少し迷いながら、歩はそう答えた。

「みんなもその答えを知っているの。誰もやらないのはそのせい。美香子や宮瀬は別として、みんな、本音では彼女を助けてあげたい。けれど、自分の身を守らないと、花川さんみたいになっちゃう」

「それはそうなんだけど……」

 秋乃の考えは当たっている。けれど、歩には何か合点がいかなかった。

「花川さんがいじられているのは、花川さんだけのせいじゃないって、みんな知ってるんだよ。でも、助けたからって、誰かにほめられるわけじゃない」

「原因は親だ。それ以上以下以外でもないね。家が貧乏だったり、親が仕事もしないで遊んでいたりするっていう子が、みんなの輪に入られるわけがない。でもって、本人のせいでもないんだよ」

 おかずを二杯目のお代わりをしながら、敦は言った。

「うちの親父から聞いたんだけどさ、この前、就活に失敗した大学生がさ、親と一緒に、親父に泣きついてきたんだって。いい就職口を紹介してくれって。そいつの親なんか土下座までしたらしいぜ」

「その人って、どうなったの?」

「さあね。無理だったんじゃないか。どうでもいいし。要するにだ、実ノ森、どんな家に生まれるかが、幸せの分かれ目なんだよ。おれらは当たり。花川はハズレ。金持ちの親か貧乏な親かで、天国と地獄が決まるのさ」

「僕らは当たり?」

「今さら聞くなって。おれらは環境に恵まれている。親は勝ち組だし、大きな家に住めるし、好きな習い事にも通えて、好きな物も買える。服だって、オーダーメイド。ユ〇ク〇みたいな貧乏くせえ服を着たことなんか一度もないぜ。この班では、自分専用のクレジットカードがある」

「実ノ森くん、社会の授業で発展途上国って習ったろ。僕らみたいな同じ年の子供が学校にも行けずに働かされている国。中にはストリートチルドレンって、ホームレスみたいな生活をしているのだっている。そんな国でも、お金持ちの家に生まれたら、きれいな服を着せてもらって、学校に通えて、欲しい物を買ってもらえる。ゴミ山をあさって、物乞いとかスリとか、みじめな暮らしをしないですむ」

「二人が言いたいのは、どこの時代どこの国に生まれようが、お金のない家より、お金のたくさんある家に生まれた方が、幸せになれる可能性が高いってこと。絶対じゃないけど確率は高いじゃん」

「悪気があって、花川さんを見捨てるわけじゃない。関わりたくないだけだよ。金持ちは喧嘩せず。火中の栗も拾ってはいけない。安物買いもダメ。すべては異世界の火事だと思えばいいのさ」

「それを言うなら、対岸の火事でしょ」

「でも、金持ちの家に生まれても、幸せになれるのかな。急に事故とか病気で死んだりするかもしれないよ」

「あたしらが死ぬわけないじゃん。まだ、子供だよ。ねえ、本当に大丈夫?」

 歩はふと後ろを見た。サチは目をつぶり、口を閉じたままだった。

 一瞬、牛乳まみれになった天音と目が合った気がして、慌てて給食を食べた。


          4


 歩は机から飛び起きた。

 教室にクラスメイトの姿はない。時計は四時を回っている。今は放課後ということになるが、昼からの授業を受けた記憶がまったくなかった。窓辺から明るい赤色をした夕日が差し込み、日の当たっていない教室の隅は薄暗い。

 今日は金曜日だから、五時から塾に行かないといけない。来年には中学受験が控えている。のんびりしているわけにはいかない。

『僕は死ぬはずはない。僕自身なのだから』

 昔、国語の教科書で習った詩を思い出した。作者は、名前は忘れたけど、十二歳で亡くなった少年の詩人だった。今の歩には、死なないための呪文に聞こえた。

「まだ帰らんのか?」

 サチが教卓で頬をついている。

「帰り道に車にひかれたらいやだからね」

「家路が辛くとも、いつかは家に帰らんといかん。あいつもそうじゃ」

 窓際の席から天音が怪訝な顔をこちらに向けている。一番一緒にいたくない相手に、サチと話をしているのを聞かれてしまった。

「さてと、早く帰らないと塾に遅れる。おい、花川、教室の戸締りをしとけよ」

 天音は無言でうなずいた。ふと、歩は気になった。

「こんな時間まで何してんだよ」

 天音は自由帳に絵を描いていた。

 歩は目を離せなかった。ただの落書きではなく、コンクールで見るような上手い絵だった。緑の草原に建つ丸い形の家。そこには三人の家族が書かれている。両親と女の子。草原には似たような家が並んで、星空には顔のある満月が笑顔を浮かべている。

「絵を描くのが好きなのか?」

 こくん。天音はまた頷いた。

「毎日、教室に残って描いてたのか?」

 うん、と無言で返事をする。

「そうなんだ」

「実ノ森くん、さっきは誰と話していたの?」

 天音がやや震えた声で言った。人と話をするのは久しぶりなのだろう。

 歩は何も答えず、無言で教室から出た。

 早く、家に帰りたくなった。このままでは自分はおかしくなってしまう。前の自分に戻れなくなってしまう気がした。廊下を駆け抜け、下足場を通り過ぎて、正門から出ても一度も止まることを知らなかった。

 まるでおかしい。塾に行くまで時間が少し残っている。いつもみたいにゆっくり帰っても十分間に合うはずなのに。

 一体、自分は何を急いでいるのだろう?

 世界は目まぐるしく衣替えをしているように、歩の目には人の動きが早く見えた。遠くで鳥がけたたましく鳴いて、家々からは小さな子供の泣き声が聞こえる。地面には電信柱や塀、溝に打ち捨てられた自転車が、長細い影法師になって広がっている。頭の中で針の音がする。カチ、コチ、カチ、コチ。間隔がだんだん短くなる。

 早く。急がないといけない。ただ、その一心で走った。

 ふと、気がつくと、いつも通る踏切で止まっていた。全身から汗があふれ、心臓が跳ね上がる。歩は息を整えようとする。

 目の前には会社帰りの人や、ベビーカーを押す主婦、犬を連れた老人がいる。いつもの風景だと思いながら踏切を渡った。すぐ脇を母子が通り過ぎる。母親の持つ買い物袋を、三歳くらいの女の子が下から懸命に支えている。

「えらいね、さくら」

 唐突に踏切が鳴り出した。線路に残っている人が一斉に抜けていった。

 歩もすぐに横断する。すぐ後ろで遮断機がゆっくりと降りていく。カンッカンッカンッカンッカン。耳を打つ警報の音に、なんとなく落ち着かない気持ちになった。

 家路を急ごうと踵を返しかけた時だった。

「さくら?」

 さっきの母親が不安な顔で娘の名前を呼んだ。自分が呼ばれたような気がして、通ったばかり線路を振り向いた。

「さくら!」

 女性が今度は大声で叫んだ。さっきの幼子が線路に残っていた。しかも、砂利の敷かれた線路に沿って歩いていく。母親が遮断機をくぐって中に入ろうとして、バランスを崩して転倒した。

 前方の線路から鋭い光りが射しかかる。列車のヘッドライトだ。しかも早い。特急だ。母親の足ではとても間に合わない。さくらという名前の幼児は、線路の真ん中で棒立ちになったまま動こうとしない。

「ちょっと、あれってヤバいよね」

 数人の女子生徒が気づいて指さして、周りがざわつき始めた。助けに入る人はいない。自分がやらなくても、誰かがやってくれる。

 歩は昼間の教室を思い出した。片隅に追いやられる天音。その頭にかけられる牛乳やおかず。親が悪い。あの子は悪くない。

 じゃあ、どうして、天音は泣いているんだ。何に耐えないといけないんだ。

 放課後、毎日教室に残って絵を描いている天音。草原に建つ丸い家。家族。

 歩は急に走り出し、遮断機をくぐり、線路に立ち入った。けたたましい汽笛が鼓膜を震わせる。無我夢中で子供を持ち上げて、線路から外の原っぱへ突き飛ばした。小さな体は柔らかい原っぱに転がり、くしゃくしゃに泣き崩れる顔と目が合った。

 逃げないと、歩が足を動かそうとした。動けない。足が線路から離れない。よく見ると、線路の隙間につま先が挟まっていた。

「危ない!」

 誰かの叫ぶ声、直後にこだまする悲鳴。眼前に二対の光りが視界を覆う。辺りが昼のように明るくなる。

 黒板を爪でひっかいたようなブレーキ音が鼓膜をかき乱した。

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